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関係人口とはぐるぐる廻る循環する

以下は、メディア十中八九(閉鎖済)に掲載されたものを運営の許諾をいただいて転載することにいたしました。関係人口という考え方、地域との付き合い方、ローカルの魅力について、何かを感じとっていただければ幸いです。

登場人物:
ソトコト編集長 指出一正
カヤックLiving 代表取締役 松原佳代

写真:平林克己
聞き手/編集/執筆:望月大作
※肩書きは掲載当時のものです

自分自身で暮らしを作るとはどういうことなのか?

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松原
カヤックLivingの会社のビジョンは「暮らしをつくろう」なんです。住宅事業のSuMiKaと移住事業のSMOUTをやっているのはそういう理由で、住宅も建築家と家を作ることに特化してマッチングする事業をしています。そういう人ってオーダーメイドで深く考えないと家は作れないので、暮らしの主役は自分自身な訳だから自分で暮らしは作ってくださいって考えなんです。その考えの延長線上に移住もあるんです。

指出
ぼくは元々、地方創生とかコミュニティとかリノベーションとは全く違う文脈の世界にいて、アウトドアやバックパッキング、釣り雑誌の編集者でした。大学4年からアルバイトでアウトドア雑誌の編集部にいたんです。

そもそも小2から魚のことしか考えてないし、今こうやっているときも、家で飼っているタナゴは今日の高水温でも大丈夫かなとか思っている。それぐらい魚が大好きなんです。

その中で、例えば、「カルトQ」というクイズ番組の「ルアーフィッシング」の回に出てみたら優勝して、これは面白い知識を持っているから正社員として雇おうって、当時いた編集部でなりました。古今東西のルアーフィッシングの知識は半端なく持っていたのでそこから編集者になったんですよね。大学のときにラムサール条約という水鳥と湿地を守る国際条約を勉強していたんですけど、それも単に釣り場に行けるからっていう理由で勉強していました。

松原
徹底してますね。

指出
結局、こういう出自が全国の首長や行政のみなさんにウケているのかもしれません。なぜかと言うと20~30代のほとんどを圧倒的な中山間地域や僻地と呼ばれる場所にしか行ってなくて。家は都内で、恵比寿や青山の一軒家を友人とシェアして住んでいたんですけど、僕はプライベートでも、仕事でも、東北や紀伊半島、中国、四国、離島などの中山間地域に登山やキャンプや釣りばかり行っていました。

そういった経験も踏まえて、首長や行政のみなさんの前で「僕はイワナのことしか考えてない」とか、「タナゴのことしか見ていない」と言うと、そういうかけがえのない貴重な魚はみんな自分のところに普通にいたりするものだから、ものすごく喜んでくれて、「うちに遊びにおいで」って話になったりするんです。そういう意味で、もしも僕が真正面から地域づくりとか地方創生をやっていたら、首長が「コイツは面白いな」と思わなかっただろうとすごく感じます。

カヤックLivingが出来たきっかけ

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指出
SMOUTとカヤックLivingはどっちが先にあったんですか?

松原
カヤックLivingの設立と同時に住宅事業のSuMiKaを譲受しています。そもそもSuMiKaはその3年前にカヤックが別の会社に売却したサービスなんです。

指出
じゃあ買い戻した感じなんですか?

松原
はい。売却する前は私がSuMiKaの事業責任者でした。その後もSuMiKaには関わる中で、家族だけで、自分の家という箱の中だけで作る暮らしから、もう一歩開いて住み聞きって言葉もありますが、家の箱の中から間口を拡げるコミュニティと一緒に暮らしを作るって生き方が、拡がってきたとは思ってたんです。

そのときにカヤックが暮らしと地域の事業会社としてカヤックLivingをつくり、私は一度独立していたのですが、呼び戻されました(笑)。それから約半年ぐらいプランニング等をした結果、移住のハードルを下げるのは「人との繋がり」だろうと人と人とのマッチングに行き着きました。

人生において買うよりも作った方が楽しいなとか自分が自己責任で選んでいく人生が絶対 happyだなという感覚はカヤックの理念でもあるけど、私の中にもあった価値観でもあります。

ローカルはグローバルで、グローバルはローカル。

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指出
松原さんは、海外に留学している期間は長かったんですか?

松原
いえ全くないです。(笑)海外経験は全くなくて、海外に移住しようと思ったのは、ある日ふと子どもが出来たときに思ったのがきっかけです。自分のしていない暮らし方で、他のカルチャーが見たいと思って、そこの中に身を置いたらコミュニケーションの質が変わるじゃないですか。

私はPRの仕事を重ねていて、カヤックでずっとブランドとPRのことをやってたんです。そうするとコミュニケーションは、カルチャーの背景が分かっていないと成り立たなくて、人とのコミュニケーションで伝わることが限られていることにすごくもどかしさを感じていました。

自分のそういう背景があったから、子どもが生まれたときには、自分の人生以上の人生というか、私はあと30年かも知れないけど、子どもはあと70〜80年あったときに、日本を出ていろんなカルチャーを知る経験をしてほしいなと思ったんです。

それで海外で暮らしたいと夫に相談したら「面白いね」となって、そこから海外も含めて暮らしてみるかとなりました。日本のローカルも面白いなって思ったんですけど、私は富山出身で夫は岐阜の美濃の出身で、だからローカルを割と肌で感じてた経験もあるし、そこはいずれ戻るとしても30〜40代のあいだに一度外に出てみようって、6年ぐらい前に海外も含めて移住を考え始めたんです。

指出
そうなんですね。僕自身もすごくローカルの人っぽく語られがちですが、元々はグローバルが好きだったんです。大学は国際関係法を学ぶ学科だったし、スコットランドに留学していたし、新婚旅行はパプアニューギニアで、ベネズエラで釣りビデオを撮っていたら、たまたま前大統領のチャベスのクーデターに遭遇したこともあります。

実はもともとグローバルなんです。アイスランドの地熱発電所を見に行って大統領にインタビューをやったりとか、そういう仕事もやった上で、いまローカルを語っています。

みんなすごく、「指出さんはローカルで、宮本常一先生に憧れていて」、って思ってくれるんですけど、それはもちろんそうなんですけど、意外と外国が好きで行ってましたね。でもそれは今考えると行っておいて良かったですね。それと同じような感じを手軽に味わえるのが、日本の中山間地域をはじめとしたローカルです。エキゾチックさは別に欧米や東南アジアだけの特典じゃなくて、実は高知に行ってもエキゾチックだし、クリエイティビティやファンタジーは東北に行っても感じられます。

何かちょっとだけ軸足をずらして接触すると結構面白いものに出会えます。最近は中山間地域に行くと、それを面白いと思う人たちが若い人の中でも、ああ、いるな、増えてるなとか、継続的に層が出来ているなってことは感じています。

松原
増えてますよね。日本のローカルってグローバルなローカルと等しいところがいっぱいあるんです。海外のローカルで成功した街づくりの事例は、それ日本の昔じゃない?って事例が割とあるんですよ。特に海外に行った経験のある子のほうが、日本のローカルの面白さに気付くし、発見出来るってことがあって、そこの共通点を繋ぐってことは割と日本自体がもっと世界とつながっていく可能性を秘めていると思うんですよ。

指出
松原さんが移住されるポートランドもそうだし、サンフランシスコもきっとエストニアも基本的にはローカルじゃないですか。

松原
そうそう、そうそう。

指出
ローカルがカッコよくて世界的に注目を受けて、それは世界的に発信しているから受けているわけじゃなくて、そのローカルがカッコいいから世界のみんながキャッチしている訳で、グローバルを目指した結果というよりは、ローカルのカッコよさが全世界的にいいね!と思ってもらった結果なんです。そこを履き違えると何かビジョンのないグローバルを目指さなきゃってなるから、僕はそれは嫌なんですよね。それはすごく嫌だな。

ふるさと探しは未知なものを探求すること

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指出
いま『ソトコト 』という雑誌やオンラインメディアを作っているんですけど、雑誌を作りながら若い人を中心とした関係人口を作る人材育成講座の先生役を10行政区くらいとご一緒しています。その一つの意義で感じるのは、横浜生まれ横浜育ちや、東京生まれ東京育ちの若い人たちがすごく多く受講してくれていること。ふるさとを本当に知らないから、ふるさと的なものが知りたくて彼らは受講してますね。

松原
ふるさとを欲する若い人が最近多いですよね。

指出
だから新しい場所を見つけようとしているというか、たぶん物足りないんでしょう。その場所に生まれ育ったことは大事なんだけど、実は昔は、もうちょっとおじいさんの故郷とかおばあさんの故郷とか、4層も5層も自分の接点を持てるべき地域があったのが、おじいさんも東京生まれ、おばあさんも横浜生まれだから、やっぱりみんなそこから円が広がらないんですよね。だからもっと波状に広がっていくためには、意識的に場所を見つけに行かなくてはいけない。

ただ、じゃあ国土地理院の地図を見ても、やっぱり地名で飛び込んでくるのは、京都とか大阪になってしまうわけです。南砺とか野々市とか面白いところが日本の各地にはあるけど、地名としては読めない。めっちゃ小さい文字の級数だから、拡大しないと出てこない。僕は「地名の読めない地域に行ってみよう」とよく発信しているんですけど、実はそこに行くことがものすごく自分にとっては面白く大切な出会いがあったりするんです。

だからたぶんSMOUTさんがやられていることや、僕が人材育成の講座をやったりとか、去年の11月には見様見真似で「イタ」という求人サイトを作りましたけど、あれもなるべく一人ひとりが地域に接触する、出会うというか接触することを作り出していくサービスはあったほうがいいと思ったんで作りました。

松原
たぶん人って知らないことに関心がないだけで知ると面白くなるんです。私は一年半前まで海士町は読めなかったんです。うちの会社に入ってきてまだ地域のことを知らないと、神山と聞いたら上山と書くんですよ(笑)。ふるさと納税ひとつとっても、いろんな地域を知るようになって去年の年末に、地名で探してふるさと納税をしたんです。それでやっぱりここの土地はこういうことがあるから関わってあげたいとか、納税してあげたいという気持ちで地名から探すわけですよ。

例えば北海道の厚真町とか去年地震があったから厚真町にしようとか。そうなったときに人生が拡がるっていうか見える人が増えるのは楽しいことだと思います。実はSMOUTの初期のプランニングに関わったメンバーのうち、一人を除いて全員地方出身者だったんですよ。そのせいか地域のどこが面白いの?みたいな雰囲気が最初あって、なぜみんなはこんなに地域に行きたいんだろう、いつでも私たちは行けるしみたいな感じで、そこの再発見から始めるようなスタートでした。それが今は結構若い子たちがふるさとを求めているんですよね。

価値観の転換がはじまっている。

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指出
僕のイメージでは、お金の使い方の変化として資格や経験を買うのももう古くなり、モノは当然お金で買えるものは当たり前だし、今はやっぱり、関わりや関係にお金を払う人が爆発的に増えてきたんじゃないですかね。いろんなクラウドファンディングサイトでああやっていろんなプロジェクトを立ち上げられてキュレーションすると、これにお金を払うことが何で自分が楽しいのかを経験値が貯まり高まってくる人が出てくるんです。

自分の仲間みたいな人が地域で頑張っていたら1000円とか1万円とかで応援してみようとか、すごい素敵な蒸留所を作るなら自分もそれに乗ってみようとか、ただのいわゆる数字の対価や利益じゃなくて、心の中での交換、質の交換みたいなものをそのサービスを使ってやっているから、単純に1万円をお前は払っているから結局は普通の経済じゃないかって言い切れないようなことが起こってきてますよね。

松原
もらっているものが実体のあるものじゃなくて、つながりだったりとかそういったところに価値観を置く人が若者はすごく増えている。去年一年間それは何でなんだろう?と考えていました。去年の10月ぐらいに出会った大学3年生くらいの女の子がいて、彼女は自分の家があることに全く安心を覚えないって彼女は言ったんですよ。それよりも日本全国に友だちがいて繋がっていて、帰る場所がいっぱいあることが安心だし幸せだと思うと言って、「へえ、それどうしてそう思ったの?」と話を聴いていたら、中学生ぐらいのときに東日本大震災を見ていて、それがすごく印象に残っていると言っていました。それが根底にありそうだと。

そこで所有することよりも無くならないものは繋がりであって、関係性だけなんだって思った20代前半がすごく多そうだなと感じました。そこは多拠点居住とかアドレスホッパーの考え方もおそらく一緒で、何か一箇所にマイホームを構えて絶対的な自分の空間を作ることよりも、いろんなところに帰れる場所があるほうがいい。でも40歳の私はそうは言っても自分の空間がほしい(笑)。

指出
僕もたまたま東京にいるとき、僕の部屋は一畳くらいの小さな部屋なんですけど、ずっと閉じこもってます。それでリールをずーっと見てます。そこは元々トイレだったところをリノベーションしてるんですが、そこが僕の唯一の部屋なんです。間取りはまさに一畳で寝るところは別であります。そこにいることが僕にとっての家に戻り、また外へ行くためのトランジットルームみたいな感じです。

松原
以前うちのサービスで小屋を売っていたんですけど、最初みんな問い合わせでは小さい部屋が良くて小屋が立てたいって言ってくるんですよ。でもみんないろんなことを想像して暮らしにフィットさせていこう、これも欲しい、あれもいいねっていうのが広がっていくと、結局同じ家になってしまって小屋じゃなくなるんですよ。小屋を求めていたはずが建ったら普通の家になっている訳です。ミニマリストに憧れるんだけど出来ない。

所有することになれていて、それを切り離すことへの恐怖心、でも本当に大事なことってそんなに無いはずなんですよね。たぶん指出さんのその一畳でいいんです。でも何かに対しての備えとか何かあったとき、何かあったときって、そんなことは365日に1回あるかみたいな話なんですけど、そこを求めちゃうとそうなるんですよね。

関係人口の話

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指出
なかなか移住まではいかないけど、観光では物足りないとかもっとローカルの人との接点を継続的に深めたいなって人たちが関係人口と言われるようになりました。

これはたぶん多拠点とかアドレスホッパーとかハンモサーフィンとかいろんなものに、ものすごく親和性が高いんだろうなって思っているのと、もうひとつ僕は堅いほうでも大事な視点だと思っているのは、関係人口は基本的には共助の関係だと思っています。

ローカルにいる人たちは都会(首都圏)から若者がやってくることで若い人たちの接点が生まれて、若い人たちはすごく故郷が出来て嬉しいじゃないですか。じゃあ反対に迎え入れる側は迎え入れるだけなのかと言うと、東京に自分の甥っ子みたいな人が生まれるとか、大阪にそういう若い人たちとの繋がりが出来ることは、実はお互いが助け合う中の最初の基本みたいになるから、僕は例えばこれから自然災害とかいろんなことが起きてくるときに、自分がちょっと距離の離れている場所に知り合いがいることは安心安全にも繋がる。だから堅い話をすると関係人口が拡がっていくと、お互いに共助の関係になったりすることもあるので、大事にしたいなと思うんですよね。

若い人が拠点を新しい地域に持っていくことは、実は一方的ではなくて双方向なところも多分にあるような気はしています。地方の行政の人たちは都会に知り合いがすごく出来た結果、夜飲みに行くような仲が出来て、東京への出張が楽しくなったそうです。そういう小さなところもすごく大事だし良い気がしますけどね。それまではとんぼ返りとかよそよそしい関係だったのが、友達のような人たちが東京にも出来たことはものすごくいい気がします。

松原
いいですよね。この前、昔は周辺に大きな病院がないような田舎に住む人は、体を壊すと親戚を頼って東京の病院にお世話になるみたいな構図があったと聴き、それが核家族になると同じようにはいかなくなってきて、若い子が来たときは、何か体を壊したときにそういう対応が出来るとか関係性が出来る可能性があるのは、すごく関係人口の在り方として素敵ですよね。

指出
その土地に親戚のおじさんやお姉さんが出来る感覚だって表現してくれるような受講生の方もいるので、それはすごくいいんじゃないですかね。

松原
SMOUTは募集側にはそのエリアに足りないピースを募集してくださいって言っているんですよ。この前募集の話しをしているとお母さん募集とか娘募集って始まったら面白いとなり、別に本当の娘ではなく娘の役割を担う人の募集で、その地域に娘に来てくださいみたいな感じで。Ciftみたいな拡張家族の近しいところにあると思って、拡張家族の延長が関係人口とのセットになりそうですね。

指出
ものすごく近いですよね。この前Ciftの石山アンジュさんにお会いしましたけど、やっぱりシェアリングエコノミーと関係人口ってどっちも通底しているところもあるので、キーワードとしては違う発信をしているかも知れませんけど、関わりを深めていくのは双方向になっていくとシェアの思想になったりします。

定住と流動性と回遊性のあいだに

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指出
僕も最近思うんですけど、いま自分が住んでいるところは築約40年の外国人住宅だったところをリノベーションして、奥さんの意向ですごく民藝の似合う家にしたんですよ。鎌倉の手仕事フォーラムさんの関係の方が設計してくれたんですよ。手仕事フォーラムさんが提案している家のスタイルなんで、和洋折衷なんですけど、機織り機も置いてあるんですよ。うちの奥さんがそういうものが好きなんです。

面白いんですけど、それでも東京に自宅があって、でもそれ以外の場所にも自分としてはもうちょっとローカルに自分のファミリーみたいな拠点を持ちたいなって最近すごく思っているんです。それを僕が1軒持ってもいいし、サブスクリプションじゃないけど、自分の仲間うちでお互いに登録しあって、例えばうちの実家の群馬の家に、奈良の方が来て自由に使っていいですよみたいなサービスを始められると面白いのかなって思ったりしますね。

松原
いいですね。何かそういうのをみんながチームを作ってゆるやかにいっぱい作れるそんなサービスがすごくいいと思います。

指出
そうですね、お互いの顔の見える範囲の中での関係性。10軒くらいの各地域の家をみんなでシェアするみたいな感じで。

松原
それいいですね。私は移住先のポートランドの家を提供しましょうか(笑)近しいサービスはアドレスはじめ今年はかなり出てきましたね。

指出
きっと多拠点元年みたいになっているんでしょうね。二拠点を飛び越えて多拠点になってきましたね。二拠点だとすごく真剣味が増してしまうんですけど、多拠点だといくつか持っている中の一つって感じになるので、それぐらいハードルの低い考え方になっていくと良いかも知れないですね。

松原
それのほうが関係人口も増えそう。

指出
そんな気がしますね。

松原
決めなきゃいけないっていうのが、移住も定住しなきゃいけないと思った瞬間すごくハードルが上がるじゃないですか。地域の人は定住してほしいんだろうけど、本当に移す住まいぐらいの感覚で決めないと。

指出
たぶんこれからは流動性の人たちのグループと回遊性の人たちのグループと、あともう一つはたぶんものすごく定住型の土着の人たちで、3つの円みたいなものが出来てくるんじゃないですかね。流動系の多拠点の皆さんがこの次はどうするんだろうとか僕も楽しみなんですけど、法制度が着いて行くのかなーとか、ライフステージが変わったときにどうやっていくのかなど考えますね。回遊性はけっこうファミリーでも出来たりするだろうし、もう一つはずっとその場所が好きだっていう定住型の人たちの3つが、どういう形で日本の中に拡がっていくのかなって気はしますよね。

松原
流動性と回遊性の話ですけど、そこって飛び越えると思います? 属性的に決まっていると思います?

指出
これはいい質問ですよね。僕はものすごく移動し過ぎると疲れるタイプなので(笑)

松原
私もどちらかと言うとそっちのタイプなんですよ。

指出
皆さん僕はすごく飛び回っているから(笑)って言うんですがね。

松原
ローカルの仕事をしておきながら、こういうことを言うのも何なんですがみたいな。

指出
でも、それは割と仕事だから出来るし、頑張らなきゃなというのもあるからやってますけども、どちらかと言うと、流動性よりも回遊性の人だと自分は思っているので、だいたい年間で自分の行く場所は定点で何箇所か決まっているんです。そういう意味で回遊性の人は毎年その時期に当然ある想定出来るものがリストになっていて、季節によって回遊している。流動性の人たちは次の刺激を求めて全く違う場所に行く。でもその中で回遊性の人は流動性にはあまり行かないと思うんですけど、流動性の人は回遊性に降りることはけっこうあると思うんですよね。

松原
ライフステージの変化みたいな?

指出
そう、ライフスタイルの変化。そこから例えばお子さんが流動性に入っていって、お母さんやお父さんやファミリーは回遊性の中に行って、だんだんこう定位置に戻るみたいな。

松原
定位置。定位置は生まれ持った属性みたいなものがきっとある。でもそれはライフステージで少し移動はするかも。何かそこが決まっているのかなって考えるのは、人間が変化に強い生き物かどうかって議論にもちょっと似ていて。最近その議論が好きなんですけど、そこの定住のタイプの人たち、その人たちって言うのは変化するってことを知らないから、意外と多くの人が今までそこにいて、その人たちは流動性や回遊性に気づいたときに変わる人はどれくらいいるんだろうってことをよく考えています。

ビジネス的にもこれからの日本を考えたときにも、流動性と回遊性を増やしていかないと、そのローカルにどうしても人がいなくなっちゃうから増やしたい思いが個人的にはある。そこの人たちが気づけば変化できる人たちなのか、それともやっぱりここの人たちは変化が苦手だから、基本は変化出来ないのか。どれくらいの割合なんだろうってことを悶々と考えてます。

指出
分かりますね。

日本はなかなか天変地異でしか、そういうことって起きないですよね?
指出
それは望月さんの言うとおりで、関係人口は3.11以降に増えたって言われますけど、僕の中では2004年の中越地震のほうが先だろうっていうのがあって、2004年の中越地震で国際NGOがどんどん日本の山古志や十日町地域に入ったわけですよ。それまではグローバル志向でいわゆる台湾に行くとか、割と震災といったらインドネシアに行くみたいなのが多かったんですけど、日本でとんでもないことが起きたんで、日本にいるけど海外のNGOの支部だったり、海外志向のNGOやNPOがあの頃はたくさんあって、若い人たちには、そういった組織を通じての社会貢献を、国際的に行う志向の強い人たちが多かった。

日本のローカルに目を向ける若い人たちが初めて生まれたのは、今のこのスパンでの考え方だけで言うと、2004年の中越地震です。それで初めて十日町とかあっちのエリアにこれまで海外を見ていた若い人たちが、ボランティアで入りました。すると「なんだこんなすごいところがあるんだ!」と言って、人懐っこいおじいちゃんおばあちゃんに会い、いやここで私たちも一緒に何かやらないとっていう意識が強く育っていった。ちなみに「移住女子」という言葉は新潟の十日町エリアで生まれた言葉と言われていますが、ここが起点かもしれません。

松原
じゃあ、そこが元年というかスタートなんですね。

指出
そう、そこからスピードを上げたのがやっぱり3.11だったり、別の重要な視点で言うと、2004年の福井豪雨の水害とかもあるんですけど、おっしゃるように何か関係人口的な若い人の流れは、社会的には辛かったり、悲しい出来事と意外と表裏一体だったりするのはある。

基本はものすごく大きなダメージがあった場所に、血縁や地縁といったそういう理由は何もないのだけれども、必然性を感じた若い人がたぶん出会うわけです。その出会いで東北って場所を見つけたんだろうなと。そうでないと東北はすごく好きな人にはずっと好かれているけども、知らない人には知らないままだったかもしれないので、3.11はさっきやっぱりおっしゃられたように若い人たちが接触して、東北に気づくきっかけにはなった。あと大きい企業さんも。特にITの企業さんが東北に深く接点を持たれた経緯になったと思いますね。

松原
流動性と回遊性の話は面白いです。

指出
これは魚の成長の度合いと同じなんですよ。

松原
でも魚は変わらないじゃないですか。流動性のものと回遊性のものと。変わるんですか?

指出
変わるんですよ。歳を重ねると一箇所から出てこなくなるんです。

松原
じゃあライフステージってところは同じ生物だから人間にもありそうですね。

指出
似てますよ。肉食の魚も草食の魚もやっぱり最初は流動性で回遊性になって最後はやっぱり定着して、ある場所一番いい場所が見定められるようになると、その場所から動かなくなる。

つながりと孤独は薄氷な表裏一体

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松原
どうやったら別のところにいけるか、何かから一回逸脱しないと出会えない。仕事を辞めるのはその一つの方法だとは思うんですけど、ルーティーンを外すっていうのが通勤時間はまさにそうですね。ルーティンを外してみる、変化を自分で起こしてみるところからしか気付けないんじゃないかなって思いますよね。

指出
僕はおかげさまで、いろんな場所に「レンタル機材」として行くようになって、その後、日本の各地域の方々にすごく良くしていただいて、僕の心から大好きな人たちが日本全国にいっぱいいます。だから、普段もすごく友だちが多い人なんだろうなと思われがちなんですけど、でも僕自身はむしろどこかのグループに属することをもう高校のころからあまりやっていない人なので、ある意味で孤独なんですよね。こうやってお話をするのはすごく楽しいんですけど、一方でやっぱりどこにも属していない感情を意識的につくってしまった結果、寂しいなって思うこともけっこうあったりします。そういうことはないですか?

帰る場所って最後はやっぱり家族になりますよね。
松原
それは一緒かも。家族ですね。属する感覚は実は私も持ってなくて、高校までは分からなかったけど、大学で東京に来てぐらいからあまりなくて、私は松原佳代であることは変わらないんだけど、それがどこの所属ってことはあんまりこだわっていない。私はカヤックに10年以上いたんですけど、それは属することを求められなかったからなんですよね。あの組織は。個が重要だったから。広報だったからカヤックというブランドを守ってはいたんですけど。私は私、自分の価値観で選んでいきたいとずっと思って生きてますね。

指出
ソトコトもオンラインメディアを手探りでやってますけど、紙媒体のほうは今年で20周年なんですよ。20年やっていると読者層がどんどん変わっていくんですよね。前はやっぱり40~50代の可処分所得の多い方々が環境負荷のないものを選ぶとかっていうものを読んでくれていたんですけど、今はもうコミュニティやローカルが好きな20~30代が興味があるようなときに買ってくれる形になって、やっぱりガラッと変わったんですよね。

メディアもコミュニティだとしたら、やっぱり変わっていくもんなんだなってことをここ20年、定点で見ていますね。自分の中でコミュニティやグループに関して、一方でドライな視点になっているのはそれもあるのかなって気がします。もういつか変わっていくものなので。

例えば90年代後半に最初に出来たNPOは、みんな新しい人が入ってこないくらい古くなっちゃって相談も受けるんですけど、でもやっぱり「~を植樹する会」みたいなタイトルのNPOに若い人はなかなか入れないですよ。もっと遊びの感覚があったり。だから20年のスパンで物事を見ると、最初の志でコミュニティが出来ても、あるときに辞めたり入れ替えないと難しいんだろうなと感じます。

松原
変化への適応力みたいなものはあったほうが幸せに生きていける気が、私個人の感覚としてはあるんですよね。立場とか役割とかは一過性のものじゃないですか。だからそのときに置かれたある一地点で一番ベストな選択をする。私は海外へ移住するとき代表を辞めるか辞めないかもけっこう考えたんだけど、代表を3人にすることに決めた。でもそれは今の役割で半年後はもし不要になったら辞めることもあるだろうし、別の役割になればいいと思っているし、若い子がいいと思えば若い子を代表にすればいいと思っています。

何かに囚われず個であり続けるって感覚はあります。シェアハウスで暮らす家族に会ったときに、みんな何でシェアハウスをしようと思ったんですかと伺ったらシェアハウスに住むと喧嘩が無くなるって。家族だけだとお互いに依存しあって、ある意味共存関係になって喧嘩も増えるんでしょうね。でもシェアハウスに住んだ瞬間に個と個になって、依存がなくなるから、喧嘩の頻度は減るのかなぁと。コリビング、シェアハウスなど、共有や共存という言葉のわりには、個は自立、分離している状態ですよね。

指出
(シェアハウスに住んでいるのに)一人で住んでいることに限りなく近づいていくんですよね。一人でいる感覚に近づいていくのがそのシェア家族の論理なんでしょうね。

松原
シェアとか言っているのに、あれ〜〜みたいな。

指出
旅行も二人で行くと喧嘩になるけど、三人で行ったほうがバッファがあってうまくいく。「海外旅行は三人で行け」って先輩に教わりましたよ(笑)

余白という名の雑味の重要さ

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指出
これは僕の中では縦走型の生き方と言ってるんですけど、ぼくは趣味でずっと山登りをやっていました。ただ、けっこうたくさんの百名山を登っているにもかかわらず、富士山には登らなかったんですね。なぜかと言うと富士山のような直登型の山は僕の中では興味がなかった。それよりも、4泊5日とか5泊6日の道程で、1回稜線に出て、また降りて、停滞してみたいなつづら折れの縦走の方が、明らかに山登りの醍醐味を感じていたわけです。それをやることが面白いと思っていたので、人生のキャリアがどっちに動こうとも構わないんですよね。

最終的に僕が直球で評価されることはないから、基本的には「タナゴめっちゃ詳しいじゃん」とか、「70年代のリールあんなに持ってる」とか、そんなことでしか評価されてないですが僕の中ではありがたい。やっぱり雑味みたいなものはあった方がいいし、人生は迂回をした方がいいと思います。

大学のときゼミが一緒だった博報堂ケトルの嶋浩一郎くんはまさにいろいろな周縁の知識をそれはたくさんたくさん持っていて、彼は企画を作るうえでものすごく遠回りの知識を持っているから、全く明後日の話が出来るし、それはすごく大事なことです。ただ、若い人は別に自分の好きなことをすごく真剣にやる時期があった方がいい。僕も釣りのようにそれしかやらなかった時期があって今があるから。徹底的に自分が好きなものが、建物なのか、ローカルなのか何でもいいと思いますが、真ん中に芯をちゃんとしっかり作るタイミングでは、他の知識がたとえ欠落していても構わないなって思いますけどね。

松原
流されずにそれを選ぶってことも重要だと思っていて、雑味に近しいと思うんですけど、私は余白を大事にしたいと思っています。その余白があると自分で選択できると思うんですね。例えば浪人することも一つだし、どこかの会社が留年採用をやってましたけど、留年することも一つだし、周りと一緒に歩まずに何かーつ立ち止まったときに、自分の好きなものだったり、周りと異なる選択をした経験があるかないかはキャリアだったり人生の暮らしの中で大きな関わりがある。

ほとんどそこで得たものが、嶋さんの話もそうですけど、結果的にアイデアを掛け合せます。ほとんどのアイデアは掛け合わせで生まれてくるじゃないですか。それが自分が今やってることへ何を引っぱってくるかの幅が広がるから、結局面白いものが出てきたりして、それは事業でもそうだし、暮らしの空間や、この対談場所の喫茶ランドリーなんかもまさにそうですよね。

そんな人が好きだなぁと思っていた、余白を持ったメンバーがいっぱい集まってきちゃいました(笑)。暮らしをつくる会社だから、それぐらいの遊び心と他の人とは異なる生き方を選んだ人が集まって、生み出していければいいかなと思っています。

何がスイッチを押すきっかけになるのか

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指出
例えば渋谷が大好きで渋谷のイベントに令和元年にワーっと行くとか、ハロウィンでワーっと行く人たちは、その人たちがローカルに興味を持つのかって言ったら、グループで説得しても持たないと思うんですけど、一人ひとりを個別に口説き落とすと、ローカルを見つけてくれるんだろうなって気がします。一人ずつの説得作戦みたいにしていくと、思った以上に。そのほうが5年経ったときに結果が出たりしますよ。

松原
そうですね、何かやっぱり一人ずつ説得すると動くというのは私もそう思います。SMOUTをやっていると動くんですよ。一人ひとりメッセージを送って「来ない?」って言ったら意外と人は簡単に動くっていうのも気づいたことで、動かないと思っていた人もどう?て言われて、ちょっと来てみない?と言われて切望されたら、ちょっと行ってみようかなと思うのは人の心だなって思って、行ったら今度はいっぱい寄ってくるから、嬉しくなるじゃないですか。

指出
これはあれですよね。メールも連名で送られると返信しない。メッセンジャーでも要望が多いと返信しないとか。

松原
わかるわかる。

指出
やっぱり個別なんですよね。どの時代も個別なんだなって。

松原
顔が思い浮かぶって重要なんじゃないかと思って。最近すごく大きな心境の変化があって、私は富山が実家なんですが、先週初めてUターンしたいと思ったんです。金曜日に富山へ出張へ行って出会った人たちが面白かったんですよね。今まで富山に行ってワクワクして何かがコトが起こったり、共有して何か起こせるイメージが沸かなかったんだけど、この人たちと一緒に何かをしたら本当に面白いかもって思った瞬間があって、20年で初めてUターンしたいって思ったんですね。

指出
僕も富山ですよ。

松原
え? いつ? どこで? そうでしたっけ?

指出
おばあさんが黒部なんです。そう、だから黒部によく行ってましたよ。

松原
いますごく黒部は新幹線が通って行きやすくなりましたよね。

指出
そうなんですよ。だから僕の中では蒲鉾は、鈴廣の蒲鉾も大好きなんですけど、原体験は富山の蒲鉾です。

松原
富山の蒲鉾美味しいですよね。昨日実家から蒲鉾がたくさん送られてきましたけど(笑)

私は今まで出身地という関係人口しか富山とは持っていなかったし、持とうともあまり思わなかったんだけど、初めて出身地以外のもう一歩踏み込んだ関係人口になってもいいかと思って、でもそこまで私の動かされたものは何だったのかなと振り返ったんですね。やっぱりそこで求められるわけじゃないですけど、ハマる場所を教えてくれたっていうか、向こうからここに来たら楽しいよっていうアプローチを見せてくれたっていうことが大きかった。

でも関係人口への成り方っていうのはこういうことなのかという実体験を自分がした感じがしていて、自分がそこの中の何かの1パーツに、何がしかになるっていう感じの地域で、逆に言えば地域はその感覚を上げれば、みんなその地域に来てもいいかもっていうか、関係人口になるんだろうな。それを持たせてあげられる。

指出
いま僕は東京の世田谷区の尾山台って街がものすごく良い街だと思っているんです。東急大井町線の尾山台なんですが。

松原
私以前に九品仏に住んでいて

指出
僕はいま上野毛に住んでいるんです。

松原
あの辺りは良いところですよね。

指出
尾山台のおやまちプロジェクトっていう東京都市大の坂倉先生とか尾山台小学校の校長先生とか駅前のタカノ洋品店の高野雄太さんという若い男性の方とかが街づくりをやっているんです。これはすごく森に例えられる良い話だと思ったのは、実は東京でルーティンで駅を使っていると、自分の街を知っているように思うけれど、5分前に電車に乗っている人のことは知らないですよね。15分後に乗る人たちも知らなくて、それだけでも全然違うレイヤーの人たちが暮らしている。

森の中で例えばある時間帯はアナグマが歩いていて、深夜から早朝になるとツキノワグマが歩いているけれども、昼間は普通に何もいないかも知れないけど、時間で棲み分けたり使い分けをしているのが森なんですけど、駅もそうなんですよね。

そこには接触の論理がないから、いつまで経っても同じような人たちにしか会わないんだけど、それが接触するきっかけになる装置をそこに作ると、実はこんなにいろんな人が尾山台にいることが分かる。それぞれが役割分担が出来る形で子ども食堂が生まれたりとか立呑のBarが生まれたりとか、駐車場でキャンプのイベントが生まれたりとか、歩行者天国で学生がゼミをするようになったりとか、ものすごく掛け合わせが生まれるんですよね。

だからさっき松原さんがおっしゃられたようにハマる場所があるっていうのが、導き出されるローカルが増えれば、例えばちっちゃい忙しい通勤ラッシュとかが大変な都内でさえもそんな街が出来るってことは、それは他の地域でも同じことが言えます。

松原
それはその通りですね。

指出
周りに人はいないって言っているけど、その5分のレイヤーには見える限りしかいないけど、5分前と5分後を足せばけっこうな数になるんだってことをみんなは知ったほうがいいでしょうね。

松原
人は平面にしか物事を見ていないんだけど、もう一つ軸を作るといろんなコネクションが出来るんでしょうね。

指出
そうです、そうです。僕はよく海に例えるんですけど、海もやっぱり二枚潮とか三枚潮で、上の潮の流れと真ん中は潮が逆を流れていたりして、すぐ魚釣りの話になっちゃいますが、おもりをちゃんとそこに沈めるためにはどのくらいの潮の流れが層になっているのか見ないといけない。それぞれの層にいる魚の種類が違ったりするから、たぶん人間が暮らしているここもいくつかの潮目があって層がいっぱいあるから、その層同士が違う人の交流をどう図るかってことは割と街づくりとかぐらい大事なんでしょうね。

松原
いま話を聴いていて分かったんですけど、私はたぶん関係人口として富山と高校までしかいないわけですよ。そこそこまでの関わりしか今までなくて。

指出
僕も群馬の高崎では昔それを感じていました。

松原
そこから一歩出たんですよ。そうしたらこんなに面白い可能性がある。こことここをつなげたら面白いとかそういうのが見えた瞬間に変わったんだと思います。

指出
それを見つけるためにはどうしたらいいと思いますか? 松原さんとか僕は仕事的なものもあるし、要は平日の日中に富山にいることを許されたり、高知にいることを許されるじゃないですか。

松原
それは、、とりあえず、、仕事を辞めますかね(笑)

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PROFILE
指出一正

1969年群馬県生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業。島根県「しまコトアカデミー」メイン講師をはじめ、地域のプロジェクトに多く携わる。内閣官房「水循環の推進に関する有識者会議」委員。環境省「SDGs人材育成研修事業検討委員会」委員。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「人材組織の育成・関係人口に関する検討会」委員。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ新書)。趣味はフライフィッシング。
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松原佳代

富山県生まれ。お茶の水女子大学 人間社会科学科 心理学専攻卒業。コンサル、編集を経て、2005年面白法人カヤック入社。広報、新規事業の開発およびグロースを担当。2015年に独立し、(株)ハモニア(現みずたまラボラトリー)を設立。スタートアップを中心とした広報戦略および広報育成の支援に取り組む。2017年より(株)カヤックLiving代表取締役を兼任。2018年に移住スカウトサービス「SMOUT」を立ち上げる。
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みずたまラボラトリー
SMOUT


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