思想家とかいうバケモノ

記念すべき一投目の筆なのに、適当なことしか書けないこの愚かな若輩者を、どうか見逃してくださいませんかねぇ、神様。
といいつつ、『神様だなんてとんでもない。私が宗教に入っているみたいじゃないか。』と、そう思う。

否、確かに私は教祖であった。

高校のトイレは皆、荷物等をトイレ前の廊下に置いてから利用していた。しかし私はそれがどうも気に食わなかった。
『何故其方は己の荷物をトイレ前の床に置くのか。』
邪魔です。その床の上で息をすることを生業としている菌たちにとって非常に。
私は何がなんでも、トイレでは荷物と共に居た。80億の人口を孕む世界で、たった1人私という下民と巡り合ってくれた奴らなのだ。その奇跡を蔑ろにするような気分を、コイツらで味わう気はさらさらなかったのだ。
しかし、緞帳は静かに、そして唐突に上がっていくものだ。
クラスメイトの中で、仲が良いとも悪いとも言えないその人は、不意に荷物だらけの私に向かって
「なんで荷物持ってんの?」
と素朴に問うた。
高校のトイレにおいて荷物と共に有るという、眼前に広げられた異様な光景に、その人が疑問を抱くのはもはや当然だった。

しかし私は、返答に詰まった。言葉を紡ぎ出す能力を欠落させて、その瞬間だけひたすら脳を回転させた。
そしてその時、慣れた音程で声帯が震えた。脳の回路を這いずり回って、私の口先から紡がれた言葉は、
「宗教上の理由で」
だった。もうどうにでもなれと思った。

以来私が宗教家として生きなかった日はない。教祖として、たった1人の信者として、この宗教を毎日可愛がって生きている。

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