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2024.6- 一時帰国


イギリスから一時帰国した。
なぜかいま、福井にいる。そしてこれから帰る、東京に。なんで??
わたしもよくわからない。いろいろあって。

そんなこんなで新幹線の窓側の席、絶望をとろとろになるまで煮詰めたような顔をしているのがわたしで、
ねえ、新幹線って思ったより速い。


(「席、替わってもらっていいですか、窓側と」
「大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「前、すみません」
「ありがとうございます」
「失礼します、ありがとうございます」)

新幹線の窓に映るのは、久々に髪を切って、染めたわたし。

わたしの髪の毛は思春期を過ぎてくせっ毛になった。
ゆるくカールする髪をわたしのものと受け容れるには時間がかかったけれど、それはいつの間にか、わたしの一部になっていたのだった。あんなに嫌だった髪の毛が、今はちょっとすき。美容師さんのおかげだ。


わたしの髪を切ってくれる美容師さんは超センスが良いギャルのおねえさん。

良い癖っすね、とくせっ毛を毎回褒めてくれるからなんだか自分のいやなとこ全部を褒められたようで、うれしくてまっすぐ背筋をのばして家まで帰る。たとえそれがお世辞でも、ぜんぜん、まったく、いい。

彼女の「かわいっすね」とか「いい感じっ」とか「良い癖なんで、活かしましょう!」にすこしだけ救われている。それだけでいつもより人と自分に、優しくなれるのだった。

基本的に癖はなおらない、どんな癖でも。
それを知っているから、いい癖も、いやな癖も面白がって、かわいくして生きていたい。
かっこよく言えばそれがわたしのポリシー。

とはいえ、困ることもたくさんある。
たとえばいまは原因不明の肌荒れに悩まされている。もうかれこれ6ヶ月ぐらい肌が荒れっぱなしだ。

たまりかねて先日皮膚科に行ったら、
脂っこいものを避けてくださいね、と
かかりつけの皮膚科の金髪の医者が言った。彼は耳が悪くて、どうやらわたしの言っていることのはんぶんは聞こえていない。
避けてます、と言ったけれど、聞こえてなかったのか聞こえてないふりをしたのか、それで診察は終わった。

避けてるんですよ、避けてて荒れてるから困ってるんじゃないですか、

という諸々をとりあえずのみこんで、いろいろをつめこんで、のみこんで、薬を貰う。890円。

そういえば、美しい友人は非の打ち所のない鼻をコンプレックスだと言っていたことを思い出す。悩みはぜーんぶ人それぞれ、とつぶやきながら赤く爛れた顔を持ち帰った。

まあ、イギリスから帰ったところで生きていくしんどさみたいなことは変わりはしない。

ちまちました絶望と手をつないで生きていく、生きている。


ーーー

もうだめだを何回繰り返してやっと大人になれるのか、だれか教えてくれたらいい。

もうだめだ、もうだめだ、だめ、
諦めが絶望のようにさらさら降って顔を曇らせて、笑って、笑って、何回笑い飛ばしたら絶望が希望へとひるがえるかなんて、誰も分からないし分からないよ。

わからない、
わからないから笑顔と笑い声だけが上手になっていく。

誰かに触れたくても、誰に触れたいのかも、もう分からない。

誰にも理解されないことなのかもしれない。わたしのことはわたしのことでしかないから。
ほんとうのことは秘密にしておく。音楽を耳に携えて夜道を歩く。スキップして、鼻歌を歌って。深夜。


ーーー


もし、明日死ぬとして?
会いたいひとがいる。だから逢いに行くために走る、
と思ったら上手くいかなかった。

いま、タイミングを逃した。
最近そんなことばかりで、いっかいぐらいそっちからこんな感じで会いに来てくれてもいいんじゃないかとか、息を切らして吐く息の中でそう思うよ。
理不尽だね、悪いのはわたし。
今日は松屋で牛丼を食べる、ことに決めた。


ーーー

わたし/あなた/世界を最高だ、と言い切ってわたしは死にたい。言いようもないクソだからな。わたしも世界も。多分あなたも。

これから帰るよ。

ーーー

まったく、うまく、ぜんぜん、いかず。
とつぜん渦に巻き込まれて、よせばいいのにずんずん入ってしまって溺れてしまった、そんな夜。

もうかなしくてしょうがないよ、なんてそんな気持ちに浸ってもしょうがない。涙は簡単に止まってはくれない。

とぷとぷと満ちる水が広がりつづけて、いつの間に目の下まで上がった水位、いろんなものが浮いて濁って、それでもわたしは泳ぐ。

たくさんの水、たくさんの涙。
かつてわたしを作った優しさ、愛、それらは押し流されて遠くへ行ってしまった。

夜明けの街はひとりで、でもきらきらしていて、
海みたいだよ。

ずっと向こうまで広がっているきらめきに任せて遠くまで行けるなら、私は船をつくろう、これから。オールも手作り、まっすぐどこまでも漕ごう。

泳いで、漕いで、どこまでだって行ける。

ーーー

聞こえるか分からないのでただ呟いてみるだけです。



わたしのからだは、いつから私のものではなくなってしまったのでしょうか。いつから性的に消費されるようになったのでしょうか。

ふと気づくときがあります。
女の身体というのはいつだって美しく、銭湯に行ってみるとそれがよくわかります。熱い湯船に浸かりながら、からだを洗っている女たちの胸から腰、尻にかけての線をするすると目でなぞると、不思議と優しい気持ちになります。

湯気で滲んだ、柔らかく淡く甘い身体の境界が、同じ性のものとは思えないほど美しくみえるからです。肉付きの良いもの、そうでないもの、未熟でかたいもの、老いているもの。そのすべてのからだがさまざまである、そのことに美しさがあります。

いろんな花をみるように、わたしは女という性のことが愛しいです。触れてみたくなります、壊さないようやさしくやさしく。

そして、思うのです。
わたしのからだはいつから(女)性的になったのでしょうか。思いがけない人から身体を求められ、その日からずっと悲しみと戸惑いがありました。

私はフェミニストではなく、ただ、ひとりの人間なだけです。生まれたときに固有の名をつけられた、

性別は女というだけで。女というだけで、こんな。

仕方のないこと、わたしが女として生まれたことも、女の体をもっていることも、あなたが男であることも、人はどうにも愛を求めて、孤独を嫌ってしまうことも、ぜんぶわたしのせいでも、あなたのせいでもないことを、知っています、でも。

わたしの自由はどこにあるのでしょうか。

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