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流産のこと② わかった日

化学流産らしき出来事があったとき、近所の産婦人科に診察に行ったときのこと。

初めて会ったその医者は、カルテに記載してある私の年齢を見るなり「妊娠したいならウチみたいな小さな産婦人科じゃなくて、それ専門の病院に行かないと。あなたの年齢だったら自然に妊娠するの待ってる間に間に合わなくなるよ〜!」と言い放った。
「私、化学流産したのかどうか診察してもらいたくて来たんです。」声を絞り出すのがやっとの感覚だったのを覚えている。

化学流産したのかどうかというか、生理がしばらく遅れて妊娠反応があって喜んでいたのにその数日後どっさり出血して妊娠反応がなくなったから、自分の身体の状態を知りたかった。
それだけだったんだけどなー
聞きたくない事聞いてしまったなー

その件があってから、妊娠の相談でクリニックに行くのはやめる…妊娠するまで婦人科のクリニックには行かないと誓った。
だから、今回の妊娠反応が出た時は心拍が確認できるくらいの時期に予約したはずだった。

でも、確認できなかった。

いやな思いしたくなかったし、また同じ病院で産みたいと思っていたから以前出産のときお世話になった先生の病院に行った。
あれ?
胎のうの確認はできたが、ネットで調べまくった大きさに満たない上に予定日もずれてる。
「また2週間後くらいにもう一度大きさみてから予定日確定しましょう」
そう言われて帰ったけどすごい違和感が残った。

それからつわりらしき症状がほんの少し進行して、安心したけど具合悪い日々が続き、検索魔。
『赤ちゃん育ってなくてもつわりあるらしい』

自分の体が信じられなくなった。

だから、2週間後の検診の時
先生が一生懸命に心臓のドキドキを探してくれているのがわかって、苦しかった。
やっぱりねって思った。
モニターに映る胎のうは、この前見たときよりほんの少しだけ大きくなっていて、その中にちっちゃいキノコみたいな赤ちゃんがいたけど、動くものがなかった。
なーんにも動いてなくて、超音波のやつでぐりぐり動かされてるだけだった。
映った一瞬嬉しかったけど…
頭が真っ白になった

そのあとナースから手術の説明があったけど、あんまり憶えてない。

娘と母が待つ家にすんなり帰る気になれなくて、以前の妊婦健診の日の恒例にしていた帰り道のご褒美ランチ食べたけど、全然美味しくなかったし
その後さらに大好きなイチゴのパフェ食べてみたけど、
全っ然美味しくなかった。
ショックだった。
家に帰って泣いた。
夫に話してさらに泣いた。
夜、みんな寝てからまた泣いた。

泣きながら、夢なら覚めてくださいと願ったけど覚めずに朝が来た。
まだつわりの気持ち悪さは残っている。
なぜかそれが嬉しかった。
妊娠できていたことの証明みたいで、嬉しかったけど悲しかった。

あの日から今日までかすかにつわりのような気持ち悪さは続いている。
いつまで続くのかな…何も美味しくないのに気の向くまま食べたいもの食べてるからただ胃の調子が悪くなってるだけかもなー…
まぁいいや
明日でこういうの、やめよ。

この、今のこういうぐちゃぐちゃになった感情がいつか報われる日がきっと来ると願って
この記事を残します。

手術のあと、この気持ちはどうなっていくのか。

またここに残します

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