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封印した本音「私は嘘をついていました」

自分に正直に生きられなくなったのは何時からだろうと昔を振り返ってみると、思春期の頃にはすでに目の前に大きな壁が立ちはだかっていました。

時代や社会との軋轢の中で、若い女性としていかに自由を失わないように生き延びて行くかが大問題でした。

私の思春期から青年期にかけて女性解放運動がおこり、田舎の保守層のあいだでは、娘をもつ親から危険視されていました。

リーダー的存在として、政治家の市川房枝さん、タレントの落合恵子さん、画家のジョージア・オキーフ、前衛芸術家の小野洋子さんなどがいました。

あと女性解放運動とは直接関係ないですけど、桐島洋子さん、兼高かおるさんは私が密かに崇拝している先輩たちでした。

私は岡山県倉敷市の郊外に生まれました。

三つ上の姉がいて、姉はやんちゃだけど将来はお嫁さんになりたい、と言う欲望の形がわかりやすく、自分の価値観と世間の価値観が一緒なタイプ。

いっぽう私は我が道を行くタイプで、周りの大人たちから理解されない不都合な子供だったようで生きづらさを抱えていました。

時代の新しい風に影響を受けていた私は、その反動として男尊女卑の教育を叩き込まれました。

周りと逆行していた私は怖い目にあいました。

ちなみに母の実家は嫁入りまえの娘の恋愛は御法度という古めかしい家風で、私のふたりの従姉妹は親の決めた相手と玉の輿結婚しました。

私の周りでは強大な力をもって支配してくる親に逆らう人は見なかったです。

大学で都会に出るまでの辛抱だと、私は田舎の片隅で息を殺していました。

「私はこうしたい」という欲望を口にすることすら憚られる不自由な思春期を送りました。

美大進学を希望していましたが、怖い父の「絶対にならん」の一言で自分の欲はしぶしぶ諦めて、折衷案として親が反対しそうにない文学部にすると、すんなりお金を出してくれました。

さらに苦肉の策として、地元の大学には行かず、実家を離れた大阪の大学に進学、そのまま就職をして、ついに合法的な家出を果たして自由が手に入ったかのように見えました。

しかし自分に正直になって、自分の本音にまっすぐに向き合った訳ではありませんから、不完全燃焼でした。

自分の一番大切なことを諦めて、二番目か三番目でお茶を濁す生き方だったから、それで私が生きたと言える充実した人生にはなりようが無く、ずっと不全感に悩まされながらもやもやしていました。


抑えて我慢してきたほんとうの自分が、いつになったら気がついてくれるんだ、と言う声が聞こえてきます。

正直な自分をどこかに置き忘れて、嘘をついて生きてきたことを、じつは一番よく知っているのも自分なのでした。

自分に正直であろうとすると、あの時の怖かった身体の感覚がセットのように蘇ってくるのです。



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