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【愛着障害】旅芸人の記憶

そういえば、昔は行商の人をたまに見かけました。
地方の田舎の町では、食料品と日用品いがいを扱う小売店は少なかったから、行商の人の売りに来る薬や小間物は重宝したでのしょう。
少女時代を過ごした家は、岡山県倉敷市の郊外にありました。

夏休みには金魚売りが来ていました。金魚を泳がせた桶を天秤棒の両側に吊るして、肩に担ぎながら売り歩いていました。
涼しげなガラス製の鉢のなかで泳ぐ、赤や黒の金魚を眺めるのは子供心にも楽しみな夏の風物詩でした。

バナナの叩き売りや瀬戸物の露天商を冷やかしに見物に行ったこともあります。
縁日で買ったひよこを箱に入れて育てたこともあります。
お正月には各家庭に獅子舞が来て、子供の頭を噛んでその年の幸運を呼んでいました。

その一つ一つの出来事は、経済が上向きになって明るい希望が感じらる時代背景のなかで、どれもが楽しい思い出として蘇ってきます。

それより少し遡って、もの心ついた頃。忘れられない怖い思い出があります。今まで、まだ誰にも話したことの無い話です。

そのころ、外の世界はまだ知らなくて、塀に囲まれたわが家の庭が遊び場でした。

母屋と離れ、納屋と蔵、そして門から母屋まで続く飛び石。私のお気に入りのモミジの木があって、新緑の頃には小さな花を咲かせて実をならせるのを見るのが好きでした。
両親と祖父母、姉と弟の七人家族とこの家屋敷が、私の日常で、世界のすべてでした。

ところがある日、日常が破れて、その裂け目から異世界が現れました。少なくとも幼い私には、そんなふうに感じられました。

ちょんまげに白塗りをして黒い着物をきて刀を差した二人の男が、わが家の母屋の玄関先に立っていました。
衝撃とともに、何事が起きているのか、と私は怖くなって膝がガクガク震えました。
母が何かを手渡すのが見えました。

それより前だったか後だったか忘れましたが、虚無僧が尺八を吹きながら、わが家の門から飛び石を伝って母屋の玄関を目指して歩いて来るのに遭遇したことがあります。編笠を被って白い着物を着て、首から何かを掛けていました。

こんな事もありました。
賑やかな楽器の音がするから出てみたら、わが家の庭でチンドン屋がクラリネットに太鼓と鐘を鳴らして練り歩いていたことがあります。
私は感情をどう表していいか分かりません。

どれも非日常で、強烈なインパクトを残しましたが、当時の幼い私は彼らが何者か説明する言葉を知らず、映像として記憶していただけでした。

その後、テレビの時代劇を見て、あのとき見たあれはお侍さんだった、あれは虚無僧と言うのだな、とやっと記憶に名前を与えることができました。

そのあとチンドン屋を見たのは、18、9歳のとき、大阪梅田の商店街ででした。「青空広告社」と背中に書いてあったので、チンドン屋さんはお店の開店を宣伝するのが仕事だと知りました。

おなじ大阪で20歳過ぎてから、旅芸人の公演を初めて観劇しました。そのとき幼年期に見たお侍さんの格好をした人は旅芸人だったのかと、やっと合点がいきました。場所は天王寺のジャンジャン横丁で、たしか都城太郎一座という名前でした。

映画「伊豆の踊子」63 年日活
川端康成原作、吉永小百合、高橋英樹

それにしても、私が幼い頃に見た、異世界から抜け出して私の前に姿を見せた彼ら、旅芸人、虚無僧、チンドン屋は、何者なのでしょうか?
何をしに、人の家を訪ねてきたのでしょうか?
たぶん物乞いだったのではないかと今は思います。そして、昔は喜捨する習慣があっただろうと。
昭和40年代のはじめ頃のことです。
日本が高度経済成長期に急速に都市化され整備されていくなかで、まだ取り残されていた人たちは全国を移動しながら生活を立てていたのでしょう。

しかし、ほんとうに見たのでしょうか?
小さな田舎町に、広告宣伝のためにチンドン屋さんを雇う商店があるとは思えないし、近くに旅芸人の一座が興行を打つ温泉街やヘルスセンターもありません。
ますます怪しく思えてきます。

あれは私の淋しさ、疎外感が像を結んだ幻だったのかもしれません。
素粒子の世界では、見たいものが現象化するといいます。

旅芸人や物乞いをする人たち、流浪の民に、私は自分を見ていたのかもしれません。

こうして思い出しながら書き綴っていると、私は両親と祖父母に守られて十分に恵まれていたじゃないかと、孤独感を払拭するような思いにも囚われますが、
いやいや、あの一見幸せそうな家で私は一人ぼっちだったのだな、と改めて幼年期に感じていた寄る辺のない淋しさが今も私の中に、まだ残っていることを確認しています。

親への執着と未完了な思いを、これからも避けずに直視していくんだろうな、いつまで続くんだろう、難儀だなと呟いているところです。


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