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「おとらおばさん」になりたかった夢が叶っていたお話。

本の虫だった子どもの頃に、何気なく読んだ物語が心の奥にしっかりと根付いていて、どうしても叶えたい夢、どうしたら叶えられるかわからない夢として育っていることがあります。

私の中にいくつかあるそういう夢のひとつが、いつの間にか叶っていたお話です。

<目次>
壺井栄さん「母のない子と子のない母と」
おとらおばさんになりたい
息子①の入学、そして…
おやつと喧嘩の日々
「え?今日はあいつとは遊んでないよ?」
高校生になった子が手を振る
「おとらおばさん」に名前がついた

◆壺井栄さん「母のない子と子のない母と」

「二十四の瞳」という物語を知っている方は多いと思います。その「二十四の瞳」の作者は壺井栄さんという女性なのですが、他にもたくさんの、子どもと大人の物語を残しています。

壺井栄さんの作品のひとつに「母のない子と子のない母と」というちょっと長いタイトルの物語があります。

戦後すぐの小豆島で、出征した息子さんを亡くしたおばさんの元に、なぜか村の子どもたちが集まる、というお話です。そのおばさんの元に、母親を亡くした兄弟が引き取られるという流れもあります。

◆おとらおばさんになりたい

自分自身が母親になる、なんて想像もしなかった子どもの頃に読んだ物語なのに、私はおとらおばさんが大好きでした。冒頭すぐにある、おとらおばさんの描写が、初めて読んだ時から心にしみついて離れません。

おかあさんのきびしいやさしさともちがう、おばあさんのねこっかわいがりともちがう、身内のおばさんたちの、えんりょなしのむきつけいいともちがう、それでいて、おとらおばさんと話していると。ぴしぴしいわれてもなんだかうれしくなる、そんなおばさんなのです。

壺井栄「母のない子と子のない母と」

なんだかいいなあ、と子ども心に思いました。それだけだったのです、その時は。

◆息子①の入学、そして…

子どもの頃は想像もできなかった母親に、私はなりました。ほぼほぼ年子の3人の子どもたちの世話に追われ、本を読む時間も無くなりました。そうすると、面白いことにこれまでに読んだ物語が逆に生き生きとしてくることがあります。

その物語のひとつが「母のない子と子のない母と」でした。

物語の中の村の子どもたちの年齢に子どもたちが近づくにつれ、私はぼんやりと「おとらおばさんみたいになりたいなあ」と考えるようになりました。家に近所の子どもたちが自由に出入りしてワイワイガヤガヤ。いいな、楽しそう…

でも、きっと無理。ただでさえ引きこもりがちで、近所付き合いも下手っぴだし、今だって近所のどの家に同じくらいの子どもがいるのかすらわからない…私はおとらおばさんにはなれない…

天地がひっくり返ったのは息子①の小学校入学でした。

集団下校が始まったその日から、子どもたちの間で「遊ぼ!」の声が飛び交うようになりました。同級生、1学年上の子、そのまた兄弟…近所にこんなに同じくらいの子どもたちがいたなんて、と思うほど出てくる出てくる…

◆おやつと喧嘩の日々

遊ぶと言ってもまだ遠くには行かせられない年齢なので、子どもたちは近所で遊びます。そうすると、やれ「喉が渇いた!お茶!」「おなかすいた!おやつ!」「トイレ貸して!」となるのです。

我が子だけにお茶やおやつを出すのもなんだかなあなので、一緒に来た子にも出します。「ホットケーキ食べる?」と聞くと子どもたちは大喜びしてくれるので、嬉しくてフライパンで大きな1枚を焼いて切り分けて出すと、「丸くない!」と驚いてくれたりして。

自分の子どもたちを見守るために何かと外に出ていたら、なぜか子どもたちが集まるようになりました。おやつを出したらもっと集まるようになりました。その数、10人から多い時は20人くらいだったでしょうか。

毎日のことなので安くてたくさん作れるものを、と考えたら、大体ホットケーキか蒸かし芋になるのですが、ホットケーキはきな粉を混ぜたり、バナナを入れたりレパートリーを増やしました。あっという間に無くなります。

大皿へ次々に伸びる子どもたちの手が愛おしくて、瞬く間になくなる様子もまた嬉しくて、子どもたちが集まらない雨の日が寂しいくらいでした。

そうは言っても、子どもたちは危ないことばかりします。たくさん集まれば集まるほど、それも男の子が多かったので、盛り上がって危険なことをします。

「その塀は揺れるから登らないでね!」
「はいはい(また登る)」
「だから登っちゃダメって言ってるでしょ!!」
「はいはーい」

といったやりとりが喧嘩腰で繰り返されました。我が子とではありません、遊びに来たよそ様の子とです。「あ〜ひと様の子にこんな言い方していいのだろうか」と思いつつ、何度言っても辞めてくれずイライラする日も多かった…

◆「え?今日はあいつとは遊んでないよ?」

子どもたちは学年を上がるにつれ、外遊びが少なくなり、習い事が増えるなど、少しずつ人数が減ってきました。それでも集まる時は10人くらいはワイワイ。

ある日、息子たちは遊びに出ていて、家の中でほっと一息ついていたら、チャイムが鳴りました。出てみたら、いつもの子どもたちが4人ほどでいて「喉が渇いたー」というのです。

「はいはい」と中に戻って、常備茶のやかんとコップを持って外に戻ったら、「やかんごとかよ!」と大笑いしながら変わるがわる飲み干して、「んじゃ!」と去っていきました。

夕方帰ってきた息子たちに、「さっき〇〇たちが来てお茶飲んで行ったよ」と話したら、「え?今日は僕らあいつらと遊んでないよ?」というものだから大笑いしました。遊び仲間でもないのに、お茶飲みに来たんだ?と。

他の日にも呼ばれて出てみたら、「ゴミ捨てておいて」とお菓子の袋を渡されて、それは流石に「うちはゴミ箱じゃない」と怒ったのですが、怒りながらも受け取るものだから何の意味のない…

我が子たちが不登校になった後も、「家の鍵を忘れたのに、母ちゃんいなくて入れない!トイレ貸して!」と頼ってくれた子もいました。その度に、私は正直「めんどいなあ」と思いつつ、「ありがたいなあ」と思うのでした。

◆高校生になった子が手を振る

我が家の子どもたちは揃って学校に行けなくなり、不登校になりました。しばらくは遊び仲間が心配して何かと様子を見にきてくれましたが、やがて中学に上がり、それも途絶えました。

我が家の周りはすっかり静かになりました。我が家は悩みながらもがきながら、子どもたちは高校生の年齢になりました。

買い物などに出かけると、時々以前の遊び仲間に会うことがあります。すっかり背も伸びて大人びて、我が子たちは着られなかった高校の制服を着て、すまし顔で自転車に乗っていたりします。

そうしたら面白いことが起きるのです。すれ違う時にハンドルからちょこっとだけ手を浮かせて合図してくれるのです。え?高校生が手を振るの?

一度スーパーで会った子に「〇〇(息子)どうしてる?」と話しかけられ、しばらく立ち話をしたことがあります。高校生が?近所の大人と?立ち話するの??

それももっと面白いことに、いつも私が喧嘩腰で怒っていた、やらないで欲しいことばかりやっていた子が手を振ってくれたり、話しかけてくれたりするのです。私は口煩いからすっかり嫌われていると思っていました。

◆「おとらおばさん」に名前がついた

10代も後半になった我が子たちを見守りつつ、思い出す小学校の頃は本当に賑やかです。集まる子どもたちのおやつと見守りで忙しかった記憶が大半です。イライラしたけれど、大変だったけれど、楽しかったしありがたかった。

昨年2021年、私は思い立って認定NPO法人PIECESが主催するCitizenship for Children(CforC)という市民性醸成プログラムを受講しました。子どもの孤立を、孤立のもっと手前で、地域で子どもと関わることで予防する、そのためには何ができるかを考えるプログラムです。

たくさんの事例とハッとする言葉たちに出会う中、ぼんやりと、でも確かな質感を持って「私のおとらおばさん」に名前がつきました。

それは「市民性」。CforCの第一のキーワードでもあります。

なんだか掴みにくい言葉だなあ、どう捉えればいいのかなとずっと考えてきましたが、なんてことはない、「おとらおばさん」その人がやっていることが「市民性」だったのです。

そして気がつきました。私の「おとらおばさんになりたい」という夢は、とっくに叶っていたんだなあと。あの子が自転車から手を振ってくれた時に、叶っていたんだなあと。

今年度のCitizenship for Childrenは現在受講生募集中です!締切は6月12日です!

 

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