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同権が大事。でも不平等万歳。

言うまでもなく人は平等であるべきです。でも、正確に言うと「平等の権利」が与えられるべきです。でも、何事も平等にしなきゃいけない、となると不自然になります。

我が家の場合、家計をささえるのは100%私です。家事は私がしていることが多いです。・・・不平等ですよねえ。苦笑

家事関係でいうと・・・私は、汚れる作業が嫌いです。服や手が汚れる屋外での仕事など、できるだけ避けたい。だから、屋外の作業も、ゴミ出しするのも、そのためにゴミをまとめるのも、いやです。ワガママでごめんなさい。(笑)

そして、私は、極端に力がありません。重いものも持ち上げられなければ、スタミナもないので、肉体労働2時間で倒れそうです。日々の掃除は気にならないけど、スタミナのいる大掃除はできません。反対に、夫は、毎日コツコツ掃除なんて絶対無理。でも、力仕事、肉体労働を厭わない人。だから、家の内外のDIYや肉体労働、ゴミ出し、大掃除などは、その気になればしっかり完璧にやってくれます。(なかなかその気にならないので、「その気にさせる」のは私の仕事です。笑)

平等って、平に等しいこと。男女同権は力を込めて主張したいけど、権利は権利。同等に働かなきゃいけないわけじゃない。男女だけでなく、人は一人一人個性も適性も違うのだから、同じ作業を同じ量することは、不公平だし非効率。そして幸せ度が低い。

我が家の肉体労働を平等にわけて五分五分にしたとしたら、私は力果てるでしょう。夫にとっては楽勝でしょう。私は不満たらたら、夫は楽々。これは不公平です。

私は15くらいの仕事を常にこなしたい。夫は普段9くらいの仕事量だけどやる気が出た時には天才的な仕事をする。平等に12ずつの仕事をするとしたら、私は不完全燃焼で不機嫌になる。(笑)夫は、余裕がなくなって燃え尽きちゃって才能を発揮できない。15と9で分量は違っていても、等しくある必要はない。それぞれが幸せな分量をすることが公平です。

好きな仕事、適正にあった仕事を、それぞれがやる。われ鍋にとじ蓋で、補い合いながら家事をする。二人とも苦手なところは一緒にやる。人間ひとりひとりが違うのだから、適材適所は不平等のうえに実現する。そして実現すると、無理なく、楽に暮らしがまわるようになる。

二人がそれぞれのありかたをしていて、等しくないからうまくいくのです。だから、不平等万歳! なのです。


幸せな不平等夫婦のヒント

不平等に不平不満が出るのは、たとえば、
・相手のほうが得している、楽しているように思えるとき
・自分のやっていることを認めてもらえないとき
・自分に無理しているとき
・自分のやりたいことができないとき
などではないかと思います。

こんなに自分は頑張っている。ワンオペで疲れてるけど家もピカピカにした。でも、そんなこと、掃除をしない人は気づかないのです。そして、家がピカピカで心地いいとき、それは当たり前のことだと受け取られる。家がきれいなときは、誰かが、一生懸命掃除したからきれいだなんてことは考えない。きれいなときは気づかないのに、家が汚いときには「掃除が十分でない」と気付くもの。

気付くのは、悪い方に目立つ時。しっかりやっているときほど、気づいてもらえないもの。

家計を支えていくことが勤めであり義務だと思っている人は、家族が食べるのに困らないようにと、何十年も働き続ける重荷を背負っています。だけど、自分が仕事をし続けなくても、生きていくのに支障はないという人は、その重責を感じたことはないはず。

収入がちゃんと入ってくる時には、それが当たり前だと思っている。収入の裏に、一生懸命はたらいてくれているパートナーの苦労があることは意識にのぼらない。リストラとか不況だとかコロナだとかの事情で収入が入って来なくなってはじめて、それが当たり前じゃないと気付く。

そんな非常時になって初めて気付くより、普段から気づいていたほうがうまくいく。

だから、不平等だって思ったら、自分がやっていないことリストを作ってみるといいかもしれません。夫婦のことだから、二人ともリストアップするとよりいい。

みんな立場が違うのです。だから、自分が置かれたことがない立場のことは想像しにくい。自分がやらなくていいことほど、想像できない。そんな作業が存在することさえも知らなかったりする。

でも、「他の誰か(パートナー)がしてくれているおかげで、自分はそれをやらずに済んでいる」「自分がやらなくても暮らしがうまく回っている」と言うことに気がつくだけで意識が変わる。それから「それを自分がやらなきゃいけないとしたら?」と想像してみる。「うわー、大変。やらなくて済んでよかったー。やってくれてありがたいなあーー。」となる。

私は、自分が手を汚さなくても家の修理ができていたり、ゴミが出されていたりするって、すごくありがたい。絶対やりたくないもの。(笑)私がこんなに経済活動をしていないころは家事をほぼ100%やっていたので、ゴミ出しもしてましたから、余計にありがたさがわかります。それでも日常に流されていると「当たり前」と思えてきてしまうのが怖いところです。忘れかけたら、ああ、いけない、忘れかけてたわ。私がゴミ出しするなんて想像するだけでゾッとするわ。やってもらってありがたいなあーと感謝の気持ちでいっぱいになる。

ゴミ出しくらいで何を言ってるんだ・・・って笑わないでください。ゴミ出しくらいのことでさえ感謝できることが素晴らしいと思ってください。ゴミ出しくらいで感謝してもらえるんだから、どんどんゴミ出ししてください。

ゴミ出しは一例にすぎませんが。

同権を基盤にして、個々の特性を生かすと、幸せな不平等が実現する。本来、人間は不平等です。不平等を許さなかったら、生きていくのは苦しいです。みんなおんなじは苦しい。みんなちがってみんないい。

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