こどもはいつから大人なのか
幼い頃は、好きな絵本と嫌いな絵本があって、好きな絵本は共感できる本や読むとワクワクする本、嫌いな絵本は、大人が作ってる感がする絵本でした、伝わるかな
もちろん絵本をつくって出版できるのはみんな大人なんだと思うんですが
なんというか、中身に「大人が理想化したこども」や「こう育てよ」みたいな要素が入っていると「ケッ」って思っていて、「なんもわかってないやん」って思っていた。そういう本に限って大人が勧めてくるもんだから、「大人はこういうのを読んで欲しいんだな」って感じたわけなんですが。
でも今思うと
子供が全員、私と同じ好みや意見だったわけないと思うし、子供時代はいかに自分が主役で、周りの世界が見えてなくて無敵か、がわかります。
なにせ自分が正しいと信じて疑わない、自分が好きなものは自分が決める、私が好きと認めたものは他の人も好きに違いないというまぶしいほどの根拠は無いが確固たる自信。
今となっては憧れちゃう
もしかしたら、みんながそんな子供時代じゃなかったかもなんですが
今、幼稚園生や小学生を相手に仕事をしているとそんな場面を見かけることがあり、ほっこり懐かしく思ったりしています。
で、
こどもはいつから大人か、ということに関してですが、子供と大人という境界を作るのは、やはり絵本と同じで大人なのではないかと。圧倒的大人の意見。きっと子供はみんな「ケッ」って思ってるんじゃないかと思うんです。ぼくらわたしら、みんなあなた達と同じですけど!?って思ってると思うんですよね、かつての私がそうであったように
ただ、こちら側からは子供のことを「まぶしく」思ったり「憧れ」ちゃったりする場面が出てくる。他者を知り、世界を知っていく過程で、もう自分だけじゃいられなくなるから。自信も無いし(日々減っていくし)、かつての自分にさえ憧れてしまうくらいに。
何が言いたいかというと
コメダ珈琲に置いてあった「きいろいばけつ」っていう絵本が懐かしくて読んだんですよ。昔好きだったから。
落ちていたきいろいばけつを気に入って自分のものにしたい、月曜まで1週間、誰も取りにこなかったら自分のものにしちゃおうということを、きつねくんは友達と相談して決めるのですが、毎日大切にバケツのもとに通うものの、月曜の朝にふと、無くなってしまうという話。
大人的に要約すると、モノは失ってしまっても、共に過ごした日々は無くならない、その時感じた感情も全て永遠なんだ。という本だと思うんですが
当時は「きいろいばけつか〜いいな〜きつねくんに似合いそうだな〜かっこいいな〜自分のものになるといいね!」って思いながら読んでた。
絵本って
隙を生じぬ二段構え
だったんですね…昔嫌いだった本も、今読んでどう感じるかで本当の感想が持てるのかも。
こどもと大人は、つながっている。