スキニーからフレアにしたら、心が軽くなった話。
真っ先に手に取るジーンズがスキニーからフレアになった。
これまでは、ジーンズに対して自分なりのポリシーを持っていたのに。
「ジーンズはスキニーで。」
夏にこそ後悔するのだが、それでも常にスキニージーンズを好んで履いていた。
その理由はただ一つ。痩せて見えるから。
痩せることは正義でもなんでもない。そんなこと分かってるのに、なぜか常に痩せていたかった。その方が社会的優位性があるとでも思っていたのだろう。
さらに不思議なのは、たとえ体重が落ちたとしてもそれで満足せず、さらに痩せたい、綺麗になりたいという欲が生まれることだ。冷静に考えると、何かに囚われているとしか思えないくらい怖い。だって、自分を否定し続けていることになるから。
比較対象がいなければ、きっと容姿で悩むことはなかっただろう。誰とも比較しなければいいし、自分は最高に可愛いのだと呪文のように唱えていればいい。容姿は自分を定義するものではない。わかってる。わかってるのに、無意識に「痩せたい」とか思ってしまう。
そんな感じで、ノロノロと続いていた小さな葛藤が最近になって、綿あめのようにふわっとしてきた。
少しずつ、ありのままの自分を受け入れられるようになったんだと思う。
ニューノーマルな生活になってからは、色々と考えさせられることばかりだった。去年、私は生まれて初めてリストラにあい、改めて「こう在りたい自分」を模索した。予想外の転職活動となったけど、今振り返るとなんて有意義な時間だったのだろう。
不安で眠れない日が続いたので、自律神経の整え方を勉強してみたり、自分の感情をぶつけるためにブログを書いたり、フリーランスでライターをしたり、関心の赴くままに色々試した日々だった。
今は、睡眠に特化した心地よい暮らしを提供するブランドで、コピーライターとして働いている。ありがたいことに、去年に比べたら睡眠の質は爆上がりした。
うまく説明できないのだけど、最近の私は「頑張る」を自分に強要しなくなった。昔ほどダイエットに固執することもないし、メイクは大分薄くなったし、10年以上のワンレンから前髪ができたりもした。丸くなるってこういうことなのかな。
きっと、その結果として、スキニージーンズ縛りをしていた私が、フレアジーンズを好んで履くようになったんだと思う。フレアジーンズを試着した時、不思議と心が軽くなったのを感じた。何かから解放されたような。
それが一体何なのか分からなかったけど、つい数日前に読んだ『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』でハッとさせられて、今こうして100億年ぶりにnoteを書いている。
この女性は、まるで私のようだった。年齢を重ねることを否定するかのように、痩せろ痩せろと自分の体に鞭を打っていたのだ。綺麗であることと、痩せることは全く別物なのに。
締めつけていたのは足なのか、それとも心なのか。
これからは、何にも囚われずにもっとゆるっと生活していこう。台風が去った金曜の夜に白ワインを飲みながらnoteを書く自分、我ながらエモいとか思っちゃう。うん、この感じ嫌いじゃないぞ。
明日は、さぞ快晴だろうなあ。
Photo by averie woodard on Unsplash
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