街区公園 第一話
あらすじ
あらすじ昭和の終わりに、新人類と称された頃の「若者」にもなりきれていない少年たちが、自分自身と同じような中途半端な発展途上の町で、有り余る力で、不器用にもぶつかりながら成長していく。
周囲を工事中の造成地にかこまれている横浜の郊外にある、川名中学校に通う青野春彦は、宇田川、室戸 と共にUMA(未確認生物)と称されて、一部の不良生徒に恐れられていて、また、敵対する者ものも多かった。
そんなUMAの名前を語って、カツアゲを繰り返している奴らがいると情報が入る。
青野の友人で私立の進学校の沢田から、ウチの学校の生徒がやられたと、聞かされる。
しかも、その一連のカツアゲ事件に身内が係っていると知る。
#創作大賞2024 #漫画原作部門
第一話 「彼女が見下ろしたから俺は見上げたんだ」
放課後の「誰もいない教室」というのは、本当に誰もいないものなんだな。
いないと言いうのだから当然なのだが、実際は部活や委員会やらで、もっと居残っている生徒がいて、話し声や笑い声が、もう少し
聞こえているものだと思っていたけれど。
グランドから微かに、ちょっとしたリズムネタにも思える、運動部の掛け声が繰り返し聞こえてくる。
隣りの棟の音楽室から、管楽器の厚みのある幾つかの音色が、各々揃わずバラバラと、中庭に響いて落ちる。
冷たくシンとしていた教室に、音が届き、色が入った。まだ上手くは塗れていないようだけれど。
それでも、そんな『ザ中学校』といった効果音も、この伽藍堂とした教室では、放課後のBGMとしたら、丁度いい雑音だ。
こんな時間まで教室に残っている事なんて久し振りで、いつもは、さっさと帰宅していたし、午後の授業はフケて、奥山ん家の離れでファミコンやっている事が多かったから、担任に呼び出されて珍しく居残る事になって、忘れていた放課後の風景も、その中に自分がいるのも歯痒くて仕方ない。
開けっ放しの窓からカーテンを揺らして入る風が少し冷たくて、もうすっかり秋だと実感する。
学校の周囲では、小さい頃から続いている港北ニュータウン開発が、遠くに聞こえる、造成工事のショベルカーの音が、ガタガタと窓を越えて届いてくる。
「遅っせーなー」つい口にして、椅子を倒して伸びをする。
さっきまで担任に、職員質でねちねちと説教されていて、やっと終ったと思ったら「渡す物があるから教室で待ってなさい」と、放置されたままだ。
今日も、無視して帰ろうかとも思ったけれど、以前にバックレた時は、担任が家まで訪問して来た。そう毎度々家に来られるのも却って面倒なので、今日は仕方なく居残ったんだ。
担任は、女の先生らしい執拗さが有る。もう新人の熱血教師って訳では無いけれど、学年主任に、ねちねちと俺の事を言われてるからなのか、どーでもいい様な事でもいちいち五月蠅くて、とにかく曲がらない。
アクティブな雰囲気は好印象だけど、いつも、そのまま登山にでも行けるような恰好、いや、数日は山中に行いた様な感じで、流行りの『ボディコン』を着ろとまでは言わないけれど、せめて髪くらいは、ちゃんと梳かせばいいのにと思う。
それでも、生徒には結構人気があるらしいが。
「あー、ダメだ帰ろう」
思わず声に出し、椅子から跳ね起きて、教室の出口へ向うと、目前で扉がガラっと開いた。
「うわあっ」
扉の前で鉢合わせになった担任の横山が、驚いて変な声を上げた。
「ちょっと青野、帰る気だったの?」
横山が眉を寄せて、手で教室に押し戻す。
「なんだよ、おせーよ先生」と、ふて腐れながらも従って戻る。
「ごめんごめん」と、片手を出して謝るポーズかと思ったら、差し出した手で封筒を渡して寄越した。
「これ、青野が割ったガラス代の請求書。お母さんにお渡しして」
「えー、俺が渡すのかよ」大袈裟に嫌がって見せる。
「ちゃんと謝って渡しなさいよ、自分がやった事なんだから」と、まっすぐ目を見て言われるから、従うしかない。
「わかったよ、ったく。でもあれは、俺が割った訳じゃないんだからな」
「わかってるよ、でも止めに入った遠藤先生も怪我されてらっしゃるのよ」と、横山が話し出したのを遮って
「もう分かったよ」少し声を荒げる。
横山は、一瞬黙ったけれど、まだ何か言いたげで「青野の気持も分かるよ」とだけ、小さく言った。
分かると言いながら、あの日に起きた事は分からない様にしている。誰が誰を止めたって言うんだ。ガラス代を弁償してお終いって事だ。
「もう帰っていいの?帰って『夕ニャン』見なきゃいけねーから」と、ふざけて返す。
「ちょっと待って、三者面談のプリント、青野は学活に居ないから渡して無かったでしょ」そういってプリントを寄越した。
「高校くらいは行こうよ、青野は勉強出来ない訳じゃないんだから、もう最終決定の時期だぞ」
「わかった、わかった」と、適当に返事を返して教室を出る。
「わかった、わかったって、本当に分かってんの?」
教室の扉を開ける背中に投げ掛けてくる
「授業、サボんないで出なさいよ、青野春彦、分かったのー」
横山の声が、運動部のダサい掛け声に混ざって、廊下に響いた。
まったく、二人で『分かった』って何回言うんだよ。
委員会が終ったりしたのか、先程よりは生徒が増えた気がする。 これから遅れて部活に向う生徒だったり、帰宅する生徒だったり、大体が昇降口に行くから、裏の渡り廊下側には人があまり居ない。
あーイライラする。横山先生は嫌いじゃないし、むしろ好きな先生だけれど、イライラした。
あの人は先生っていう職業ではあるけど、教師ではないと思う。教師というのは『教える人』の事で、横山先生には何も教わる事が無い。
先生と、そう呼んでいるだけで、ただの『呼称』に過ぎない。
そんな事を考えてると余計にイライラするので、校舎裏でタバコを一服してから帰ろうかと、外階段を降りて行く。
反対側から渡り廊下を渡って、階段を女生徒が二人並んで登ってくる。
こちら側にでると、吹奏楽の音が大きく聞こえる気がする。ずっと『Song for U.S.A.』を演奏してたんだと、今、気付いた。
階段を登ってくる娘たちと、チラッと目が合った。クスクスと笑っている。
知っている娘だ、あの娘だ、一個下の・・・確か名前は松田・・・松田菜穂だ。隣りの娘は・・・ちょっと分からないな。
二人でキャッキャ言いながら歩いている。すれ違い様に、また一瞬目が合って、小さく笑った横顔に思わずドキッとした。通り過ぎて飲み込んだ息が漏れた。
「先輩」
階段を下りる途中で、不意に後から声を掛けられて、手をポケットに突っ込んだままで、振り返る。
数段の先の踊り場から、通り過ぎていった筈なのに、一段降りて戻った彼女が見下ろし、俺が見上げている。
夕暮れにはまだ少し早いけど、だいぶ陽が傾き、西日が彼女に射して光って見える。
紺色の制服を、肩まで伸びた髪を、陽の光が赫く染める。
悪戯っぽくも、照れ隠しにも見える小さな笑顔で彼女が言った。
「私、青野先輩と付き合う事にしたから」
中庭に響いていた、不揃いの管楽器の音も、運動部の掛け声も、この瞬間、消えた。
無音の中、心臓の音が階段の上の彼女に聞こえて仕舞いそうで、彼女の鼓動も下にいる俺に届きそうなくらいで、時間が止まったみたいだ。
彼女が、赫(あか)く、輝く様に見えたから、俺は眩しくて、目を細めて睨んでいた。
キレイで眩しかった。だから、見とれて、何も言えなくて、ただ彼女を見上げていた。
彼女が振り返って、駆け足で階段を登って戻って行くと、喧騒が戻り、時間が動き出す。
彼女が居た踊り場が、終幕の後のステージみたいで、残った高揚感と、終った後の寂しさが漂っているようだったけれど、俺も前を向いて階段を降りた。
あれは告白なのか、揶揄っているのか、分からなかったけどまだドキドキしていて、心臓の音と吹奏楽の音が、さっきより大きく不揃いに聞こえて来て、耳障りだ。
「青野先輩、コンチハっす」
「おう」
ここ最近は工事が本格化してきている。丘陵を切り崩して、平たく広がった造成地の、一画、その端っこを巻き込むように、単管パイプで簡易的な歩行者通路が作られていて、通学は漏れなくその狭い通路を通る事になる。その通路を歩いて行くと、あちこちで声を掛けられ「先輩サヨナラ」「はいよー」と、挨拶の繰り返しで嫌になる。
やっぱり、とっととバックレて、市ヶ尾のマックで、限定販売のパイナップルバーガーでも食っていれば良かった。
後輩が挨拶して来るのは良いんだけど、こっちも返すのが面倒くさい。中には、イチイチ気お付けして、直立不動でお辞儀してくる奴もいて、これは本当に止めてほしい。
大袈裟すぎるし、俺には、バカにしてる様にも思えて、余計に腹ただしい。
けれど、後輩達にしたら、宇田川とかが煩く言っているから、仕方ないんだろう。
ちょっと前に「いちいち大袈裟な挨拶しなくていいよ」って後輩に言ったら、効果覿面で会釈程度の挨拶で済む様になった。
気楽で良かったんだけれど、その後輩たちを宇田川が呼び出して「お前らちゃんと挨拶しろよ、ナメてんのか」と、怒って小突いた。
俺は宇田川に「後輩イビってんじゃねーよ」と窘めた。だが、逆にキレられる。
「挨拶は肝心だろが、お前が甘やかし過ぎるから付け上がるんだよ、そんなんじゃ、シマんねーんだよ」宇田川が食って掛かる。
「はぁ、俺が何だって、だいたいテメーは軍隊でも作るつもりかよ、大袈裟な挨拶させやがって、コントだぜありゃ、鬱陶しいんだよ」
「春彦、テメーは後輩のケツも持たねーのに出しゃばって来るんじゃねーよ、『アオハル』の癖に冷めてスカシやがってよ」
「誰が『青春』だ、やんのかコラ」
宇田川の胸倉を掴む。
「上等だ、コラッ」
宇田川が短ランを掴み返す。
教室の扉が、ガラっと音を立て開く。
「お前ら、何やってんのよ」
笑いながら室戸亘高が、中ランにワタリ40のボンタンをひらつかせて教室に入ってくる。
「便所まで聞こえてたぞ」手を払う仕草で「いいから座れよ」と、促す。掴みあっていた俺たちも、白けて椅子に座り直した。
「春彦が後輩に優しくしたいのは分かるけど、まあ、宇田もさ、よく知らない後輩が悪さしたりしない様にシメてる訳だからさ」
貫禄のあるデカい身体を振らして、優しく笑って話す室戸に諭される。
「5月頃にもあっただろ、よく知らねー後輩が俺らの名前使って、連休中とかにカツアゲしまくってたって話。そんで連休明け早々に、南中の奴に掴まってボコボコにされたの」
「ああ、覚えてるよ、宇田川が一人で話し着けに行ったんだろ、後で後輩にカツアゲした金返させたって話だろ」
「そうだよ、テメーが何にもしなかったアレだよ」宇田川が噛みつく。
「あぁ、俺は絶賛『ダイアナフィーバー』真っ只中だったんだよ。そんなカツアゲした奴なんて、放っておけばいいだろが、プリセスの来日と、どっちが大事だと思ってんだよ」と言い返す。
「まあまあ、宇田が話し着けないと、ちょっとデカい事になってた訳だし、あの事もあって後輩には厳しくしてるの分かってやれよ、な、春彦」
「分かったよ」室戸に言われると納得してしまう。
「宇田も、分かってるだろうけど、シメ過ぎは只のイジメになっちゃうからな」
「おう」宇田川も、おそらく同じ様な気持ちで返事をした。
「お前らが揉めるとさあ、周りはハラハラするんだから、特に学校でケンカすんなよなっ、ハルちゃん」そう言って肩に腕を絡めてくる。
「ヤメロよ」室戸の腕を払い除ける。
「なんだよー、アオハルちゃーん」また絡んでくる。
「ヤメロ、触んな」
見ていた宇田川が鼻で笑う。
ただ、挨拶が面倒くさいと言った事が、ちょっとしたイザコザになって、更に面倒臭い。
後で後輩に謝りに行って「悪かったな」と言ったら「こちらこそスイマセンでした」と頭を下げて言われて、以前に増して凄く距離が出来ていた。
コチラコソって、どちらかにお勤めですか?と聞きたくなった。宇田川の奴はどんだけシメたんだか。
いわゆる、昭和の大開発と言われる、横浜六大事業の一つの港北ニュータウン開発が始まったのが、俺が生まれた頃らしい。
だから物心ついた頃には、あちこちで造成工事がいつも行われていて、この周囲には、土の盛られた新しい空地と、開発から外れた古い住宅地と街区公園。数件しかない錆びれた商店街しかなくて、本当に何も無い、横浜というには僻地が過ぎる町だった。
最寄りの駅まではバスに乗った。時には、歩いて20分程の道を自転車でニケツして行った。駅まで行かないと何もなかったので、快速も止まらない私鉄の小さな駅へと足繫く通った。
飛び石連休の間の平日だけあって、スーツ姿で早足に行きかう人の姿は、左程多くないが、学生服姿は、いつも通りうろうろしている。あと、警察官も見かける。
寄り道や、買い物をするなら、2つ隣りの駅に行く人が多いから、ほとんどが、通り過ぎていく。
バスから降りてくる学生服の集団が、私鉄の改札に飲み込まれて行くのを、ベンチに座ってボーっと眺めていた時に、沢田が声を掛けてきた。
「青野くん、何してんすか」
シャツのボタン開けて、厚い胸板を見せつけるように歩いてくる沢田智則は、私立の進学校の相光学園2年で、駅前に溜まってるうちに、いつの間にか話す様になっていた。つっぱり君と言うよりも、私立の坊ちゃん校っぽい、おしゃれボーイと言ったところだ。
「探してたんすよ、マック行ったら居なかったから」
「バスで帰るか、ハンバーガー食うか迷ってたんだよ」
「また、切ないなー」と、白い歯を見せてニヤッと笑い、花壇のヘリに座り込む。
「で、何よ、俺は今腹が減ってて、それ処じゃないんだよ」と、ひもじそうに言って見せる。
「いや実はね、うちの学校の奴らがカツアゲされたんすよ。まあ、うちは坊ちゃん学校だから、タカられ易いけど、ただ、そいつらが、室戸さんの舎弟だつってタカって来たっつうんすよ」
「はっ、室戸って、室戸亘高?」カツアゲがどうとか、興味無い話しかと思ったら、思いがけない名前が出てきて驚く。
「そうすっよ、この辺りで室戸っつたら、室戸亘高に決まってんじゃないすか。うちの奴らには、室戸さんはそんなダサい事しないって言っておいたんだけど、一応、室戸さんの舎弟の青野くんに訊いてみようと思って」
「だれが、舎弟だ、コノヤロウ」
「冗談すよっ」と、両手のひらを見せる「でも、うちの奴らもそうだけど、なんか最近、弱そうな奴ら狙ってタカリ掛けてくるってよく聞くんだよね、高校の奴らにも聞こえてるらしいし、放っておいたらマズイんじゃないすか。室戸さんとか青野くんが、タカリとかしないの分かってるけど」
沢田が、珍しく神妙な顔で心配する。
「いやー、腹減り過ぎて、よくわかんねーよ」と、大袈裟に参ったフリをして、横目ですがる様に沢田を見る。
「わかったよ、ハンバーガー奢るよ」と、大きくため息をつく。
「さっすが、沢田ちゃん、カッコイイ」と、肩を組んで立ち上がり、マックに向かって歩き出させる。
「やっぱり、タカってるじゃねーかよ」苦笑いで溢す。
「つーか、ダイアナ妃って、いつ来るんだっけ?」
「そろそろじゃないっすか?なんか、パトカーやたらと見るし」
「ポテトも付けてくれる?」
「つけねーよ」
沢田は、一度は断わったが、思い直して「ポテト付けるから、うちの学校の奴の金、戻るようにしてやって下さいよ」
「マジで?さすが沢田ちゃん」と、お道化て、「ちょっと、駅ビルのトイレ行ってくるから、注文しといて。ポテト揚げたてでね」
スキップでトイレに向かう青野の後姿を見送り「ったく、あの人は、とてもバケモノには見えないな」と、こぼす。
駅ビルのトイレは大混雑だった。そもそも駅ビルと呼ぶのも憚れるほどなので、商業スペースの裏の方にあるトイレは、長い廊下を歩く事もあってか、あまり利用者がいないはずだった。
そんな、音楽室の先にある様な地味なトイレに向かって歩いていくと、入口に学ラン姿で立ってる奴がいた。
気にせずにトイレに入って行こうとすると、まてまてと遮ってくる。
「あ、いま、トイレ使えないから」と、坊主が延びたような頭の奴がニコニコして止めに入る。
「あっそう」返事して、構わずに入ろうとする。
「おいおい、ダメだよ、何してんの」坊主が慌てて、腕を掴んで止めてくるので、睨んでみる。
すると坊主は怯んで、「あ、いや、今、混んでて満員だから、並んでるんだよ、後ろに並んでくれる」と、目を泳がせている。お茶目さんだ。
「なんだ、早く言ってよ」と、優しく笑いかけてみる。
ホッとしたのか、「じゃ、後ろね」と、笑顔で、坊主改めお茶目さんが自分の後ろを指さす。
「でも、手を洗うだけだから」と、中へ入ろうとすると、「ダメだって」坊主が大きい声を出す。
トイレの中から、「うるせーぞ、何やってんだよ」と、怒鳴り声がした時には、もう中に入っていた。
「てめー見張ってろって言っただろうが」と、怒鳴られて、入口にいたお茶目さんが「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っている。
「おーっ、本当に混んでるな」
小便器が3つに、大便器が3つの、この施設の割には大き目のトイレに、学生服姿が4人。正しくは黒の学ラン3人が、紺の学ラン1人を囲んでいる。
「なんだテメーは」と、頭を上下に動かして凄んで近付いてくる。まるでニワトリだ。
「なんだって言われても、小便だけど、トイレだろここ」
構わず小便器に近づき、チョロチョロと放尿する。
「ナメてんのか、やめろ」と、ニワトリ君が詰め寄ってくるので、放尿したまま「えっ、なに、止めるの?」と、横を向こうとするので、便器から逸れて、小便が床に跳ねる。
「バカ、止めろ、こっち向くな」と、ニワトリ君が慌てて跳ねて避ける。
その間に小便を済ませて、詰め寄ってきた奴の制服で手を拭く。
「汚ねっ」と、拭いた手を払いのけられる。
「で、うちの生徒囲んで何してんのよ」
「あっ、なんだあー」またニワトリが凄んでくる。
「そこ、小便」と、足元を指差す。
「うわ、汚ねっ」と、飛びのく。ニワトリが一人でバタバタと跳ねていてる様が笑える。
「お前ら、遊ばれてんじゃねーよ」
威圧感のある声がして、一番奥にいた、体格の良いオールバックの奴が、ゆったりと近づいて、一瞬にして緊張が走る。眼光が鋭く、他の者とは明らかに違う貫禄がある。デカイな、室戸と同じくらいの体格だろか。
「大原さん。今コイツに礼儀ってモンをキッチリ教えてやりますから」そうイキリ立つニワトリを、大男が遮る。
「お前のとこの生徒が、具合悪そうにしてたから、介抱してやってたんだよ、文句あんなら後はテメーが面倒見ろよ」と、蹲る紺の学ランを一瞥する。
「行くぞ」
大原とか呼ばれた奴に付いて、ぞろぞろと、トイレを出ていく。
「で、青野くんは、トイレに行っただけで、何で2人も増えて戻って来るのよ、つーか誰っすか」
沢田がマックのテーブルで呆れている。
「こいつは、うちの学校の生徒で、トイレで囲まれてた」と、俯いている同じ制服を指す。
「で、こいつは・・・知らん、誰?」と、恐縮して座っている奴に尋ねる。
「やだな、さっきトイレで一緒だったじゃないすか、見張りしてた」
「だから、見張り君はどこの誰なんだよ、説明しろよ」と、一喝する。
お茶目さん改め見張り君が、軽く咳払いをし、座りなおして話始める。
「自分は南中の小林康夫って言います。自分は、ただトイレに寄って出るところで、さっきの3人にバッタリ会ったんです。同じクラスの奴の他に2人いて、そこの人を連れて入って来たんです」と、うなだれて居る隣りに目を向ける。
「偶然会っちゃって、ちょっと見張ってろって言うもので、関わりたく無かったし、嫌だったんですけど、大原くんが一緒だったもので、断われる訳ないですから」
「え、南中の大原って、あの大原?」と、沢田が「大原と青野くんが一緒になって喧嘩にならなかったのかよ」と驚き、奇跡だと言わんばかりだ。
「なに沢田、知ってるのかよ」
「まあ、名前くらいは、この辺りじゃ有名ですよ。青野くんは、市外からの転校組だから知らないだろうけど、まあ、かなり強いって話しですよ」
「ふーん、まあ、確かに強そうだったな、熊みたいで」
すると、今度は見張りの小林が、「えっ、青野くんって言いました?まさか、あの川名の青野さんですか?」と、顔色を変える。
「おまえ、何で俺の事知ってるんだよ、気持わりいなぁ~」小林を,遠ざけるようにつま先で突く。
「何言ってんですか、川名の『UMA』の一角ですよね」と、小林が鼻息を荒くして興奮する。
それを見て「なんか、あんまり聞きたくないけど」と、目を細めて冷淡に言う。
「UMAって何よ」
「何言ってんすか」と、小林が饒舌に語りだす。
「川名と言えば、宇田川、室戸、青野の3人ですから、3人の頭文字を取って、未確認生物の怪物伝説と、御三人の伝説に準えてUMAと呼ぶんですよ」
「なんじゃそりゃ、伝説って言ったって、それは室戸だろ、俺は関係ないって、勘弁してくれよ」と、手をヒラヒラさせて呆れる。
「青野くん、ダサすぎる」沢田が笑う。
「宇田川にだけは知られたくないな、あいつ、好きそうだ」
「でも、話に聞いてた青野さんは、もっと大男だと思ってました。まさか、こんなサラサラヘヤーだとは意外ですよ」
「誰がこんなだ、コノヤロウ」
小林の頭を小突く。
「いでっ、す、すいません」
「で、大原達が、この人をイジメてたって事なの」と、沢田が訊いて話を戻す。
「それが、そう言う感じじゃないんですよ、なんか、その人っていうか、その人達が、南中の生徒にカツアゲかましたらしいんですよ。『室戸さん知らねえのか』とか言ってたって。まあ、その人は一緒にいただけっぽいけど、殴った奴の名前言えって、そいつら何処にいるんだって、聞き出してる時に、青野さんが来ちゃって」
「で、青野くんが掻き回してった、ってところか・・・青野くんやっちゃったね」
「おい、お前いつまで俯いてんだよ、お前らカツアゲしたのかよ」と、足で椅子を小突くと、揺らされて顔を少し上げる。
「おい、泣いてるの、マジかよ、青野くん泣かしちゃダメでしょ」
「見張り小林が悪いんだよ、大原だとか、UMAだとか言って脅かすから、お前、小林っ、なんか飲み物買ってきてやれよ、可哀そうだろ」と、語尾を強める。
「えー、何で俺が・・・分かりましたよ、もう」と、席を立つ。
「俺、ポテトね」と、手を上げる。
「タカリじゃねーかよ」
「Sでいいよん」
市営バスが、大通りから道幅の狭い街道に入って行く。帰宅ラッシュにはまだ早く、バスは割と空いていた。
「青野くん、なんで俺までバス乗ってんのよ、俺ん家駅の近くなんだけど」
バスの一番後ろの席に並んで座り、沢田がため息をついて、勘弁してくれと、言わんばかりだ。
「おまえの学校の奴の金を、取り返しに行くんだろう、小林見張くんも来てるんだから、お前来ないでどーすんの」
「いえ、自分はお役に立てるなら、喜んでお手伝いさせてもらいます。それに自分の学校も絡んでるんで」と、小林はまるで太鼓持ちだ。
「でも、佐藤っての、帰しちゃって良かったんすか」
「ああ伊藤だろ、一応、関係してる奴ら連絡取って集まれって言っといたけど」
「斎藤ですよ」小林が訂正する。「南中と川名中の間にある、溜まり場にしてる公園は自分も知ってますんで。斎藤が言うには、南中の2年と川名中の2年が連るんで一緒にやってた事らしいですから」
バスが右折して大きく揺れ、その振れに任せて青野に寄り掛かりながら沢田が口を挟む。
「なんで南中の2年と、川名中の2年が連るんでんの?そんなに仲良かったでしたっけ」
「なんでも、南中から川名に引っ越した山田ってのが、学期変わるまで川名町から南中に通ってるんですけど、奴を介して連るむ様になったらしいです。その山田ってヤツの家の近所に、川名中2年の高階ってのがいて、青野さんご存じですか?」
「うーん、聞いたことあるような、無いような」と。考え込む青野を見て沢田が、「この人は興味ないと覚えてねーよ、俺の名前も、なかなか覚えなかったんだから。俺が女と話してるの見かけたら、急に思い出した様に近寄って混ざって来るんだぜっ、いでっ」
饒舌に話す沢田の脇腹に、青野が肘を入れる。
「まあ、それで、山田を介して高階と、南中の2年シメてる土井が繋がったって事らしいですね。後は斎藤が、集められるかどうかですね。あっ、次ですね」
小林が窓枠にある降車ボタンを押すと、小気味よい音が鳴り、運転手がマイクで「ツギトマリマース」と、独特な言い回しでアナウンスした。
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