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Forgive と Forget

「forgiveこそ最大のgive贈り物である」とある人が言っていた。
確かにそうだ。
互いに許し合うことができれば、世界は平和になるだろう。
そのためにも、自分が「forgive」という贈り物を与えられる人になれたらと思う。

そう思いを巡らしていたときに、
「forget」という言葉が浮かんできた。
忘れるということは、「get, 獲得する」という行為なのだろうか?
getとgiveが対局の意味なのだから、
forgetとforgiveは、両立し得ない事柄のような気がする。
全てを忘れて水に流す先に許しは成立しないのではないか?

広島・長崎の原爆の日があり、8月15日が巡ってくる。
記憶に留めるべき日だ。忘れてはならない。
戦争で受けた傷、与えた傷を記憶に残すためには学び続けることだ。
決してforgetしない。風化させない。
戦争がいかに悲惨であるかを知ることが、抑止力となっていくだろう。

今も地球上で戦争が続いている。
戦争を仕掛ける独裁者を許すなんて不可能ではないか?
そういう疑問が生じるだろう。
だが、独裁者が一人で戦争をしているわけではない。
家族を守るためと武器を持って立ち上がる人々がいる。

だが、被爆者は「私が最後の被爆者でありたい」と願う。
本当の悲惨を知った人は、報復の虚しさを知っている。
そして、実態を知ってほしいと願っている。
忘れられてしまうことを一番恐れている。
forgetしないで、forgiveする。
被爆者たちの生き方から、私たちは多くのことを学ぶことができる。

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