宮崎県東諸県郡綾町にはツルマルツヨシがいる。
シンボリルドルフの息子で、G1にも勝った強い馬である。会いに行った。「強くて優しいおじいちゃん」という感じの馬だった。
偶然だな、と思った。私の強くて優しい祖父も同じ町で生まれているからだ。だから綾町へ行ったのだ。
綾町は田舎である。どれくらい田舎かというと、ユネスコエコパークに登録されるほど雄大な山と森と川がある、突き抜けた田舎である。鮎も取れる。ユネスコエコパークについて知らなければ各自調べていただきたい。ここまで田舎だと地方都市などつまらぬオモチャ箱のように見える。やたらとスケールがデカいのである。それは祖父の人柄も同じであった。

私の祖父は相当な大物であった。とにかくなんでもできる上に変人だったのだ。大きな血管が切れて死んでしまったのだが、昏睡状態の舌が回らないうわ言を英語で発音していた。
具体的に言うと
「佳ヨちゃん、WHOってなんかわかるね」
「え、World Health Organization…?」
「違うよ、Wash Hairy Oji-chanよ」
こんな感じであった。聞き取れない独り言もたくさんあった。ちなみに祖母が病室に着くと「よぉクソババア」と言っていた。ふざけた野郎である。普段から嘘か本当かわからないことを言うのでボケているのかどうか死ぬまでわからなかった。
「おじいちゃんはね、月の権利書を貰ったことがあるっちゃが」
「ええ、おばあちゃんそれ本当?」
「それは嘘やが、バカバカしい」
「あとはねぇ、ヤクザ10人に囲まれて、おじいちゃんが全員倒して後輩を助けたとよ」
「ええ〜、それも嘘でしょおばあちゃん!」
「それは会社の人が言ってたから本当やね」
私は祖父のことを世界一尊敬している。

祖父は世界規模の人であったが、別になんの物語の主人公でもなかったし、大きい会社の役員にもならなかった。主人公みたいな人が主人公でないのが世の中なのだなあと思う。比類なきものというのは時に孤独なのだなあとも思う。
しかし間違いなく祖父はスケールが大きく、豪胆な人であった。そんな祖父を育てた都市に相応しく、宮崎にはこんなキャッチコピーがある。
「ひなたの国、宮崎」
もう太陽を観光資源にしているのだ。田舎すぎて太陽以外に観光資源がないとかそういうことでは多分決しておそらくない。その肥沃な土地や雄大な自然、人のおおらかさ暖かさをそのキャッチコピーに反映させているにきっと絶対違いない。

人柄は街を作る。人々の気質がその土地の雰囲気とか土壌を育むように感じる。
宮崎は、街が遅い。「街」に「遅い」という形容詞をつけるのはいかがなものかとは思うが、そうとしか言いようがないのだ。スマートフォンの時計の設定を変えたほうがいいのではないかというくらい1日が長い。人の歩くスピードにいらいらする。綾町から祖母の家に帰っても、余裕でおやつを食べてコーヒーを飲み、テレビを見てだらだらしながらスマホをいじって飽き飽きするほど時間がある。そこにいるのは家主の祖母と、一緒に暮らしているおばである。従兄弟は仕事に行っていたり、2階でゲームをしていたりする。かなり贅沢な時間である。

おばの顔を眺める。私は将来こんな顔になるんだなあと見つめる。死ぬほど顔が似ているのだ。おばと並んでいると必ず「あら、娘さんいたっけ」と言われる。毎回訂正する。なんならゲームをしている従兄弟も同じ顔である。祖父の遺影も同じ顔で微笑んでいる。呪いレベルで顔が遺伝している。ちなみにこの顔に産まれると男女問わず男運が悪い。おばはバツが複数ついている。従兄弟は継父と合わずいまだに外に出れない。祖父も義理の息子(私の父である)に酒を途中で切り上げられて1人で呑んでいた。多分私もバツがつくか結婚できないんだろうなという嫌な確信がある。しかもこの中で私だけ全く数学ができないので、随分都合の悪い呪いになっている。私はセンター試験で数ⅡB24点を叩き出したことがあり、この点より低い人の話を一度も聞いたことがない。
私は24点のスケールなんだなあと思いながら、4つしかないテレビのチャンネルをザッピングした。
おばと祖父母の話は、また別の記事にも書きたいと思う。

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