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北村透谷

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惨憺たる体験だった僕の卒論。これについて静かに新たな構想(新たに練り上がった卒論のやり直し)、これらのことをアフォリズム体も多く使いながら綴る。
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記事一覧

北村透谷私論(5)

〈昭和〜平成六・没後一〇〇年前後〉 •佐藤善也  既に多くの研究論文において透谷論を発表し…

kaya_001
2年前
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北村透谷私論(3)

 もう数年で透谷の死後130年の今、戦前戦後にわたって蓄積された研究は、単に量的に膨大である…

kaya_001
2年前

北村透谷私論(2)

〈理想詩人〉は様々な葛藤に苛まれるが、それは問題意識を〈霊魂〉の次元において葛藤するから…

kaya_001
2年前

北村透谷私論(1)

 北村透谷が自殺してしまったのが25歳4ヶ月。早すぎる。その透谷を信奉して僕などはさらに20…

kaya_001
2年前

ニーチェなどは北村透谷が求めた〈理想詩人〉というものに近しいのではないだろうか。それともこの考えは両者を良いと思っている僕が少々両者を受け入れて理解している為かも知れない。

kaya_001
2年前

「エマルソン言へる事あり、尤も冷淡なる哲学者と雖(いえども)恋愛の猛勢に駆られて逍遥徘徊せし少壮なりし時の霊魂が負ふたる債を済すこと能はずと」『厭世詩家と女性』ーーエマーソンの孫引きになるが、これも透谷と彼の、誤解を恐れず敢えて言うが、スピリチュアルな恋愛論を示す箇所である。

kaya_001
2年前
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大学の時俺ぐらいの年齢と一巡り程度しか離れてないまだ非常勤の講師だった先生が「北村透谷、憧れたなぁ…」なんて言っていて、どんなひとだろうと興味が湧かないわけがない。こちらは男子校を出たばかりの18歳、その文学少女っぷりを想像して胸ときめきましたよ(笑)そうして大学4留まで(泣)

続き)「独り棲む中は社界の一分子なる要素全く成立せず双個相合して始めて社界の一分子となり、社界に対する己れを明らかに見る事を得るなり」彼によればやはり独り身であることよりも二人組の方が社界にとっての一分子なのだ。結局のところは独り身だもの、と言うのはこの点で弱い。現在性が凄い。

kaya_001
2年前

『厭世詩家と女性』において透谷は〈想世界ー実世界〉という二項対立を分析ツールとして持ち込む。その上で「恋愛豈に単純なる思慕ならんや。想世界と実世界との争戦より想世界の敗将をして立篭もらしむ牙城となるは即ち恋愛なり」素晴らしいくだりだがおじさん入力してて何だか顔がポッとなっちゃう。

kaya_001
2年前
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ー文学による霊魂の救済ー透谷にはそんな信念があったし、そう読めるから人を強く惹きつける力があるのだ。

kaya_001
2年前
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透谷を日本の浪漫主義者の始祖たらしめているのは、彼の思想的傾向が現実以上に想像世界に重きを置いていたからだが(他界に対する観念)、スピリチュアルな、想像力の働きを重んじた立論も多くあり(人生に相渉るとは何の謂ぞ)これに「霊魂」「霊活」を積極的に問題化している(心機妙変を論ず)。

kaya_001
2年前
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北村透谷と言えば『内部生命論』『厭世詩家と女性』がまず挙げられるのだが、彼の思想を全く断片的に紹介した物である。彼の作品は岩波文庫一冊にまとめ得る簡潔な評論集である。一気にほぼ全体像を得てしまうことが出来、その時はじめて上記二作が彼の思想の大きくはあるがいかにも部分的と分かる。

kaya_001
2年前
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透谷雑記。僕が25年前後の昔に拘り続け心の奥底では書き直したい、あの時は逃げ出したくてたまらない状態にまで追い込まれてしまったが、いつかきちんと向き合うことが必要だ…このような思いに取り憑かれるその理由は自分自身の病的状態も同じ時期に始まるからだといえる。困窮しきってしまう前に。

kaya_001
2年前

何で死んじゃうのかな。そこは可哀想でも批判しなければいけない。話題にするのもタブーだと思う。作家の特に大作家が自殺してしまうまずい流れの犠牲者の系譜、そのいの一番、夭逝の詩人、早熟の天才とされてしまった。繰り返すが僕は自殺したくはない。自殺から逆算して凄かったなあなどと言わない。