霞が関パワポを生産性の低さとみるか
サムネイルの画像はGoogleさんに「霞ヶ関パワポ」入れ、画像検索をした結果である。いくつかクリックして中を拝見したが、これらを政策資料として拝見すると、いわゆる5W1Hを、私が理解できたものは一つもなかった。5W1Hとは、Who(だれが)When(いつ)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)である。
日本人のフラットな世界観はアートである
ものすごい話は飛ぶが、ルイヴィトンとのコラボでも話題になった、日本を代表するアーティスト、村上隆は、その「スーパーフラット」な世界観で知られている。
「村上は、美術史において「ハイ」と「ロウ」の境界線を曖昧にした表現「スーパーフラット」で評価されている。浮世絵や琳派など日本の伝統美術と戦後の日本のポップカルチャーの平面的な視覚表現に類似性や同質性を見出し、それらを1つの画面に圧縮している。」この辺は、アートペディアさまから拝借した。
https://www.artpedia.asia/takashi-murakami/
私は、このスーパーフラットな世界観こそ霞が関パワポの原点だと思う。
ポンチ絵を描く技能
官僚に限らず1枚の「ポンチ絵」づくりを要求する職場は多い。特にコンサルなどで「偉い人に説明する」という局面でのこのような1枚ものに対するニーズはそれなりにある。ポンチ絵づくりがうまい=ポンチ絵職人というだけで付加価値が高い人材とになることもある。「霞が関パワポ」の特徴である 平面性、一覧性、網羅性と曖昧さの共存 などの特徴がそんな皆様の参考になれば幸いだ。
なぜ霞が関パワポがこんなに沢山ある?
霞が関パワポがは特定の省庁だけでなく広く使われているようである。良いまとめサイトがありましたのでこちらを御覧くださいませ。
https://matome.naver.jp/odai/2150794894198054701
要は、霞が関パワポ作品はすべての世界観を一枚につめこんだ、「曼荼羅」であり、忙しい政治家に政策を1枚で説明するためやむを得ず作っており、多くの場合ものすごい残業と根回しの末に出来上がるとのことである。
ポンチ絵は検索に弱い。
最近は、ポンチ絵も含めた有識者会議の殆どは、何らかの形で終了後情報Webに公開されている。なので我々もたくさんのポンチ絵をみることができる。ただ、問題はある。ホントに知りたいキーワードを検索してポンチ絵にあたることは少ない、なぜならポンチ絵は画像変換されているので、ポンチ絵の中のキーワードにはグーグル検索がヒットしないのだ。
例えば「霞が関パワポをなんとかわかりやすく。」地道な活動をされている方々もいる。なるほどとおもった素晴らしい記事だ。
しかし、「クールジャパン」で検索しても、画像検索にしてもこのデザイナーさんの作品にも、もともとの霞が関パワポもヒットしない。たどり着くだけで大変なのところも密教の経典っぽく、曼荼羅といわれるゆえんだろう。
日本政府機関のWeb、検索機能が弱い
多くの霞が関パワポは、 mext.go.jpなど公的機関のドメインで公開されているので、日本国の公式資料である。少なからず税金を支払い、この国で暮らしている国民としては、できる限り理解をしたいものであるが、高等教育を受けた私でも大変難しい。
まず、原典を探すのが一苦労だ。ほとんどの資料が、各Govサイトの階層の深いところにPDFとして保管されているので、たどり着くだけで大変である。英語圏の国では、今やWebサイトの右上にキーワードの検索窓を設け、キーワードを入力すれば一発でその資料にたどり着くWebが多い。参考までに英国政府のサイトをあげておく。
日本国政府の各省庁のWebにはそのような機能はない。なので、曼荼羅(ポンチ絵)の中のキーワードから地道にGoogleさんでまずはキーワードを探す。
例えば、どうやらこれは「2018年から2019年に開催されたXX有識者会議の第5回の中間報告資料のまとめの一部」など特定し、その後「XX有識者会議」のページに行き、地道に探してようやっと該当の霞が関パワポが含まれてそうなPDF資料を探し出し、そしてPDFをダウンロードして原典にたどりつく。1つのPDFに「資料1」「資料2」などたくさんの曼荼羅や文書が含まれる。巨大な資料をもとに、専門的かつ詳細な議論がされたことはわかるものの、それぞれの資料の間の関連、とくに100ページを超える配布資料のどの資料が重要なのかの重み付けが不明である。いちおうポンチ絵は結論、まとめ、としての位置を占めていることが多いので、それを眺めながらなんとなくその世界観を理解しようと試みる...そしてなんとなくわかったような気にもなる。
有識者会議という意思決定機関
省庁の官僚が自分たちだけで政策案を作ることはない。制作過程でその分野のエキスパートを呼び、意見を聞きながら作っていることが多い。つまり霞が関パワポの制作には「有識者会議」がつきものである。私は、某省における「有識者会議」なるものの傍聴に行ったことがあるが、2時間くらいの会議での、配布資料の厚みは1センチを超えていた。だいたい構成比は、ポンチ絵2割、びっしりと字が埋まった資料5割、細かなエクセル表2割、写真1割といったところである。昨今の環境問題に配慮してか、質の悪い紙に両面印刷をされているので、読みにくいことこの上ない。ちなみにポンチ絵はカラーが満載だが、有識者のみなさまはカラー版、我々傍聴人はモノクロ版なので水色の丸とピンクの丸は同じように見える。
有識者会議を傍聴したことがない方々のために補足すると、会議では官僚、有識者数十人がむりくりラウンドテーブルを作るので、会議室の中央には巨大な無駄な空白スペース(だいたい一辺が10メートルくらいの四角)がある。そしてお席に座っている高官の後ろには若くて優秀な官僚の方々が待機している。この後ろの方々は昨夜徹夜で資料をまとめた方々と思われる。我々傍聴人の席はこの四角を眺められるようにつくられている。昨今の情報公開の要請に答えてか、多くの有識者会議は一般傍聴を受け入れている。開始48時間前とかにいきなり申し込みフォームがWebにアップされるので注目する会議があったらこまめにチェックしているとだれでも見に行くことができる。
厚み1センチの紙資料のゆくえ
資料はPDFでデジタル配布してくれたら、紙は不要だし、少なくともキーワード検索ができて便利なんだが....。厚み1センチの資料は重すぎ、理解できなかった場所も多かったが、会場にいる善良な官僚の方々は大変親切かつ丁寧で、20人くらい出席する有識者や高官の方々のお世話にも忙しく、私のようなパンピーにかまっている余裕はなさそうである。だから、PDFでくれとは言い出せず、キーワードだけテキストでメモしたりWeb検索しながら理解を深めながら議論を聞き、紙の資料は終了後、省庁のゴミ箱に捨ててきた。税金を無駄にしたことと、この紙を印刷して綴じた官僚の皆様に申し訳ないという気持ちがあり、ゴミ箱に入れるか迷った。
いまでもドスン、という資料を捨てた瞬間を覚えている。
ITがテーマの会議だったが、傍聴人も含め、会議中にその内容を深く理解するためにネット検索を活用したりPCでメモをタイプしている(私としては能動的に聞いて、情報を本気で理解しようとしているときの定姿勢)人は全体の5%にも満たなかった。人が話しているときにカタカタとキーボードを打つ、というのは未だにやってはいけないビジネスマナーなのか、私にはよくわからない。
生産性の低さへの警鐘
ハーバード大学の研究で、プレゼンテーションにおいては、PowerPointを見ながら話を聞いたときより、なしの話のほうが印象が良いとのことである。
参考:Geoffrey James (journalist) https://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_James_(journalist)
日本と比べ、シンプルなPowerPointが多い米国での研究でこの結果であれば、日本の「霞が関パワポ」でやったらどうなるんだろうか。日本人はやはり一枚物のポンチ絵があるほうが政策に納得するのかな.....。いずれにしても、霞が関パワポに関するABテストやランダム化比較実験(有りのときと無しのときの理解度比較)は、ぜひ検討をしていただきたい。
箇条書きの方が良いはず
PowerPointにあれほど詳細な図や文字を入れるためにはグリッド線の調整だけでも大変である。純粋に廃止したらいいのにと思う。私は曼荼羅より、1.だれが 2.いつ、3.どこで、4.なにを、5.なぜ、6.どのようにをそれぞれ20文字以内で要約してにまとめてくれたほうが嬉しい。テキストを作るだけの方が楽なはずだ忙しい政治家も、この120文字以内にまとめられた紙を一枚もち、5なぜからはじまり、1−6を口頭で読み上げば政策説明は1分で済むから簡単だろう。有権者から質問をされても、このメモがあれば完璧に答えられる。
また、文字情報だからデジタル検索も容易である。図、ポンチ絵は補足資料としてあっても良いが「箇条書きが正式資料、ポンチ絵はイメージ図であることを明記したほうがいい。また、1枚のポンチ絵に入れて良い文字数、最低のフォントサイズは指定したほうがいいだろう。
安易な「わかった気」で政策形成をする危険性(加筆)
労働経済学者の川口大司先生の、こちらの論考が、ポンチ絵による政策形成の危険性についてこちらにロジカルにまとめてくださっている。EBPMは私の研究上のテーマで、川口先生の論文から学ばせていただいた。まさかこの霞が関パワポに関して先生から学ぶことになろうとは思ってなかったが、こちらの記事が出て、すばらしいので引用しておく。特に政策形成を生業とする公務員、政治家は必読な記事だし、我々国民も有権者としてしっかり知るべき内容だと思う。
生産性かアートか
私は現代美術が好きだ。そしてスーパーフラットな日本の現代美術は日本が世界に誇る成熟した文化を持っている国であることの証であり、日本人として大切にしていくべき伝統だと思っている。なので、伝統芸能といての霞が関パワポを全否定してしまうと、それは日本の文化も否定する可能性があることから慎重にとは思っている。官僚の給料は税金だし...とか正論では箇条書きが良いだろう。ただ、こんなことは私が決めれることではそもそもないし、このあまりだれも読んでなさそうなnoteで一人で吠えても何も変わらなそうだ。
官僚になることは「アーティストの弟子入り」
グダグダ書いたが、まだ大学生の皆様に、なにか私が言えるとしたら、要は、2020年の1月現在の日本において、官僚になる=アーティストの弟子入りをすると思ってみたらどうかということだ。
官僚の仕事と霞が関パワポの制作は2020年現在、どうやらセットである。霞が関アートと考えれば、作品が複雑怪奇で有権者の理解を超えていたとしても、アーティストに対して「私にわかるように簡単にしてくれ」などの注文はお門違いだ。また、作品作りに時間がかかりテクニックが必要なのも芸術だから仕方ない。その意味では霞が関ポンチ絵(曼荼羅)を芸術作品と見做すと色んなモヤモヤが解決する。
官僚の労働時間は残業代がしっかりと払われていない長年の体質である。その意味では、「霞が関パワポ」に費やされた官僚の時間というのは、納税者の払ったものではなく、それぞれの方の(ボランティア?もしくはブラック?)な血と汗と涙の結晶であり、彼らが作品に満足してれば、我々が文句を言う筋合いはないとも言える。アーティストが「この作品を作るのにX時間かかったら時間給をくれ」などという人がいないのと同じように、霞が関パワポの完成度をどこまで高めるか、そこに情熱を持てたら、官僚の仕事も楽しめると思う。そして磨いた技能は芸術作品をを将来創りたくなったときに役立つはずだ。