お金にも『行くべき場所』があるのだとしたら

ある時ふと思いった。いつだったか、随分と前にふと。
「お金って、水面のようだ。」と。
(今思えば、水だけじゃなくて、砂でも土でも同じことだった。)
静かな時は平たいのに、一箇所を沈ませれば、別の箇所が上がる。
株や為替の折れ線グラフを見ているとまさにそうで、下がれば上がり、上がれば下がる。
それは、人間の意識がどれだけ集まるかによって、対象物の価値が変化しているということで、人間の意識(=エネルギー)が集まれば集まるほど、対象物の価値が上がっていくという現象。
一見、左から右へ一直線に動いているように思えるけれど、私にはあの時、『水面に浮いた輪になったロープ』のイメージが浮かんだ。
お金の浮き沈みは、輪になって、そう円になって、世界規模でバランスされている、と思った。

私たちは、お金を欲する。
お金があれば、様々な欲が満たせる。
欲というものは、良くも悪くもなく、これもただその時のエネルギー状態によって起こる、思考という現象。
自分が考えてるように思えて、環境に考えさせられている。

お金は私のところにやってくる。
やって来ては、私の欲を満たして、去っていく。
やって来た時、私のお金の量のグラフは上がり、去っていく時、私のお金の量は下がる。
お金というエネルギーが、別の物質に変換されて私のもとに残る。

お金はじっとしていない。
お金は私を通過して、誰かの元へと旅立つ。
例えば誰かが、タンス預金で使わずに置いておいたお金が、死ぬまで使われなかったとしたら。
見つけた遺族か遺品処理業者がそれを見つけて使う。
ここからまた、そのお金の旅は再開される。

お金にも、行くべき場所があるとしたら?

自分のところに長く留めておいてしまうことは、お金の自由を奪うことに他ならず、言い換えると、お金というエネルギーを滞らせてしまうことになる。
来てすぐどこかへ去っていくお金は、急いでいたのかもしれない。
もしくは、すぐに使わなければいけない(支払いが差し迫っていた)状況が、急いでいるお金と共鳴したのかも。

物質の全ては、全ての物質は、エネルギー体だということが、わかってきている。
自分でも理解が進んでいます。
理解して、それを行動に落とし込めるかどうかは、また別の話なんですが。
でも、物質はすべてエネルギー体だと言った方が、色々なことがしっくりくるように思う。
それもまた、個人の都合ではあるものの。

お金にももし、ここから次に行くべき場所がすでに決まっているのだとしたら、そうさせてあげたいと、思った次第です。
その途中で寄ってくれて、ありがとう。

確定申告の時期なんです笑

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