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【うつ・AC】「いい人」じゃなくても愛される

もうずいぶん昔の話だから、わだかまりも消えてるし、そのうち関係者も故人になってしまうだろうし、今なら話しても構わないかなと思うので、風化する前にお話しておきます。

私の両親の家系はどちらも、質実剛健というか、真面目でストイックな、派手なことやうわついたことが大嫌いな性格の人が多い家で、私自身も当然というか、その影響を受けて育ちました。

この家は私には窮屈でいやだったのですが、厳しい家風の中で、本来の自由を志向する私の性格を狭い檻の中に閉じ込められたまま、我慢するしかありませんでした。

もともとおてんばだった私は、成人する頃には清楚で大人しい娘になっていました。子供時代にはあった生命力は削られて無くなっていました。

古い話ばかりしますけど、ついてきてくださいね。

父は六人兄弟の長男でしたが、堅物で道楽のたぐいは一切やらないし、社交もきらいで、お酒も飲まないし、仕事は好きだったかもしれませんが、ほかに何が楽しみだったのか知りません。そういえぱ、若いときはお洒落でオーダーメイドの服を何着も作らせたと聞いたことがあります。えっ、あの父が?と思いましたが。それから一時、カメラをいじっていた時がありました。それぐらいですねえ。お金も使わないし。

母の実家も先祖代々、神道の真面目な家だし。祖母は「たかまがはらにかみづまります〜」なんて祝詞をあげて、神道の色は白でしょう、清浄なっていうイメージでした。神主は平安時代の衣冠束帯みたいな衣装を着て、直垂という帽子みたいなのを被って、しゃもじみたいなのをもっているでしょ。衣装の色も白、白は神さまの色ですよね。神主の衣装を着て神社でお務めしている祖父とおじさんを見たことがあります。家にはりっぱな神棚がありましたが、仏教と違って、お酒も肉も供えていました。肉っていうのが意外な感じがしますが。

話が逸れかけたので、もとに戻しますね。

いまからが本題です。

父の六人兄弟の末の弟の話をします。私のおじさんです。

おじさんは大学在学中に婿養子に行きました。学費もぜんぶ出すから卒業したらその家の長女と結婚するという条件でしたが、結婚したらやっぱりというか、長女は食わせ者で、悪妻を絵に描いたような人だったんです。

長女はうちの親族にはいないタイプでした。

家事は一切しない、掃除はお手伝いさんがする、家に帰っても食事はないから家族で外食する、浪費家でブランド服と宝石がすき、趣味は買い物。浮気をする。息子は二人居るけど、家に居ない。まったく享楽的、という言葉がぴったりの人でした。

セレブですか?って、そんな気位もインテリジェンスもある女性ではありません。

着飾って遊び歩いているだけだし、旦那さんを愛しているわけでもないし。

こんな我儘で思いやりのない人が、何でのうのうと生きていられるか不思議でした。

しかしね、最近は思うんです。悪い人ほど元気なんじゃないかって。あ、それは言い過ぎました。

しかし、これだけは言えます。本人は悪びれず、明るく笑ってやりたい事をやって幸せそのものです。つまり、罪悪感がないんです。

いっぽう、おじさんはさんざん苦労して、婿養子に行ったもんだから離婚もできず、51歳の若さで早死してしまいました。

こんなことがあっていいのでしょうか。

真面目なうちの親族には居ないタイプで、私もいままで見たことないような人。このnote界隈にも居ないであろう人です。

そんな悪徳の人ですが、ちょっと会った感じはそんなに悪い印象ではありませんでした。屈託のない楽しい人。笑顔がはじける人でした。周りの評価は「できの悪い嫁」と陰口を叩く人もいましたが、明るいから何となく許されているのか、そんなに嫌われているという印象はありませんでした。いや、むしろ可愛がられていたかも。

この人の近況は知りませんが、もし御存命中だったら、元気に生きているんでしょうね。

こんなに我儘なのに、何で嫌われないのでしょうか?それは、先ほども申し上げたように、罪悪感がないからでしょう。罪悪感がないと、他人から責められることはありません。それは自分で自分を責めてないからです。

このサンプルは極端かもしれませんが、何が言いたいかというと、社会的に褒められるか、人間的に善いか、ということと、その人の幸福度は関係ないのです。

私は真面目な人の話をよく聞きます。悩んでいるのは、真面目でいい人ばっかりです。いい人なのに、あまり幸せになっていないのです。いい人こそ幸せになってほしいのに。

それは何故かというと、いい人は罪悪感がつよいからです。自己否定しているからです。

いい人は、真面目で、優しく、思いやりがあって、謙虚です。嫌われることを恐れて自分よりも他人を優先します。

でもね、自分を主張して人とぶつかり合ってもいいし、言い争っても、対立してもいいんです。人生の中で、ここぞという時は勝負しないといけないし、いつも負けていてはいけないのです。って、これ、自分で自分に言ってるんですけどね。

私の今までの経験から言うと、言いたい事をズバッと言っても心配しているほどには嫌われません。むしろ、意見のない人、何考えているか分からない人のほうが好かれないみたいです。

私たちはこれまで、人のことばかりに気を取られて、自分の欲求が分からなくなっていました。この記事を読んでくれている人は、自分の幸せとは何かを考えて来なかった人ばかりかもしれません。

産まれたばかりの赤ちゃんは欲求の固まりです。それが本来の姿なんです。ところが、愛されることか不足すると、人生のどこかで欲求することを諦めてしまうのです。そのかわり、他人に気をつかうようになるのです。

私たち、これからは、いい人でなくてもいいから、欲を持ちましょうよ。

少しぐらい我儘でも自分を潤している人になりましょう。

そのほうが、幸せだし、愛される人には愛されるんです。


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