「松戸市100人カイギvol.2」レポート
なにかもっと面白いことないかな?松戸に住んではいるけれど、ちょっと刺激が足りないな。そんなことを感じているひとにおすすめのイベントがあります。それは、
「松戸市100人カイギ」
松戸には、気づかないだけで、たくさんの「面白いこと」があふれている。
そんな面白いことをしているひとを呼んで話を聴き、集まったひと同士で知り合い語り合う、そんなイベントが松戸で始まっています。
第2回の5月11日のゲストは次の5名です。
①松村大地さん(まつど暮らしの保健室)
②森田恵さん(KAEL-project)
③高山ベンさん(ベン・デザインオフィス)
④石井省三さん(ぱそこん119)
⑤渡辺友紀子さん(松戸ビール)
第1回のレポートはこちらです。
「100人カイギ」とは?
「100人カイギ」というイベントは、2016年に港区で始まったイベントで、全国各地に広がっています。毎回5人のゲストを招いて、20回、合計100人の話を聴こう!というイベントです。
松戸で活躍する100人の話を聴いて、お互いに刺激を受け合って松戸市をよくしていこう!という、地域をよくする、活性化のためのプロジェクトです。ゲストのお話を聴くだけではなく、参加者同士の交流の時間がたっぷりと取られています。
「100人カイギ」という場での偶然の出会いが何かを生み出すかもしれない、いや、生み出したい!というのがイベントの目的。松戸で何かを始めているひと、始めたいひとにはもってこいのイベントになっています。
司会の秋山さん(東葛クリニックみらい副院長)の挨拶のあとは、さっそく参加者同士の自己紹介を兼ねたアイスブレイク。会場のあちこちで興味津々の輪が広がります。
グループを何度か組み替えて、自己紹介タイムを繰り返すと、会場はすっかり暖まりました。楽しい活気ある空気の中、トークセッションが始まります。
①松村大地さんの話
NPO法人まつどNPO協議会コーディネーター
一般社団法人まつど地域共生プロジェクト(Mi-Project)まつど暮らしの保健室代表
今日は僕のことと、今やっていること、これからしていきたいことをお話ししたいと思います。改めまして松村大地です。松戸生まれ松戸育ちですね。今年32歳です。理学療法士の免許を持っています。
普段は「まつどNPO協議会」というところを本業として、基本的には矢切の「まつど市民活動サポートセンター」で働いています。他には、「まつど地域共生プロジェクト」の理事長をしていて、その活動の一環で「まつど暮らしの保健室」ということもやっています。
今日の話はこの「まつど暮らしの保健室」が中心になるかと思います。
「まつど暮らしの保健室」を行っている「まつど地域共生プロジェクト」は松戸のインクルージョン(多様性包括)プロジェクトです。この頭文字を取って「Mi-Project(ミィ・プロジェクト)」と呼んでいます。覚えてくださいね。この団体は今、主に3つの活動をしています。
ひとつが「Mi-Study(ミィ・スタディー)」。いわゆる勉強会なのですが、堅苦しく学ぶのではなく、学びながら学んだことを参加者でシェアして、お互いフィードバックしながら気付きを得ていく場づくりをしています。
ふたつめが「Mi-Leaning(ミィ・ラーニング)」。関わっているメンバー向けの場で、自分を知ってお互いを高め合えるように作っています。メンバーは医療福祉関係のひとが多く、職業は近いのですが、改めてひとりひとりの違いや多様性を意識する機会でもあります。
3つめが「まつど暮らしの保健室」です。健康、医療、介護などの相談や話し合いの中で、日常生活の伴走として寄り添っていきたいと思っています。
僕のやりたいことって、自分や自分の大切なひとたちが「笑って最後を迎えられるように」ということなんです。大けがや大きな病気、障害って、そのひとの生活をガラッと変えてしまうものですが、僕はそこに違和感があると思っています。
ケガや病気、障害のあるなしで、ひととの関わり方や生活へのモチベーションが変わってしまう。生活者としての主体性や自律性が損なわれてしまう。それなのに、僕が理学療法士として関わるリハビリテーションは断片的な支援になりがち。そこにも課題を感じました。
そんな中で自分自身がほんとうにやりたいことって何なのだろう?と考えた時に、小学校の文集に書いた「今を素晴らしい今に」と「最期は笑って死ねるひとになりたい」という言葉に再会しました。30歳の頃です。
さらに、理学療法士の自分が大切にしているリハビリテーションというものの可能性をもっと広げていけるんじゃないか?と思ったこと、役に立てるチャンスは地域にごろごろ転がっていると感じたことが、Mi-Projectを立ち上げるきっかけになりました。
松戸という地域で、住んでいるひとたちと、医療福祉介護の専門職のひとたちと一緒になって、もっといい街にしていけたらいいなと思っています。さまざまな専門性を持ったひとたちとコラボレーションしていきたいです。
アフリカのことわざで「早く行きたいならひとりで行け。遠くに行きたいならみんなで行け」というものがあります。僕は遠くに行きたい、みなさんと力を合わせて松戸をいい街にしていきたいです。ぜひよろしくお願いします。以上です。
②森田恵さんのお話
KAELプロジェクト(カエルプロジェクト)主宰
豆のちから
松戸市みのり台に住んでおります、森田恵と申します。社会福祉法人「豆のちから」で、知的に個性をお持ちの方の労働支援をしております。
他には、ヒップホップダンスを子どもたちに教える仕事もしています。そしてKAELプロジェクトを主宰しています。安全に暮らせる知識を養う「ぷちおはなし会」と無添加やグルテンフリーなどの簡単お菓子作りのワークショップです。
無添加の焼き菓子への情熱は、市川で社会福祉法人に勤めていた時からです。研修など勉強の機会もたくさんあって、味や形などアイデアがたくさん出て止まらなくなりました。でも、職場ではそんなレベルは要らないと制限があって。私はバランスが取れなくなってしまいました。
そこで、その職場を辞めて、その翌月に「焼き菓子まごっと」というお菓子屋さんを起業しました。アイデアをフル活用して、さらには数年前からグルテンフリーにも目覚めて、米粉でのお菓子作りにも挑戦してきました。
レシピが増え、たくさん焼いていく中でふと、作って売るだけよりも作り方を教えた方が、子どもたちに無添加のお菓子を届けることができるんじゃないか?って思いました。そこで、「まごっと」のオリジナルレシピを使ってお子さんのいるママ向けに、お菓子作りのレッスンをするKAELプロジェクトを立ち上げました。
安全に暮らすための情熱は「モデーアJapan」というブランドで学んだ知識からです。未来の子どもたちのために、というコンセプトに共感し、16年間製品を愛用しています。KAELプロジェクトは、お菓子作りとこのお話の二本立てで行っています。
モデーアJapanHP↓
ここで、なかなかしない話をしますね。
私は父の顔を知りません。母は小さい私を連れて実家に戻りました。で、母は会社に勤め始め、夜遅くまで帰りませんでした。
実家の祖父母は八百屋を営んでいましたので、忙しい中で私の面倒を見てくれました。忙しくて送り迎えができないという理由で、私は幼稚園にも行けませんでした。ひとりでテレビを見て、肩身が狭いな、居候みたいだなって、ちょっと寂しい幼少期でした。
私は誰かに必要とされているのかな?と思って育ったものですから、おとなになって結婚して母になった時も、誰かの役に立ちたい、必要とされたいという思いがありました。お菓子作りもモデーアJapanも周りに伝えていくことで、よりよい生活のお手伝いができるかもしれないと思っています。
誰かの役に立てる自分になれることを目指してKAELプロジェクトを開催しています。今はお子さんとママがたくさん来てくださっていますが、どなたでも歓迎します。ご興味お持ちの方はいらしてみてください。ありがとうございました。
③高山ベンさんのお話
ベン・デザインオフィス代表
NPO法人CoCoT理事
JOYSOUNDmusicパートナー
こんにちは。高山ベンと申します。ベンと言うのは「勉」と書いて戸籍名は「つとむ」なんですが、小さい頃から「ベンちゃんベンちゃん」と呼ばれてきて、おふくろ以外誰も「つとむ」とは呼んでくれません。それで、事務所も「ベン・デザインオフィス」としています。
仕事の内容はですね、グラフィックデザインとして、紙媒体の仕事ですね。ポスターとかチラシとか会社案内とか。ロゴマークを作ったり、CI(コーポレート・アイデンティティー)計画をやったりが、7割ほどです。あと、スペースデザインとして、店舗の看板や内装が2割ほど。イベントのデザイン、プロデュースにも元気にやらせてもらっています。
これまでにやってきたお仕事で大きなもの、印象的なものは、中山競馬場の前のフェンスのイラスト、馬が走っているものですね、それとか、山中湖に今も走っている「白鳥」という遊覧船のデザイン。横浜の連絡船「SEA・BASS」のデザインもやりました。
私の生まれですが、松戸ではなく、1959年東京新宿区早稲田生まれです。5歳で新宿区下落合に引っ越しました。6畳一間に家族4人で住んで、貧乏でした。この頃手塚治虫や赤塚不二夫、藤子不二雄その辺のマンガを読み漁りまして、小4の時には漫画家になりたいなーと漠然と思っておりました。
そのあと、12歳の時、両親ががんばりまして武蔵村山市で一戸建てを買いまして、そちらへ引っ越し。中学2年生の時、今でも覚えております、犬の散歩中に「僕はデザイナーになるんだ」という星を見て誓うような瞬間がありました。
で、デザイナーになるなら、やっぱりそういう学校に行かなくちゃいけないな、ということで、都立田無高校の建設科(現在は都市工学科)に入学しました。ところがここは土木科のようなところで、生徒も工務店の息子や鳶の親方の息子とかが多くてですね、まったく思っていたのと違う勉強を3年間いたしました。でも、構造設計、応用力学、測量などの授業の内容は、知識として今でも役立っています。
でも、僕はデザイナーになるんだ!という思いは強くて、時給430円のウェイターのバイトをしながら、お茶の水デザイン学院のインテリアデザイン学科に入りました。ここで二十歳までインテリアデザインの勉強をしました。
二十歳の時に出席日数が足りずに中退をしましたけれど、仕事を探していたところ、千葉県松戸市南花島の看板屋さんでデザイナーの求人を見つけました。とても楽しそうな条件だということで応募しまして、採用して頂けて、松戸の日々が始まりました。
で、看板のデザインをいろいろやらせて頂いたのですが、なんだか物足りなくて。その後、24歳で何も考えずに独立して、デザイン事務所を立ち上げました。憧れのデザイナーの第一歩でした。それで先に話したようなお仕事をいろいろやらせて頂きました。
駆け足ですけれど、私は子どもの頃からの夢だったデザイナーという職業に就けて、とても幸せだなあと思います。自分の憧れの職業に就けて、何とか食べていけるという方はそうそういない、と感じますので、非常にありがたく思っています。
波乱万丈にて、家族5人を巻き込んでの自己破産という大きな失敗もしましたけれど、ありがたいお客さまにコツコツとお声がけ頂いて、なんとか再起動させて頂きました。やっぱり継続は力なり、で、自分の夢は最後まで諦めちゃいけないなと思います。今年60才の還暦デザイン事務所はこれからも頑張りたいと思います。ありがとうございました!
④石井省三さんのお話
ぱそこん119副会長
「ぱそこん119(いちいちきゅー)」は、高齢者を対象にしたパソコンのトラブルや疑問、悩みなどの相談を受け付ける会です。市内の施設で相談会やセミナーを開催したり、訪問でのサポートも行っています。高齢者の健康長寿コミュニティーとして「元気応援くらぶ」も運営しています。
今日ここへ私が来たのは、活動を支えるスタッフが足りないのでね。相談会を月に6~7回開催しているのですが、月に数回でも、お手伝いして頂ける方がいらっしゃったらいいなと思っています。
動画を流しながら会の説明をいたしますね。
4/20に我々「ぱそこん119」の総会を行いました。たくさん参加して頂きました。活動の紹介をしたあとは、皆さんのパフォーマンス。ドジョウ掬いの方をお招きしたり、太極拳の演武もあって、楽しんで頂きました。
我々の活動への参加者は年間1000人に届きそうで届かない感じです。でもこれだけの参加者がいらっしゃいますので、スタッフ不足が常態化しています。
3月の23日には「みらいフェスタ」という、松戸駅周辺のお祭りの中で我々も「パソコンでお絵かき」というイベントを出させて頂きました。アトレでやったのですが、120人のお子さんが利用して、あっという間にタッチパネルでお絵かきできるようになっていました。
普段のパソコン相談会は会員と一般向けのもので、市民会館や新松戸市民センターなど市内5~6ヶ所でやっています。相談会と一緒に、「元気応援くらぶ」として、体操や合唱、ハーモニカ演奏などで、パソコン以外の楽しみも取り込んでいます。スマホの無料相談会もやっています。
相談を受けるスタッフにはコンピューターメーカーに勤めていたひとも何人かいます。来場者は高齢の方が多いものですから、同じ質問を何回してもいいよ、という風にしていて、安心して利用してもらえるようにしています。おかげでたくさん参加してくださるのだと思っています。
健康寿命という言葉がありますけれど、私たちサービスと提供する側も、受ける側も、お互い顔を見て話し合い喜んで頂けることが、健康寿命を延ばすのではないかと考えております。
こんな活動ですが、タウン誌などでPRもしているし、先日はNHKの「団塊スタイル」でも紹介して頂いているんですが、スタッフの募集がなかなか思うに任せないところです。お手伝い頂ける方がいましたら、ぜひお願いします。ご清聴ありがとうございました。
⑤渡辺友紀子さんのお話
松戸ビール醸造責任者
私は今年の春から松戸の駅前でビールの醸造と販売を始めた「松戸ビール」の責任者をしております。私が作っているのはクラフトビールと呼ばれるもので、20年くらい前は地ビールと呼ばれていました。千葉の松戸で作った地ビールを売っています。
お店は松戸駅東口からすぐの、イトーヨーカドー北側にあります。醸造所と、醸造所で作ったビールを提供するブルワリーパブが併設されています。
私がビールを作りたいと、酒造りにこだわるきっかけは子どもの頃が始まりです。私の母の実家は、戦前新潟で酒蔵を営んでいました。祖父が戦争中に亡くなって、酒蔵はなくなってしまいましたが、小さい頃の思い出が残っています。
子どもの頃、母の実家でいとこたちと、家に湧き出る水で冷やしたスイカを食べました。家の前には緑の田んぼが広がって、その田んぼにできた米が、この酒蔵で香り高いお酒になるのだなあと、なんだか不思議な思いでおりました。
杜氏さんの話を母から聞くのも大好きで、そのまま酒蔵が続いていたら、きっと私はそこで働きたいと思っただろうなと思っています。その頃からある思いとして「お酒は自分で作れる、作ってみたい」がありました。
私がクラフトビールと出会ったのは6、7年前になります。都内のギアパブで飲み、鮮烈な印象でした。普段飲んでいるビールとは違って、なんておいしいビールだろうと。すっかり魅入られてしまっていろいろと調べるうちに、ブルーイングパブと呼ばれるものがあることを知りました。クラフトビールを醸造し、その場で飲ませてくれるお店です。
都内には多くのブルーイングパブがあるのですが、その中で醸造体験教室などもあって、何度も通いました。学ぶうちに、ビールは飲んでおいしいだけではなく、作っておいしい、奥の深いものだと思うようになりました。
「私もクラフトビールを作ってみたい!」と思い、醸造免許を取り、夫が都内でパブを経営しておりました店の片隅で、ビールを作る醸造所を興しました。しかし、昨年閉店することになり、免許を手離してクラフトビールを楽しむ側になるか、醸造所を移転して作り続けるかの選択を迫られることになりました。
悩んだ時に、自分のビールを自分で作りたい、醸造の最初から最後までちゃんと関わりたい、と思いました。人生も折り返し地点。心残りを強く感じて、私は醸造所を続けることにしました。
そうと決めたら免許の問題がありました。取り立ての醸造免許は毎年更新が必要。更新するためには醸造所が動いていなければなりません。期限までに店舗と醸造所を用意し、税務署や役所の審査を通らなければなりません。一刻の猶予もありませんでした。
商工会議所の創業塾で勉強しながらテナント探し。都内も三矢小台の自宅周辺も探しました。ある時、用事で伊勢丹の跡地近くを訪れました。ほんとうにひとがいなくて、ギョッとするくらいで、浦島太郎の気分になりました。そして、だからこそ松戸の街にブルーパブ(=ブルワリーパブ、ブルーイングパブ)を作りたい!と思いました。
ご縁あって、街づくりエイティブさんに今の店舗をお借り出来たのが1月。それから工事をして、醸造の移転と免許の更新、そして開店。冷や汗ものでした。関わってくださった皆さん、ありがとうございました。
私がこの街でしたいことは4つです。①地産地消で松戸ならではのビールを作ること。廃棄物もなるべく出さない。②ビールの体験教室を開くこと。③グラウラーというビール専用の水筒の利用を広めること。④いろいろな種類のビールを作って、市内あちこちで飲めるようにすること。
松戸の「松戸ビール」に行かなきゃ飲めないねってものを作りたい。街の豆腐屋さんのようなビール屋さんになりたいと思っています。
今100リッターで仕込んでいますが、半量の50リッターだと、長いスパンで仕込んでいけるのかなと思っています。私が年をとっても続けていけるようにしていきたいです。
松戸ビールを作ることで、全国のビール仲間とつながることもできましたし、松戸の街の中でたくさんの応援も頂きました。松戸の街でビールを愛するひとたちと、楽しくおいしくつながっていけるといいなと思います。これからも、ビールと一緒に、人生スリリングに楽しんでいきたいと思っています。ありがとうございました。
5名のお話を聴いたあとは、参加者同士思い思いに知り合って、語り合いました。ちょっと興味を持って尋ねてみると、お互いのネットワークに共通の知り合いがいたり、探していた習い事を見つけたり。
まさに、ひとのひとのつながりが線になり、重なり合って網のように広がる瞬間を感じることができます。何気なく暮らしている松戸の街に、小さなタカラモノがたくさん落ちていました。
次回は4回目(すみません!第2回の記事のアップが遅れました!第3回も急いでいます)
7/24(水)19:00∼21:00、東葛クリニックみらい(松戸駅徒歩5分)で行います!
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