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『ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰』

私のアバクロとの出会いは中学生時代。家族で行ったハワイ旅行だった。パリスヒルトンをはじめとしたアメリカンセレブがファッションアイコンとしてもてはやされた時代で、私も雑誌をかぶりついては追いかけ憧れ真似してセレブファッションをかじっていたそのひとり。ハワイではジューシークチュールの店舗に行って興奮した。パイルジャージやラインソックスを買ってもらって大喜びしてた。

ショッピングモールで、異様にイイニオイを放つやや照明暗めのお店に吸い寄せられた。それがアバクロだった。入ってみるとイイニオイが店中に充満していて、うろうろしているスタッフ、服を畳むスタッフ、レジのスタッフ、スタッフのビジュアルが全員頭抜けて良いことに驚いたのをすごく覚えている。モデルさんなの?芸能かじってるよね?
たしかグッドルッキングボーイと写真まで撮ってもらったような…。当時アメリカンセレブに憧れていた私はもれなくアバクロワールドに心酔した。世界観に惹かれたから香水にも憧れたし服も買った。海外旅行に連れていってもらうたびにアバクロを買っていた。(日本上陸はもっと後のこと)

そんな思い出のアバクロも、成長とともに嗜好の変化、トレンドの変化とあいまって知らぬ間に遠ざかっていた。日本にできたあたりから「もういつでも買えるやん」「ラフウェアにしては高いし機能性もそんなに良いと感じなかった」「なんか知らない間に体育会系男たちがこぞって着てるんだな、私のファッション嗜好とはもう違うしいいや」という感じで気がつけば過去に好きだったブランドに位置づいていた。

2022年5月、Netflixで『ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰』を発見。盛衰、てことは世の中的にももうダウントレンドなのね。思い出浸りもできそうだし見てみるか、と何気ない気持ちでタップするとこんなキャプションが。

イケてる若者の象徴ともいわれたアバクロンビー&フィッチ。90年代後半から2000年代前半にかけて、排他的戦略でポップカルチャーを席巻したブランドの実態に迫る。

Netflix

排他的戦略だったのか…!私の研究対象のニオイがして視聴してみた。
見て初めて知ることが多かった。最初打ち出されたブランドコンセプトはアメリカに根付く白人至上主義、カレッジカルチャーのスクールカースト最上位層に置かれスポーツクラブカルチャー、ルックスの良さや育ちの良さ、犬のイメージはゴールデンレトリバー。
まんまと憧れたアジアンの自分は、ブランド戦略の思い通りだったようだ。もっと大きい視点で見るとアメリカ白人カルチャーの思い通りか。

そしてブランディングからはみ出る人は外見採用の結果スタッフにはなれない、本社がアウト判定したスタッフのシフトを外し実質的解雇、といった人事の問題が取り上げられていた。

そんなレイシズムルッキズムの上に成り立っていたブランドを褒めそやし憧れていた自分が恥ずかしい。無知って本当に怖いことだな。

今は、ダイバーシティの認知があがってきた時代。レイシズムルッキズムは時代の変化、文化の成熟とともに衰えていって当然。集合的価値観も変化していくのは当然のこと。でも中高時代憧れていたのは事実だしレイシズムルッキズムカルチャーは自身の血肉となっていることを実感せざるを得ない。忘れてはいけない。その経験あってこその今のこのフェミニズムマインドを大事に育て、次世代に伝えていきたい。

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