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休む勇気、大切にしたい

noteを1週間連続投稿して学んだことがたくさんあった。

・書くことについての学び
・書くための準備についての学び
・書く時間の確保についての学び
・生活そのものを整えることの学び

ルーズな私は、夜更かしをして書いていた。1週間最後の投稿をして、かなり大きな満足感を得たのだけど、同時に相当な無理をしていることにも気づかざるを得なかった。私は、生活を整えて、書くための時間を無理なく確保するために3日、noteの投稿を休んだ

休んで、連続投稿をやめて、失うものは大きいだろうと初めから予想はしていた。しかし、これほど新たな学びがあるとは予想外だった。失われたものよりも学びの方が大きいなんて。

私の考えたこと、感じたこと、学びのジェットコースターを披露しよう。

<休んだ3日間の変遷>

①満足感と解放感 →②また書ける気がしない! →③再スタートのエネルギー量に怯える →④それでも「休む勇気」は必要 →⑤理想形への気づき

①満足感と解放感

たかが1週間とはいえ、たった7回の投稿とは言え、書き続けた自分、えらい!という自画自賛。書けるテーマを絞り出した先、という未知の世界を垣間見ることもできた。がんばった!としか言いようがない。

そして、とりあえず書かなくていいと休む決意に単純な解放感。最後の投稿から一夜明けた朝に目覚めた私が抱いたのは、この2つ。


②また書ける気がしない!

1日目の休みが終わる前に、私は気づいた。次に再開する時に備えて、ネタなど集めておこうかと頭を整理していて気づいた。また書ける気がしない!しまった!ととにかく思った。まだ投稿の経験も浅いのに、休もうなんて贅沢なことを考えるから…と脳内反省会が紛糾した。

③再スタートのエネルギー量に怯える

とにかく、もう一度書くための道筋を言語化してみようと思った。この時新たに気づいた。続けて投稿するよりも、いったんやめて、もう一度書こうとするときの方がエネルギ―量が圧倒的に要るらしい、と。そのエネルギー量を私は用意することができるのだろうか、という不安が膨らむ。

膨らむ不安に気圧されて、投稿を休んだことを猛省し始めた私。では、続けることはできたのか、との疑問が浮かぶ。脳内検証してみると、結果は不可能。夜更かしと生活リズムの崩壊は、休みもやむを得ないレベルにあったとの検証結果。


④それでも「休む勇気」は大切

休むことは必要だったという気付きとは別に、休むことそのものに意味があるのではないかという考えが浮かんだ。ただ、休むことに決めた自分を後悔したくなくて思ったことかもしれないけれど、休むことだって、やめることだって、大切なんだ!

⑤理想形への気づき

人生へのプラスαとして私がやっていることは、note以外にランニングがある。本格的に始めてから2か月ほどは、走らない日は「二度と走る気が起きなくなるんじゃないか?」という強迫感があって、ほとんど毎日のように走っていた。

でも走れない日はいずれやってくる。そして続いた走れない日は、「走りたい」と思えばまた走れることを私に教えてくれた。多少コツはいるけれど、同じように同じ距離をまた走れる。

このことを思い出した私はふんぞり返った。

休む勇気は必要で正しい。休んでできなくなることなんてない。私は大丈夫。noteだってまた書ける。理想は「いつでも休んで、いつからでも始められる力と余裕」を持つこと。そうすればきっと、継続も苦ではなくなる。

と、いうわけで、私はまたnoteを書き始められたし、また連続投稿してみる気満々。今度は8日間連続投稿を目指そう、と気合を入れている。もちろん、そのあとは勇気をもって休む予定。

<結論>

・継続は力なり、は正しいけれど、休むこともやめることも大切
・休むこととには勇気が要る。勇気をもって進もう
・休んだ後の再開にはエネルギーが要ることは確か
・休んだ後の再開にはコツもいる
・「上手に休む」には、複数回の「休み」の経験と練習が不可欠
・理想は「いつでも休める」と「いつでも再開できる」という自信を持てること


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