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好きと思っていたことが本当は好きじゃなかった・・・という今更の気づき

手芸、洋裁、編み物が好き

昔から作ることが好きでした。特に手芸とか編み物とか。小学校2年生のときにかぎ針を覚え、中学生のときには、セーター、カーディガンなど自分のものは自分で編んでいたし、自分の洋服も自分で縫っていました。スカート、ブラウスから冬のコートに至るまで。

大人になってからも、赤ちゃんグッズ、服、子どものセーター、小物あれこれれ、いろいろ作りました。

子どものころにたくさんの手作りをしたことは私の基礎になりました。編み物や洋裁をしながら算数を身につけたし、洋裁でパターンを作ったりしていたから図形のセンスも磨かれました。

物を作る技能を子どものころに習得したことで、今は技術的はしっかり身についていて、いろいろ作ることができる。手が鍛えられたから、手芸以外の分野のものも上手にできるし、もっと新しいものを創造していく力になっています。

でも、近年、今更なのですが「実は、縫い物とか編み物って、本当のところ好きじゃないかも」と思うのです。


好きだった理由

洋裁も編み物も、今までにやったことがない技術や新しい型、模様にチャレンジするのは楽しいです。でも、同じことの繰り返しは面白くない。だから、中学校のころから、どんどん難しいものにチャレンジしていきました。

でも、たとえば、難しい編み模様って、編むのは楽しいけれど、スタイルとして好きじゃない。シンプルなメリヤス編みのデザインが一番好き。洋服もそう。だけど、シンプルなデザインとなると、結局、作るのがつまらない・・・。

作っている作業を楽しめないから、本心は「早く終わらせたい」一心ですごいスピードでやっていたりします。だから、1日でマフラーを編み上げたり、大人のセーターを3日で完成させちゃったりする。そして「いかに早く編み上げるか」が目標にすりかわる。これって、全然作る工程を楽しんでない。苦笑

結局好きなのは、作る作業そのものじゃなくて、「チャレンジすること」だったんだ。笑

あと、作るのが好きだと思っていたのは、作ると「上手」「すごい」って褒められるからだとも気づきました。承認欲求ですね。今は、手仕事以外で認めてもらえるから、もう手仕事する理由がなくなったのかもしれません。

とはいえ、今でも縫い物も編み物もします。でも、それはまさしく手仕事。つまり仕事なんです。マスクが必要だとか、用途にぴったり合う物が欲しいけど売ってないからとか、サイズの合うものを探すより作っちゃった方が早いから・・・という理由で、趣味ではなく、実用としての作業。これも、作ることそのものは楽しんでなくて、物が欲しいから作ってるだけ。


「好き」の勘違い

手芸でなくても同じことが多々あると思います。たとえば、算数や数学が好きな人に「どうして好き?」って聞くと、「問題が解けると気持ちいい」とか「数学は点がとれるから(得意だから)」というような理由が多いように思います。

それって、できることが嬉しいのであって、数学そのものに喜びを感じていない。私のライフワークであるシュタイナー教育では、学んでいることそのものに興味をもつように教えることは本質的に大事なことです。

だから、シュタイナー教育では褒めることをあまりしません。褒めると「褒められること」が目的になってしまう。変なキャラクターつきの教材やご褒美で子どもの気を引くこともしないし、競争心をあおって勉強させることもしません。だって、そうしたら、その活動・教科そのものの喜びや楽しさが学びの原動力になっていないから。

そんなふうに、本質じゃないところで子どもをやる気にさせることは理想的ではないけれど、やればそれなりにできるようにはなります。でも、面白くないし、学びは深まりません。

数学だったら、数学の面白さがある。テストの点で脅迫したりご褒美でつるのではなくて、数学の面白さに心惹かれて学んだほうが、どんどん力になるし、深くまで学ぶことができる。そんな授業をしているのがシュタイナー教育なのです。

今から振り返ってみると、私の、手仕事は、まさに、本質を無視した「好きの勘違い」だったと思います。だから、ある程度できるようになったら、それ以上は興味がなくなってしまった。

子どもたちには、そんな勘違いをしないで、本当に好きなものを見つけて欲しいな。私が数学教育を見つけたように。





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