社会における「政治」(官)と「企業」(民)と「メディア」の役割ってなんだっけ?備忘録

先日こちらのPRのカンファレンスに参加して考えたこと、話したことを備忘録として残しておきたい。

2点あり、そのひとつめはこちらにまとめた。

https://note.com/kayom/n/n83880cd78623

私がこれをしたい、ではなく彼らのためにやる。Giveの精神から始まる繋がりだ。これが「コミュニティ」の本来のあり方だったよな、と改めて思ったのだった。

PRパーソンが個人、事業、そして企業と何かの繋がりをつくる時、その主体のためではなく、社会のため、見えない誰かのために繋がりをどう形成していくかが今まで以上に求められるはずだと私は思っている。

そして2点目は、この1ヶ月ぐらい考えていた、社会における「政治」(官)と「企業」(民)と「メディア」(人含む)の役割の話。

最初に書くと、これは新しい話ではなく本来あるべき姿みたいな話だと自分で思っている。

新型コロナ感染症の流行により、ニュージーランドのアーダーン首相、ドイツのメルケル首相、NY州のクオモ州知事、デンマークのフレデリクセン首相という手腕を発揮されたリーダーの動きや戦略、会見を見ていて整理できた。

まず、政治とは、ビジョンを掲げ社会をつくる仕事であったのだ!ということだ。そしてそのための仕組みをつくる仕事だ。公衆衛生、経済活動、人の生活権利のバランスを鑑みながら。

政治はまったくの専門外で、おそらく普通のことを言っているわけだが(笑)、いまさらながらかもしれない。でも、私は改めて思ったのだ。今回のコロナウィルスの一件は、まさにこのバランスの取り方が問われ、どういう風に社会を構築しなおすか、それにみんなを巻き込むか、という政治のあり様を問うような出来事だ。ゆえに構造が露見し、改めて「政治」とは何かを考える人が増えたように思うのだ。

そして企業は、その機動力を生かしてそのあるべき社会を実現する。ここしばらくは、企業が強すぎて、政治が企業に幾ばくかを明け渡していたかの体になっていた気すらする。もちろん、政治と企業がすべて直結することはよろしくない。時に牽制としての機能も持ち得るべきだ。

先日のイベントでも話したのだが、マスクの供給、PPEの供給などはコンパクトな事例ながら、企業がその機動力を生かし、政治(の中でも公衆衛生と権利の部分の保証)と連携した例になったように思う。経済活動を主とするのが企業である。ここ近年、社会より個(私)の利益優先に若干偏っていたところにこのコロナが起こり、社会を重視する動きをする企業が注目されるようになった。つまり偏りからの揺り戻しが起こりつつあるように感じている。少なくとも世界はそう動き始めている。

そしてメディアは、独自の視点と見解でちょっと先の未来を描き、それにより人々に示唆と思考をもたらす

受け取る人々は、取捨選択し、さらなる思考をする。それがまた企業と政治への牽制となり得るのだなぁと。人々は情報を享受したあとに、個人として思考をする責任がある。ただただ情報を受け流したり享受していてはならないのだと思う。

以上。

特に新しい視点は何もないけど、改めて、そういう役割だったはずだよなぁ、もともと。と考えたのだった。

なお、政治もメディア論もまったくの専門分野ではない素人ゆえにご容赦ください。思考の備忘録です。



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