音の記憶。夜明け前。
夜の部屋にやわらかな音が聞こえる。
太く大きめの音は夫の寝息。小さくて細いのは、今布団に下ろしたばかりの小さな息子の寝息。
母になった体には、細切れ睡眠でも深く眠れるホルモンが出る、なんて聞くけれど、夜中の授乳はそうは楽じゃない。それでも、私の体からにじみ出るものをぐにゅっぐにゅっと飲んで寝入っていく様は、疲れに見合うだけの満足をもたらす。
2つの寝息に私のため息を混ぜて、私は夫の隣に横になる。
あっという間に眠りがやってくる。ぬるま湯のプールに落ちていくような感覚。満足の波。私はもう一度ため息をついて、さらに深く潜る。
そこに響いた音。夜空を割って、響く音。割れかけたエンジン。細かに走って、止まって、を繰り返す音。それが朝刊配達の新聞バイクの音だと認識する前に、私は吐いた。
口から叫びを。目から涙を。
叫びながら、私は泣いた。吐くように泣いた。止めようもなく泣いた。
夫が飛び起きる。慌てて私の背中をさする。抱きしめる。私はそれでも吐くように泣いた。止まらない。
新聞バイクの音が遠ざかって、聞こえなくなって、だいぶたって、私はようやく泣き止んだ。くたくたになって、ふらふらになって。めまい、頭痛、胸の動悸の名残。倒れるように寝た。
このころよくあることだった。
新聞バイクの音はすでに記憶にもない記憶を呼び覚ます。私は失ったのだ。あの音の響く日々の記憶を。
未明3時に配送トラックから投げ落とされる新聞の束。必死で挟み込む広告の山。きれいに積み上げた荷台の新聞。身長よりも高く組み上げた前かごの朝刊。「いってきます」の声。ブレーキの音。遠ざかる新聞バイクの音。
あの音が響く日々に満ちていたのは、怒鳴り声。蔑みの目。
大学進学と同時に、私は新聞奨学生として新聞販売店に入った。販売店に住み込みで、部屋代なし、仕事あり、学費は働けばチャラになる。経済的に苦境にある学生にとってはおいしすぎる制度だ。
私は希望に満ち満ちてやってきた。もらった部屋で、前の住民の残した女ものの下着を捨てたり、掃除したり、お気に入りの本を並べたりしていた。
この時点で気が付かなかった私がバカだった。この部屋の前の住人は専属従業員の「男」だと聞いていたことに。男がなぜ女ものの下着を持っている?どうしてあんなに薄汚れていた?気づくべきだった。
しかし。これに気づかない程度に、私はまっすぐだった。品行方正を実物化したみたいにまじめな女子高校生だった私は、そのまんまで女子大学生になっていた。私は正しかった。正しすぎるがゆえに、気づかなかった。正しすぎるがゆえに歪んでいった。
未明2時半起床、3時から配達、6時には配り終わって朝食。(ここでホッとしてしまうと記憶喪失。夕刊の時刻に部屋のドアをがんがん叩かれて目覚めることになる。)8時過ぎには大学へ。
授業が終われば飛んで帰って夕刊配達。5時に終わったら、集金へ出る。宿題なんかまじめにやったら朝刊の時間まで起きている羽目になる。もちろん完徹。
夕刊の後に宿題をすれば、集金をさぼるなと叱られ、レポートのために24時間開室のコンピュータールームにこもれば、売春していると勘繰られる。売春て…この私が売春?高校生の頃の私を知るひと誰もが、私から一番遠いと思う言葉だ。
私は倒れた。両親は飛んできて私を実家に引き取った。新聞奨学生を辞めた。だから学費が足りなくなった。それどころか、奨学会の一括返済のルールにしたがって、私は両親に山のような借金を負わせた。3年目に倒れたから、3年分の学費を両親に肩代わりさせた。
何のための仕事だったのか。何のためにもならなかった。それどころかマイナスだ。
大学を辞めた。
私は思い出せない。あの頃の私が何を考えていたのか。物事がどの順番で起こったのか。
それなのに、未明に新聞バイクの音が聞こえる時だけ、私は思い出す。吐くように泣きながら。あの時、あの一瞬の、吐き気がするような日々を。
あの音が聞こえる時だけ。
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