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親の価値観を脱ぎ捨てる

先月末ミラノで遊んできた。夫はイタリア出張中でミラノで待ち合わせをした。
夫と日帰りではアチこち行っているけど、お泊りで休暇を過ごしたのは7月にいったアムステルダム以来だったと思う。

ミラノはとっても楽しかった。歴史的建造物や絵画を見るのは大好きだし、
食べるものもすべて美味しかったし、買い物も楽しめた。

夫の仕事のせいで子供たちと国を隔てて離れて暮らすことになった私の寂しさを埋めようと、夫は週末ごとにどこか美しい場所へ私を連れていく。私が楽しめることをしようと務めてくれている。
それに乗じて十分ヨーロッパ旅行三昧をしようと思っている。

子供たちと離れて寂しいと言ったって、成人した子供たちは6年前に息子が家を出て独立して、娘も4年前には独立している。息子に至ってはもう、お嫁さんもいるし、子供べったりの子離れできない親であるまいし、めっちゃ寂しいということもない。
二人ともちゃんと仕事もしていて、大学卒業後はさっさと自立して、まあ私としては、子供たちを一人前に育てたと自負しているのだから、心配を隠し信頼している。

文明の利器でビデオチャットもできるし、何しろあのCovidのロックダウンのおかげで数か月も会えない事態を経験している。
会えないけれど、我慢はできる。

私だって18歳で家を出たし、結婚後はオーストラリア、スイスと親からはとても離れたところに住んでいて、外国に住む子供たちに会えなくて寂しいとは大手を振って言いづらいということもある。
物理的に離れたけれど、愛情に変わりはないし、核家族が核分裂したんだから、もう子育て中の蜜月には戻れないんだということも知っている。
夫婦二人の核でこの先、老いていく、その手始めの老後への自立でもある。

子供たちのために(という自分たちのために)頑張って働いて稼いで二人が自立できるように育てなくちゃ!という、親としての責任はプレッシャーでもあり、生きがいでもあった。
子育てが終わってプレッシャーはなくなった。
子供たちの存在は今でも大きな喜びだ。
でも、新たな生きがいが必要だ。

生きがいってなんだ。私自身の楽しみはなんだ??

ただ生きているだけでもありがたいと思うが、なんだか遊んでいるばっかりでは申し訳ない気になってくる。
結婚当初、出張の多い夫だったので長子を出産後、最初の5年間は幼子二人を抱えてのほぼほぼワンオペ育児だった。
その期間以外で働いていないという状況になったのは、今回が初めてだ。
働かない罪悪感みたいなものを少し抱えながら、まずは言葉を習得しなくては働き口どころか、コミュニティにも入れないので、ゆっくりドイツ語を勉強している。

ミラノから帰ってきて実家の母に電話した。
仕事もせずに遊んでて、贅沢ばっかりしてるとバチがあたる!
とたしなめられて、
なんで楽しい思いをしたら、バチが当たらないといけないのか?
と反抗したくなった。

反抗期なんてものが、ほとんどなかった子供時代の私。
苦労して私たちを育ててくれた母に、反抗なんてできなかった。
父には権力で抑えられて、恐怖でコントロールされて
反抗なんてできなかった。
https://note.com/kayamakiriko/n/ne9b17ba0da2b

いろいろな心の勉強をして
人生を楽しむ許可が自分にできるようになってはいたけど
そこにあったちょっとした葛藤や罪悪感は、
母の価値観の刷り込みをだったということを再認識した。

そこに出てきたのは怒りだった。

80代も後半になる母に怒りをぶつけてもしかたない。
母には夫がイタリア出張で会いに来てほしいと言われて行ったのだと説明した。夫のためにわざわざ出かけて行った良い妻だと言えば母は納得するからだ。夫のためのイタリア旅行は許されて、私が楽しむのは許されない。

ワンオペ育児だったので母に子供を託すときも、病院や、夫の送迎や地域の仕事だったら預かってくれたけど、私が友達と遊びに行きたいから、とお願いしたものは断られた。でも夫の希望で二人で出かけるときは喜んで預かってくれたことを思い出した。
当時も父親にクソみたいに扱われたくせに、夫の希望に従順であることを娘に強要する母に心のどこかで怒っていた。

母の価値観に苦しめられていたことはこれが最初ではなく、もうほぼほぼ出し尽くして、自分の価値観に変えてきたかと思っていたけど、まだあった。
たくさんのワークをして何十年もたったけど、たたけば出る埃のように、でてくる「もう要らない価値観」

改めて私は人生を楽しむ許可をだせた。
私は遊んでいいし、楽しんでいい!





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