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記録し伝え、そして待つ!!

赦せないものでも赦すしかないと以前の記事に書きましたが、それは泣き寝入りではありません。
ホロコーストも原爆も記録し、伝えているから、その悲劇に思いをはせ、2度と同じ悲劇を繰り返してはならないと、心に刻むことができるのです。
だから、忘れてはならないのです。
赦すことforgiveは、究極の与えることgiveであり、忘れることforgetは究極の獲得getだと以前に書いたとおりです。

記録し、伝えることは癒しにつながります。

待つことの意義

信じて待つということが、人間の暮らしです。それは諦めとは違います。祈りつつ待ち続けてはじめて、収穫の恵みを味わえるのです。

「漁の最盛期の前にあったのが〝待つ〟という時間だった。(中略)

〝ハタハタを待つ〟とは、心の風景なのかもしれないと思えた。生涯を通じてハタハタの到来を信じ続け、それが現実になる世界を見続けてきた。その経験は、〝待つ〟という行為に、いくつもの記憶を結びつけ、変わることがない心の風景を作り出していった。きっと、この心の風景こそが「待つ」を信じる源だ。」

掌編「ハタハタを待つ」奥山淳志

ここでの記事にも、「ただし、待つと言っても昼夜関係なく一時、三時、五時と、奇数の時刻ごとに寒風吹き荒ぶ海に漕ぎ出ては漁場に向かった。」とあるように、「待つ」という行為は何もしないでぼうっとしていることではありません。常に準備を整えて、いざ魚が到来すれば、即座に出かけていくのです。魚が到来するまでは、期待しながら、何度も出掛けては空振りに終わることも繰り返さなければなりません。そうする中で培われていく忍耐。それが人間を、人間として成長させてくれます。
平和を祈りつつ、あらゆる非暴力の方法を試み、準備し、待てる私たちでありたいものです。


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