今日は918。
今日は柳条湖事件(満州事変)の日です。
今から 92年前の 1931 年 9 月 18 日夜、満州(現:中国東北部)の奉天(現:瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅ うじょうこ)付近で日本所有の南満州鉄道の線路が爆破されました。これを関東軍は中国軍の行為として出兵し、満 州事変の発端となりました。
「勿忘国耻」 ... 国恥を忘れるなかれ
中国では毎年9月18日 9時18分に、各地で14回の鐘の音と空襲警報のサイレンが鳴ります。 これは、屈辱的な歴史を忘れないことが明日への師になるという考え方です。
14 回というのは、1931 年から第二次大戦終結 1945 年までの 14 年間の苦しみを刻む回数です。
2012年9月11日に日本政府が尖閣諸島国有化した後の9月18日はメディアやSNSで抗日の記事や投稿が溢れました。
ただ、上海は、外部からバスで来た人たちのデモがあった以外、日本人駐在として危機感を感じるはありませんでした。
抗日を実感したのが2回。帰り道にある大きな家の門に「日本人和狗禁止入内」と書かれた紙が貼り出されていたこと。小龙虾を同僚たちと食べている時に、日本語で話をする我々をずっとこ睨んでいる人がいて、同僚に聞くと「尖閣問題で日本人を悪口を言っています。あまり喋らない方がいいです」と注意されたりしたこと。
これだけでした。
日本の報道は騒ぎすぎだと思いました。
そもそも1972年9月25日、日中国交回復時に尖閣諸島がどちらのものか争うことは棚に上げて日中国交回復を優先しようという話で合意し、両国が棚にあげた話だったといいます。
それを2012年4月、当時の知事が地権者と買い取る合意をしたと発表。これを中国政府が批判。焦った当時の首相が9月11日に国有化したというもの。
国交回復時の与党と違ったから棚上げの話を知らなかったのは不味かったかなと思いました。
しかも9月9日のAPEC会場の移動の際に、胡錦濤主席が野田首相を呼び止め、立ち話で、最近の日中関係が尖閣諸島をめぐる問題で「緊迫」していると指摘したうえで「日本側がいかなる方法で『島を購入』しても、違法、無効であり、中国は強く反対する。事態の重大さを十分に認識し、誤った決定を下すことなく、中日関係の大局を維持する」と国有化をやめることを求めたといいます。
この3日後に日本は尖閣諸島を国有化、胡錦濤主席の面子を潰したのです。
しかも9月18日柳条湖事件の直前で、毎年、日中間が緊張する時期で、なぜきちんと話す場を設けず、この微妙な時期に一方的に国有化してしまったのか残念に思ったのを覚えています。
韓国が一方的に竹島を国有化したら日本政府はどう思うでしょうか?それと同じことをしたのです。
歴史は国によって、また、立場によって変わるもので、どちらが正しいかとは決められない。だから話し合いが必要なのだと思います。それぞれの国が歴史的エビデンスを持ち出しても、それさえ自国の視点でのエビデンスでないと言い切れず、客観的であるのは難しいです。
国同士は、異文化や国家体制、宗教などにより相容れない部分が存在するのは当たり前で、それを認め合った上で、合意する部分で協力し合い、合意しない部分を解決する対話をしていくものではないかと上海に駐在し、客観的に日本と世界の様子を見たり、アフガニスタンの中村哲さんについて学ぶ中で思うようになりました。
核や軍事や力で脅し合ってバランスを保つのは違うのではないかと思うようになりました。
尖閣諸島に影響が残る2014年、「第一財経」の友人記者から「私は北京で仕事をすることになったので、私の代わりの日本語ができる新しいメディアのS記者を紹介する。良い記者だよ」言われ当時、誕生したばかりの「澎湃」というメディアのS記者と会いました。
その記者は国際部で日本企業を担当していると言い、総領事や日本人のノーベル賞受賞者の記事を見せてくれました。
私は、会ったら是非聞いてみたいという質問を彼に投げました。
私「Sさんは、日本企業の担当をされていますが、尖閣諸島はどこのものだと思っていますか?」
S記者「もちろん中国のものです(笑)」
「ただ日本企業の商品は素晴らしいし、私が取材した企業の社長も素晴らしかった。中国企業は日本企業に学ぶところがたくさんある。尖閣諸島問題もあるが、それはそれとして、私は日本企業を尊敬しているし、もっと知りたいと思っているので担当になったのです」
そう言って笑ったS記者の顔が印象的でした。
「それはそれとして」
ステレオタイプで物事を見るのではなく、こういう考え方が、異文化コミュニケーションにおいて大切なこと何ではないか、そう思わせてくれた出来事でした
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