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これからのPRパーソンに求められること。繋がり(コミュニティ)の質と意義の見直しと再構築。

先日、久しぶりにPRのイベントに参加した。参加したイベントはこちら。

25,000人もの人が視聴し、みんなでこれからの時代のPRを考える2時間半を過ごす、という貴重な体験をさせてもらった(主催のPR Tableのみなさん、ありがとうございました)。

イベントのレポートは上がると思うのでそこで話された事は置いておいて、このイベントを迎えるにあたり、私なりに考えたことを備忘録として2回に分けて綴っておきたい(一部イベントの中でも話したこともある)。

1回目のテーマは「繋がりの質と意義」だ。

PRパーソンは、繋がりをつくること、社会と企業を、個人と企業を繋ぐこと、結びつけることがひとつの仕事だと捉えている。

今回のコロナを取り巻く出来事で、誰(何)と誰(何)をどう繋ぐかを、改めて考えるタイミングが訪れた。PRパーソンはそれをしっかりと見つめ設計しなおし、実行することが求めらる。つまり新しい、繋がりの意義と質の形成が求められる事であると私は思っている。

と、結論を書いてしまったのだが、その背景として考えたことをつらつらと書いておく。

”新しい”繋がりの意義と質 と書いたが、果たして”新しい”なのか、と言われるとそうではなく、原点回帰だと思っている。


かつてのコミュニティと昨今のコミュニティ

本来、コミュニティは地域の自治会のような地域を運営存続させるための機能として、使われてきた地域と街に根ざした言葉だ。みんなのための、みんなで運営するものだった。時に面倒なしがらみがあり、おそらく地域の小さな街で育った35歳以上の人はその顔が皆わかる連帯的な雰囲気がちょっと苦手で都市部で暮らすことを選んだ人たちも少なくはない。自分に都合が良い時ばかりではなく、地域の人がその場所で暮らし続けるために必要なのがコミュニティだと私は認識している。

そしてここ10年ぐらい、都市部を中心に新しいコミュニティがたくさんでき上がった。仕事以外で所属する場所を持つ人が増えた。地域にも移住者や若者を中心として同じようなコミュニティができ始め、それが過疎や地域課題の解決にひと役買った。それは、いわゆる趣味型、目的型コミュニティと言われるもので、何かしらの共通の目的を持った人が集うものである。時に情報交換したり、場と時間を共有したり。共通の目的を持ったと書いたが、それは、自身の仲間づくりだったり、スキル獲得だったりと、自分にとって必要な、個人の自己実現を目的とするところに起点があるものが多くなってきたように感じていた。もちろんその街の祭りを盛り上げるといったような、社会的な要素も含む目的、プロジェクト型のコミュニティもあり、それが全てではない事は添えておく。共存していた、といった方が良いかもしれない。

私のためじゃなく、私たちと彼らとみんなのため。

このコミュニティと繋がりが変容、いや回帰すると私が思ったのは、米国のNY州の知事であるクオモ氏の会見を見た時だった。

この会見についてはTiger.Shark.さんが書いている翻訳記事が参考になるので見てみて欲しい(日本語で毎日翻訳を届けてくれている。NY州知事クオモCOVID関連会見)。

該当の会見はこの4/7のものだ。


上のnoteより以下、抜粋。

コミュニティの重要性、人との繋がりの重要性、普段から良く聞きます。今、それを行動に移す時です。「私」ではなく「私達」なんです。(私が)あれをしたい(私が)これをしたい、ではなく、私が彼らに影響を及ぼす、彼らが私に影響を及ぼすことを想って。あなたの行動があなたの家族、知らない他人、そして今身を削って社会に奉仕している医療従事者に影響を及ぼします。

It’s about ‘us', not ‘me’.

ここだ。It’s about ‘us', not ‘me’. とクオモ州知事は表現する。

コロナは、自分の行動ひとつが、大事な人に、知らない誰かに、社会に多大なる影響を及ぼし、それが医療崩壊、死という社会と経済と人権を壊しうる事態を起こすということを、世界中のみんなが実感する出来事となった。逆に自分の行動、エゴを抑えて思いやり行動することによって、人を救うことも証明された。

私がこれをしたい、ではなく彼らのためにやる。Giveの精神から始まる繋がりだ。これが「コミュニティ」の本来のあり方だったよな、と改めて思ったのだった。

PRパーソンが個人、事業、そして企業と何かの繋がりをつくる時、その主体のためではなく、社会のため、見えない誰かのために繋がりをどう形成していくかが今まで以上に求められるはずだと私は思っている。

トップ画像提供者:TanteTati--77004


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