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30分間の予定が3時間もかけて書いていた短編/’23.3.26


「今日も見に来てくれてありがとー! まったねー☆」

 “まったねー☆”
 “ありがとう!”
 “今日も最高ー!”

 そんな文言が下から上へ昇っていく様を見守りながら、自分の動きを捉えるウェブカメラに向かって両手を振り続ける。これを搭載しているPCの画面には、ギャルゲ風の可愛い顔した美女が、自分の動きを模倣している。
 そう。この子は自分の、オンライン上の分身。この子の売りは誰に対しても媚びへつらうこと。やって来る視聴者をことごとく褒めちぎることで収入を獲得していく。そんなスタイルのバーチャル配信者を始めて、三年が経とうとしていた。

「ふうー今日も褒めちぎったー!」

 ヘッドフォンを外し、PC画面から立ち去れば、自分はただの会社員。社会に揉まれ、理不尽と戦う会社の犬だ。その社会を生き抜くために身につけた、人の良い所を見つけて褒めちぎる技術が、まさかこのオンライン界で日の目を浴びるとは思っていなかった。このまま配信者一本で生計が成り立つ勢いだ。

「さて、今日のつまみはー……」

 冷蔵庫にある缶ビールをひとまず取って、肴を物色していた時だった。
 “ぴーんぽーん”と呼び鈴が鳴ったと同時に、外を監視するモニターが光る。そこに居たのは自分のお隣に住んでいる青年だ。彼の手には缶ビールとコンビニ袋――晩酌しに来たらしい。
 自分は彼をそそくさと家に上げ、流れるように互いに缶ビールを開け、互いに缶を小突き合わせた。のどごしのままにビールを飲み干すこの時間は、もはやルーティンと化している。このルーティンは悪くないのだが、この後が問題だった。

「先輩、今日も見ました? 褒めちぎり配信者! 実は俺、あの子に褒めてもらっちゃったんすよ!」
「へえー。どう褒められた?」

 そう。目の前の自分が、その配信者の中身だと知らないこいつから、自分自身の話を聞かなきゃならないのだ。

◆◇◆

 この青年がする“自分”の話は本当に熱心で、自分の記憶が怪しいシーンすらもべらべら喋れる、正真正銘のファンだ。

「あーホントに! ああいう人と出会えてたら、人生変わってたんだろなー」

 あのね、今お前はその憧れの人んとこにリアルで突撃してんのよ。リアルで愛を伝えてんのよ。結構嬉しい反面、反応できなくて悔しいのよ。どんな顔すれば良いか分かんないのよ。

「ん、どうしたんすか先輩? 何かありました?」

 感情をこらえている顔を見られないように下を向いていたのを怪しまれたか。話を遮った青年は、自分の顔を心配げに覗き込んでくる。

「いや、別に」

 慌てて青年から目を逸らし、配信者として感じた気持ちを飲み込む勢いで、缶の中身を飲み干しては冷蔵庫へ。

「先輩二杯目ですか? そんなハイペースで飲んでちゃ、後に響きますよー? もう四十路なんですから、気を付けないとー」
「うるせえ」

 ばたん、と冷蔵庫の扉を閉め、お代わりの缶ビールを開けた。
 この青年との付き合いは、こいつが家に挨拶にきたのが始まりだった。自分の物販品であるTシャツを身につけていたのを見て、自分が自分の配信者名をうっかり呟いてしまったのだ。これを彼は「同じ配信者のファン」だと認識したようで、彼は配信が終わるたびに自分の家へ遊びに来るようになる。

 正直、初めは怖くて堪らなかった。自分を追っかけに全力を尽くしているストーカーじゃないかと疑って、この家を出ようかと検討するほどだった。検討しすぎて、実際に胃に穴が開いて病院の世話になった。
 突然の入院生活になったもんで、配信はおろか、お知らせすら出来ず仕舞い。だから退院してこの家に帰って来た時、当然青年は涙ながらに訴えてきた。

「あの子が突然居なくなった! 何があったか誰も知らないから死んだかもしれないって噂が立ってて――」

 おめおめと泣く姿に胸を締め付けられた自分は、彼を慰めつつ、緊急配信と題した告知をし、その知らせを受けて彼を帰らせた後すぐに配信を始めた。この時に知ったファンの気持ちは、今でも自分の宝物だ。そしてこれを宝物のままにしてくれているのは、間違いなくこの青年のおかげだ。
 と何と無しに目を向けた青年は、自分と同じ缶ビールを開けていた……だと?

「おい、それ俺のビール」
「わ、ばれた。すんません! 今度買ってきますから! 今回は見逃してください!」
「今回も、だろ? ……まあ、開けたもんは仕方ねえ。不味くなるから、さっさと飲め」
「さすが先輩! 懐がでかい!」

 そう言って飲み干す青年を見ると、純真無垢に感じる。でも、そんなこいつも社会の荒波に揉まれては、褒めちぎられようと自分の配信にやって来ている。こんなやつになら、本当の自分を伝えても良いのかもしれない。そう思い始めた矢先、青年のケータイが通知音を鳴らした。

「あ、あの子の最新情報が入ってきた」
「最新情報?」
「はい! 何か情報が来たらすぐチェックできるようにしてるん――え」

 酒に酔った影響で真っ赤だった青年の顔から、血の気が引いていく。
 え? と連呼しながらケータイの画面を凝視する青年は、飛び込んできた最新情報を一言一句読み返している。

「裏の顔炸裂? 配信切り忘れ?!」

 は? こいつ何言ってんの? もう配信は終わってるぞ?

「先輩見て下さいっ! 配信まだ続いてますっ!」

 ばっ、と見せられたのは、自分の配信一覧。その最上部には、配信中であることを示す赤枠が、今日終えたはずの配信タイトルを囲っていた。

「え、まじじゃん」
「早く止めさせないと炎上不可避ですよ!」
「バカ開くな――」

 手を伸ばした時には既に遅かった。青年のケータイから大きな声が響く。

「“――と炎上不可避ですよバカ開くな――”」
「う。そ……」
「“――う。そ……”」

 静まり返る部屋。彼が呆然としているうちに自分はそっと、PCの前に座る。
 スリープ状態を解除すると現れたのは、下から上へ文言が昇っていく様と、目をぱちくりさせているギャルゲ風の可愛い顔した美女。使っていたヘッドフォンを耳から外しただけで満足していた自分は、配信そのものを停止し忘れてしまったらしい。それに気付いた事をコメントしている中に混じるのは、自分を罵るコメントだった。

“ぶりっ子四十路乙”
“早く配信切って!”
“炎上不可避w”
“よくわかってんじゃんwww”

「ど、どうするんすか先ぱ――」

 尋ねてきた青年の言葉を、自分が手を上げることで遮った。
 席につき、PC周りを見直したところ、幸いヘッドフォンは繋がれたまま。つまり、あの子の声のまま、ここまでの出来事が垂れ流されているということだ。

 ヘッドフォンを装着し、咳払いをする。

「皆ごめんね。驚かせちゃったね。私は普段、ここじゃない世界では、社会の荒波に揉まれる一般人。媚びへつらうことで社会を生きてきた、四十路を迎える一般人なんだ」

“なんか語りだした”
“皆静かに!”
“ざわ…ざわ…”
“言い訳開始ー”
“修羅場wktk”

「この見た目で中身は四十路って、プロフィール詐称もいいところでしょ? 騙されたって思っている人は確実にいると思う。そんな思いをさせてしまった事を、今この場で謝罪相と思う。申し訳ありませんでした」

 キーボードに額がくっつくほどのお辞儀をした。
 十秒ほどそれを維持し、再び顔を上げた時、コメント欄に気になる文言が。

“すすり泣き誰?”
“誰泣いてるのー?”
“先輩―って慕ってた子泣いてるじゃん”

「あー、後ろの子? デビュー当初から私の事を応援してたファン。近所の人でさ、配信終わる度に晩酌しに来るの。酒を呑み交わしながら、その時の配信についてたくさん語ってくれるんだ。そのおかげで勉強になることも多くて、感謝してて。なのにこの気持ちを伝えられないまま、ずっと四十路の一般人として接してたんだよね」
「ぜんぱぃ……」

 振り返ると、穴という穴から水を垂れ流す青年と目が合う。

「今まで応援してくれてありがとう。この先の自分を応援してくれるかは、あんたに任せるわ。皆も、こんな自分にがっかりしたなら、全然離れて良いからね。それじゃ、今日の配信はこれで――」
「応援じまず!」

 配信終了ボタンに伸びた手は、青年の声で止まる。

「俺はバーチャルでのあなだも! 今目の前に居るあなだも大好きでず! 応援じないわげが無いじゃないでずかあっっっ!」

 床にしゃがみ込んではおめおめと泣くその姿は、退院してすぐ会ったあの頃の泣きっぷりを思い出す。誰かの為に、人目をはばからず、ありのままの気持ちを曝け出している。あの頃と変わらない、純真な心を持つ君が本当に羨ましい。こんなのを目の前で見たら、景色が潤んでくるじゃねーか。

「ほら、見で下ざい! 応援したいって言ってる人が、こんなに居ますよ!」

 青年が突き出したケータイ画面を見るべく目を擦る。そこには、様々な背景色に染められた暖かいコメント達が、際限なく上昇していた。
 皆……泣かせてくれるじゃねーか。

「ありがとう。良い肴になるよ」

 言いながら席につき直した自分は、ウェブカメラに向かって口を開いた。

「よーーーし今日は飲むぞーーー!」
「え、まだ飲むんですか!?」


 ――これが、後の名物“曝し呑み配信”の始まりとなった。
 月に一回行われるこの配信は、定刻よりも二時間遅れて始まり、普段通り視聴者を褒めちぎりながら、時間の許す限り呑み明かすという内容だ。この配信に限っては、ヘッドフォン越しではあるものの普段通りの口調でも気にする者が少ない為、肩肘張らない配信が可能。本当の自分のまま配信ができるのがあんまりにも楽で、最近は普段の配信でも素が出てしまうのが玉に瑕。

「さて、次のコメントいくぞー」

 話題を探そうとコメント欄を見つめていた時だった。“ぴーんぽーん”と呼び鈴が鳴ったと同時に、外を監視するモニターが光る。そこに居たのは、相変わらずお隣に住んでいる青年だ。彼の手には缶ビールとコンビニ袋――晩酌しに来たらしい。
 自分は彼をそそくさと家に上げ、流れるように互いに缶ビールを開け、互いに缶を小突き合わせた。のどごしのままにビールを飲み干すこの時間は、もはやルーティンと化している。

“青年キター!”
“待ってました!”

「お前もすっかり馴染んだな」
「はい! 皆さんが良くしてくださるおかげです!」

 にいっと笑うこの青年のおかげで、本当の自分で居られる時間をファンと共有できるようになった。本当に、嬉しい限りなんだが、この後が問題だった。

「この気持ちを本当の意味で共有できないものか」
「というのは、どういうことですか?」
「これを見ている視聴者と、同じ空気を吸える環境で呑み明かせないかな、と」
「え、めっちゃ良いじゃないですか! 俺達の呑みっぷりを中継してもらいながら皆と呑む企画! どっかの店を貸し切って、同じ料理に舌鼓を打つなんて最高ですよ! どうですか皆さん? そんな企画があったら参加したくないすか!?」
「ちょ、勝手に進めるな!」
「見て下さい先輩! 賛同意見大多数ですよ!」
「はあ……まあ、仕方ねえ。あんたや皆がそう言うなら、考えてやらなくもない」
「やりました! じゃあいつも通り企画書作ってきますね!」

 というように、こいつが勝手に自分の配信を仕切り始めるのだ。しかもこれのタチが悪いのは、実際に作ってきた企画書が自分の琴線にぶっ刺さるということと、ファンが作った企画書だからか視聴者にもぶっ刺さるということだった。
 この配信を続けている限り、こいつとの付き合いも長く続きそうだ――そう思いながら缶の中身を飲み干した。

『本当の自分』
~完~

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