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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第151回 第117章 増毛のあの子はどうなった

 大学医学部艇庫の中では、重要でないことばかりお喋りしていたものである。例えば、部員の誰かが最近ナンパを密かに断念したらしい相手のことなど。論点が微に入り細に入り多岐にわたり、突っ込みどころ豊富で、しかも直接の当事者にとっては防戦困難で、こんなに長持ちする話題はない。中でも、1学年上の先輩をからかうのが一番楽しい。増毛のあのコはどうなったのだろうか。高校の制服のままで両親のリンゴ農園の直販所を手伝っていた、あのコのことである。朝、海鳴りの音を聞きながら布団の中から視線だけを出して目覚まし時計を見詰めていたのだろうか。4個も並べた時計を順番にトンカチで叩いて音を止めていたのだろうか(ガッシャーン)。何時何分のバスで留萌に通っていたのだろうか。冬の間、海岸は寒くなかっただろうか。受験や就職で不利に扱われてはいなかっただろうか。
「せんぱーい、最近あのコのこと話題にしませんね。こないだ、山茱萸(Sanshuyu)ちゃーん好きっ、て寝言言ってましたけどね。そんなに気になるなら、告っちゃえばいいじゃないっすか。それとも、あっさり振られちゃったんですかぁ? 医学部生って他の学部の学生より段違いに有利なはずなんすけどねえ。だって、ボクらの背後霊の横には金と銭が陽炎のように見えているはずでしょう」
「こん、あほ、ボケッ。そもそも今は誰とも付き合っとらんわ。そんなん言うんなら、今度解剖して骨格標本にしたるぞ、お前」
(先輩ってお茶目。すぐに誘導に引っかかるんだから。いつもは標準語もどきなのに。やっぱり先輩って、誰もガールフレンドいなかったんっすね)。
 そうした、海岸の空気を肺の奥まで吸い込んだり、筋肉マッサージをしたりしながらの気楽なお喋りの日々も、もう昔のことになってしまった。
 オレたちはそれぞれ医師としての厳しい人生に移行してしまっているのだ。後戻りはできない。でも思い出は時々蘇ってくる。そのうちに、そうした思い出の中の当事者たちが一人死に、二人去り、ついには思い出す主体であるオレ自身も消えて行くのだ。順番がどうなるかは誰にも分からない。このオレが真っ先にこの世とおさらばするかも知れない。いずれの場合にも、人間一人の死によって、この世からその人間の脳にだけ収納されていた膨大な記憶が消滅してしまう。このことは、一般には社会にとっての嘆くべき大損失であるが、一部の関係者にとっては願ってもない強運になるのだ。
(また、猪野田のことを思い出しそうになってしまった。もう出てくるなよ、お前。うちの寺に住み着いている魑魅魍魎たちでさえ、遠慮してほとんど顔を出さないのに、お前だけしつこいんだよな)。
 ぼくらは大学時代にヨット競技の激しい練習に明け暮れた結束の強い仲間であり、お互いの弱みをしっかりと握り合っているため、「大人」になった今でも、おいそれと抜け駆けができない。
「おい、あのことテレビ局に電話するぞ」
「それだけはやめてーん」
 このやっかいな人間関係は、おそらくぼくらが70歳を超えてもなお解消できないのだろう。他のクラブに入っておけば良かったのか、それともヨット部の方が被害がまだ軽い方だったのかは誰にも分からないが、きっとどのクラブや同好会に入っていたとしても、他人とは何とか折り合いをつけて行くしかないのだろう。
 同時にひとりの例外もなくドイツ語に堪能でもある。つまり、ぼくらの艇庫では日本語、英語、ドイツ語の3カ国語が会話用に使えるということである。誰もが英語に力を入れなければ医師としてはやっていけない時代なのに、ドイツ語の方が性に合う学生が10人以上も同じ運動部にいたのは奇跡的に珍しいことであった。
 他に若干違う経歴の面子もいる。それぞれ国試に受かって医師業の修行中の身であるため、なかなか浜に集まってリギンをすることができない。母と祖父に長期に渡った高価な学生時代を過ごさせてもらえた幸運は巨大である。
 ここでいう「ぼくら」は、オランダ語の「wij」(ヴェイに近く聞こえる)、ドイツ語の「wir」(ヴィア)、フランス語の「nous」(ヌ)、スウェーデン語の「vi」(ヴィ)、ロシア語の「мы」(ムィ)、イタリア語の「noi」(ノイ)に共通した意味合いである。自由なる人間関係の構築・維持には、日本語の不条理なまでに多岐にわたって発達してしまっている人称代名詞の歴史的制約を乗り越える思考訓練が必要である。その最も簡便かつ確実な方法は、複数の外国語を熱心に勉強することである。

第118章 医師になったボクら、艇庫に向かう https://note.com/kayatan555/n/n05fc0a5f6922 に続く。(全175章まであります)。

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