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ジーンとドライブ 楽しめないならついでくらいが丁度いい

結婚したての頃、月に一度は言い争っていた気がする。他愛のないことから始まり、どんどん話が逸れて仕舞いには、男のくせに口が立つジーンに押され、戦意を無くした私が引く…。
そんなことを繰り返している時、売り言葉に買い言葉で、
「もうご飯作ってあげないから!」
と、言ったことがある。女が良く口にする言葉だ。近頃の男性は料理が上手い人も多いようだが、ジーンは『ザ・昭和の男子』である。これを言われちゃきっと困ると思いきや、今や、作ってもらえないくらいでは全く困らない。コンビニやスーパーで調達するもよし、飲食店も山ほどあるのだから。
それに、私は自分のご飯をどうせ作るのだ。同じ屋根の下にいて自分の分だけ作って食べる…それが出来るほど、私は肝は据わっていない。結局、ジーンの分だって作るのだ。
その時、
「やってあげてるって思ってやるくらいならやっていらん!」
等と抜かしよった。
何とも可愛くない一言である。その言葉にとても腹が立った記憶があるが、今、改めて思えば、一理ある。
「やってあげる」なんて言って自発的にしたことが、時が変われば、「やってあげたのに!」に変わることがある。そんな風に恩着せがましくされても嬉しくない。後からそんな風に言われたら、「イヤ、やって下さいと頼んだ覚えないし…。」となる。そういうことがジーンの家では多々見られた。
でも、私の家は家族間でそんな思いやりの物々交換みたいなことはなかったように思う。だから、何かをしてもらって感謝はすれど、その代わりを求めることは無かったし、何かをしてあげた代わりに、何かを返してもらわないと気が済まないこともない。持ちつ持たれつ…そういうことだと思う。

ジーンの家は、家族がバラバラだった。自由で、それぞれが自立しているという面ではいいかもしれない。だが、今でこそ、お正月には顔を合わせて食事をするくらいはするが、私が嫁に入るまで、いつの頃からか、家族で食卓を囲むこともほとんどなかったというのだ。それぞれ、学校や仕事で帰る時間がバラバラだからという事だったらしいが、少し寂しい。
思い出せば、私だって学生の頃は帰りが遅かったが、リビングの家族と話しながら食べた記憶がある。

そんな全く違った環境で育った二人だからぶつかるのも無理はない。
今、結婚してから年月を経て、違いをすり合わせて言い争うことがほとんどない。
ジーンは私の頼みごとを警戒心なく聞いてくれるようになったし、私は相変わらず食いしん坊だし、日常の雑用は自分のことをするついでくらいにジーンのことをする。
結婚式代わりの食事会でジーンの父に
「仕事の日も毎日ご飯作ってるの?」
と聞かれたので、
「勿論。私、食いしん坊なので。でも、遅く帰った日は、比較的短時間でできるメニューになるけれど。基本的にジーンより私の方が早くには帰れるから。」
と答えると、
「しんどくないの?」
とまた聞くので、
「しんどいっちゃしんどい時もありますが、楽しんで。」
と答えたら、えらく嬉しそうに、
「そうそう。なんでも楽しんでやらないと損だよ。」
と言った。私はそれを結構真面目に受け止めて、料理のこと以外でも実行しようと心がけている。楽しんでやるということは、主体的で人は関係なくなる。だから、不満が相手に向かずに済む。

近頃、卒婚というものが話題なようだ。
婚姻関係を結んだまま、別居して、おのおの自由に生活するんだとか。
なんだかややこしいんだなぁと見ていた。
確かに、細かいことばっかり言って、自分は何もしないご主人様達には、「おい!」と言いたくなるし、休みの日にスーパーで出会う恰幅のいいおじ様の傲慢知己にはイラっとする。こう人が旦那だったらヤダねぇとも思う。共感するのは自立した女性が多いそうだが、それなら離婚すればいいのでは?と思うが、そうはしない。もう少し、年を取れば共感できるのかもしれないが、共感できない自分がいた。
いつしか生活の色んなことが、「やってあげたのに!」に変わった人達に見えた。きっと優秀な人なんだろうとも思った。
夫婦も家族も、何をもってそうなのかは、人それぞれ違うけれど、どこか冷たく希薄に感じられたのは私だけだろうか。(不快に思われた方ごめんなさい。個人的な考えです。)
ジーンと私はこれからどういう夫婦になるのかな。
家はちょっと世間とズレてるっぽいからあんまり当てはまらなさそうだけど、持ちつ持たれつ程々に、いつの世も心中穏やかで生きたいねぇ。

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