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映画「Demolition」(邦題:雨の日は会えない、晴れた日は君を想う)についての考察

こんにちは!Keiです!今回初めてnoteを投稿します。大学時代はアメリカ文学を専攻し,現在は高校の英語教師をしています。今回はアメリカ文学研究で培った力を生かして,大好きなアメリカ映画を分析してみました。だいぶ長い記事となってしまいましたが,読んでいただけると嬉しいです!

みなさんは映画「Demolition」(邦題:雨の日は会えない、晴れた日は君を想う)をご覧になったことがあるでしょうか。観たことがなくとも邦題のユニークさから何となく記憶に残っているという人も多いのではないかと思います。私はこの映画が大好きなのですが,否定的な評価も意外と多く,つかみどころのない映画なんて言われ方もしているみたいです。実際この映画を一緒に観た私の友人も,何が言いたいのか最後までよくわからなかったと感想をもらしていました^^; 

この映画を十分楽しむためには,映画全体に散りばめられている"Metaphor"(比喩)を 理解する必要があります。実際主人公のデイビットが物語の途中に "Everything is becoming a metaphor."とつぶやくシーンもあり,この映画において "Metaphor"が鍵となっていることがうかがえます。よくつかみきれない映画だと思った人は,もしかするとこの "Metaphor"を十分にとらえきれなかったのかもしれません。

この記事では,映画「Demolition」に細かく散りばめられた "Metaphor"を分析することで,映画全体の解釈をしてみるという内容となります。映画を観たことのある人は各シーンを思い出しながら読んでみてください! 

無関心

物事が過ぎ去っていくイメージ

物語の冒頭では,主人公デイビットが,何にも興味を持たず何にも目を留めずに,彼の人生がただ単調に過ぎ去っていくというイメージがいろいろな "Metaphor"を使って描かれています。

冷蔵庫・工具への無関心
デイビットの妻ジュリアは,家の冷蔵庫の故障を直してほしいというメッセージを冷蔵庫に貼っています。一方のデイビットは,貼られたメッセージカードの存在も,冷蔵庫が壊れていることにすらも気付いていません。さらにデイビットのお父さんから譲り受けた工具を使って冷蔵庫を修理してほしいと妻に頼まれると,そもそも工具をもらったことなんて知らないという表情を浮かべます。実の父から譲り受けたはずの工具なのに。この冷蔵庫や工具への関心の無さは,目の前にあるはずのものが彼の目には留まらずにただ通過してしまっている彼の状態を表す比喩になっています。

妻の死への無関心
妻ジュリアが交通事故で無くなったにもかかわらず,デイビットはそれまでと全く変わらない生活を送ります。事故の翌日には通常通り出勤し同僚を驚かせたり,ジュリアの父親と神妙に話をしていたかと思えば,バーの酒がなぜ高額なのかという全く関係ないことを語り始めたりします。さらに最も深刻なこととして,彼はジュリアの死後一度も涙を流すことができません。無理やり泣きまねをして(これ自体おかしなことですが)涙を絞り出そうとしますが,一向に泣くことはできないのです。単調な毎日の中で「気に留める」ことを忘れたデイビットは,自分の妻にすら関心を持つことができなくなっています。最愛の人の死の「通過」は,デイビットが空っぽの人間になってしまっていることを表しているといえます。

不調への執着・抵抗

自らが知らぬ間に「通過」し続けていたことに不安を感じ,それに抵抗し始めるデイビットの様子が いくつかの"Metaphor"によって暗示されます。

M&M'S の自動販売機・トイレのドア・パソコン
自動販売機でM&M'S のチョコを買おうとすると商品が途中で引っかかって出てこなくなります。デイビットはその苦情の手紙を幾度にもわたって M&M'Sの会社へと送り続けます。自動販売機の不調に異常なまでに執着する彼の態度は,妻の死すら目の前を通り過ぎてしまう自分の不調に無意識的不安を感じ始めていることを暗示しています。さらにきしむトイレのドアや操作の利かないパソコンを衝動的に解体することからも,自身の「不調」の原因を探ろうとする気持ちが読み取れます。

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電車の急停止
彼は毎日同じ時間に乗っていた電車を,停車ボタンを押すことで急停車させてしまいます。電車から外の景色を眺めると,景色は目の前をどんどん「通過」していきます。さらに彼は毎日同じ時間にほぼ同じ顔触れの乗客と電車に乗っていたのであり,デイビットにとってこの電車はまさに「通過」していく単調な毎日を象徴するものでもあります。そう考えると,彼が電車を急停止させたのは,目の前を通過していたものに目を止めようという意識の芽生えであると考えられます。

「Demolition」(破壊)の意味

この映画の原題でもある「Demolition」。デイビットはあらゆるものをひたすら破壊しまくります。注目すべきなのは,デイビットの「破壊」の引き金となった,義理の父の言葉です。その言葉とは,"Take everything apart."。文字通り「すべてをバラバラにする」という意味ですが,この言葉が 彼の「破壊」の意味を明らかにしてくれます。

目の前をすべてのものが「通過」してしまうばかりで,何事にも目を留めることがなかったデイビット。この不調に直面する彼にとって必要なことは,物事ひとつひとつに目を留め,その細部まで目を凝らすということです。「すべてをバラバラにする」破壊行為は,出来上がった一つのものを分解し,細部を顕わにさせる行為です。つまり,「Demolition」(破壊)は目の前を通り過ぎていたものひとつひとつに注目するために必要不可欠な行為であるといえます。

「破壊」と聞くと否定的な意味を連想しがちですが,この映画においては,デイビットの不調を改善するために不可欠な手段であり,ある種肯定的イメージを持っているといえます。

破壊

自己破壊
あらゆるものを破壊するデイビットは最終的に彼自身をも破壊していきます。

例えば,それまでは解体途中の他人の家を破壊していた彼ですが,ついに自らの家を破壊し出します。生きるのに必須である自宅を壊すことは自己破壊の一歩であるといえます。また彼は,破壊に夢中になり仕事には身を入れず,ほぼクビの状態となります。間接的ではありますが,これも自己破壊のひとつと言えるでしょう。さらに,彼はクリスという少年に自分に向かって銃で撃つように指示をします。防弾チョッキを着ていたため死ぬことはありませんが,この行為はまさに自己を破壊する行為です。

バラバラに破壊することで物事の細部を見つめようとした彼は,結局自分自身をもバラバラにし,自らを見つめ直そうとしているのです。

加えて,この自己破壊は,彼自身の再構築のために必要な過程であるという見方もできます。再構築するためには,まずは部品ひとつひとつをバラバラに解体する必要があります。作り直すためにまずは壊すという過程がこの自己破壊のもう一つの意味です。実際に,この再構築のイメージは,次章の「再生」のイメージと密接に関わり合っています。

「再生」のイメージ

物語の終盤には「再生」のイメージが描かれます。

「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」
"If it's rainy, you won't see me, if it's sunny, you'll think of me."
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」の原文です。亡き妻からのこのメッセージは,デイビットの車のサンシェード(日よけ)に貼ってあります。この言葉の意味はサンシェードと重ねられているんです。雨の日はサンシェードを使わないからこのメッセージは見ない、晴れた日にサンシェードを使う時だけ見る。まるで妻ジュリアへのデイビットの態度をそのまま表しているようです。自分が必要な時しか妻を見ず,無関心な態度で接する。

このメッセージを読んだ彼は妻の死後初めて泣きます。「破壊」を通して細部に注目しようと努めた過程を経てやっと,自分がいかに妻の細部に目を向けていなかったかを自覚した瞬間といえるでしょう。

メリーゴーランドの修繕
彼はジュリアの父親に,もう使われなくなったメリーゴーランドを修理する提案をします。メリーゴーランドを再生させることは,実はデイビット自身の再生でもあるのです。

彼が妻の生前の記憶を思い出すシーンでは,たびたび彼女が幸せそうな笑顔でメリーゴーランドに乗っている様子が回想されます。つまり,メリーゴーランドの修繕の提案には,妻にとって幸せだった瞬間を再現したいというデイビットの思いが表れているのです。妻にさえ関心を持たず,すべての物事が目の前を通り過ぎていたデイビットはもうそこにはおらず,細部に目を留めるようになった(再生した)彼の様子がメリーゴーランドの再生という "Metaphor"で暗示されています。

さらに彼の満面の笑顔が,デイビットの再生を表す,この映画最後の "Metaphor"となっています。何にも関心を持たず,何にも気づけなかった彼は感動することができず,空っぽの人間でした。実際に妻の死後泣けなかったり,笑わないことを少年クリスに指摘されたりするなど感動できないデイビットが描かれています。しかしながら,最終場面では満面の笑顔で走り出す彼の様子が描かれます。「破壊」することであらゆることに気づける自分を取り戻し,感動することができる新しい自分へと生まれ変わった(再生した)ことが彼の表情の変化から読み取ることができます。

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おわりに

ここまで読んでくだっさた方はもうわかっているかと思いますが,この映画はデイビット自身の「不調」→「破壊」(解体)→「再生」という順で話が進んでいるんです。まるで壊れた機械を修理する手順のように,彼も再生していくのです。

彼の異常な無関心さや急な破壊衝動など,そのまま正面から受け止めてしまうとちょっとばかげていて,ついていくのが辛くなってしまうかもしれません。もしかしたら,この映画に魅力を感じないという方は,デイビットの行動を真正面から見すぎてしまっているのかもしれませんね。でも一度 "Metaphor"に注目し,その裏の意味を考えてみると,かなり面白い映画だと思えるのではないでしょうか。

すごく長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方に心からお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

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