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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第171回 第137章 ベルリンの市

 休暇中だし、作業はすでに前倒しで進んでいるので、今日は朝食から何の気兼ねもなく冷えた生ビールを1本飲み干す。朝酒だぜ! だが、理性の増大と「体力の限界」が相俟って、そこから先はさほどのアルコールを体が欲しない。18歳でこの水準の平衡状態と達観に至る人間は少ないだろう。ミカンちゃんを一方的に責めることはできない。
 南米唯一のOECD加盟国であるチリ共和国産のワインは、産地を偽って「おフランス産ざんす」というラベルをつければ1.5倍以上の値段で売れるだろう。我々のこのヨット艇庫では、そのワインを気分を出してわざわざ樫の木の樽に移して仲間たちに供している。チリ南部は、ドイツ語系移民の功績で一種の南ドイツになっている。他の中南米諸国もそうかも知れないが、チリではドイツ語新聞も定期発行されており、そのおかげで私はスペイン語が読めなくても、チリのニュースは少しだけ知ることができる。清潔な街並み、道路、秩序だった建築群、木々の醸し出す健康的な住環境。移民の子孫の中にはドイツ系学校に通っている児童・生徒もおり、ドイツ政府もここに限らず世界中のドイツ系住民との間に緊密な関係を保とうと努めている。
 北半球にいる我々は、南半球に対して、より関心を向けるべきである。季節は正反対。春は秋で、冬は夏である。
 浜で飲むのに使っているグラスは、ベルリンの露天で、長い夏休みにカザフスタンからドイツ語研修に来ていた、日本で言えば高校2年生に当たる男子生徒から買った古い代物である。英語でchaliceと言う聖餐杯も横に数種類並べられていた。クロイツベルクに住んでいる親戚の狭いアパートに居候させてもらって授業に通っているが、その日は叔父さんが水タバコをぽこぽこ吸いに近所の友人宅に2時間ほど遊びに行っている間だけ店番をしている、と言った。くすんだ緑色の四角い布製の帽子を被っていた。上下カザフスタン陸軍の払い下げだという、少しサイズの合わない戦闘服をまとった武人のような面構えのこのスポーツマンタイプのティーンエイジャーは、自分からそういう説明をしなければ、外国人とはとても思えない正確で早口のドイツ語を話した。例えば、バルト海に面したチュービンゲンのギムナジウムを出て、フンボルト大学に登録して、親元から離れて大学生の生活を始める直前の生まれながらのドイツ人と言われても、私には見分けがつかなかった。いや、方言らしき表現も語彙も一切使っていなかったようなので、かえって地元の人間には外国人であることが際立って見えたのかも知れなかった。ベルリンっ子なら「g」(ゲー)を「j」(ヨット)と発音するはずなのだが。こっちでガールフレンドはできたか? キミも、木綿のハンカチを先渡ししてきた口か?
 菩提樹の大木の他、まだ樹齢の若いポプラなどが数十本生えている、青畳ならぬ石畳の広場で週2回開かれている市であった。知り合いのドイツ人、チェコ人、アメリカ人らと、そのためには死んでもいいほど美味だったソーセージのキムチ添えを食べながら白ビールを飲んでから、別の店で生クリームたっぷりのケーキとブラックコーヒーで、ドイツにいるのに練習のためそれぞれ不自由なフランス語で長時間お喋りした後で別れて、ホテルに帰るためSバーンの駅に向かう途中で通り過ぎようとしただけだった。だが、それなのに結局この市では、このグラスのセットに加えて、数種類の鉱物や、中央アジア原産の希少種の植物の種子、ある大学の研究所で発行された1806年版の紀要など、いくつか目尻うっしっしの戦利品を手に入れることができた。
 興味のない人間の目には、これらはすべてガラクタにしか映らないだろう。万が一セシリアに再会することがあったら、これらを含むコレクションは決して捨てないように言っておかなければならないだろう。
「何それ? そんなゴミ、さっさと捨てなさい。男って未練たらしいわねえ」
「ダメー、これボクのー!」

第138章 祖父の学んだベルリン https://note.com/kayatan555/n/ne9008496acd1 に続く。(全175章まであります)。

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