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熊川哲也K-BALLET TOKYO「マーメイド」初日レポートーー絢爛と、永遠の「つづき」を思わせる余白と

2024年9月8日、熊川哲也K-BALLET TOKYO『マーメイド』世界初演を観てきました。
ここでは、きわめて個人的な感想を書かせていただきます。かなりネタバレしてしまいそうですので、これからご覧になる方はここで止め、最後に採録したマーメイド役・飯島望未、プリンス役山本雅也のショートインタビューへ飛んでくださいませ…


飯島望未(マーメイド)©︎Yoshitomo Okuda

原作が好きすぎて、
こじれた気分のまま見始めるも…

『マーメイド』世界初演初日。初日の劇場に熱気があるのは当たり前だけれど、この日の東京文化会館のロビーは、その熱量にもはなやかさにも独特なものがあり、圧倒された。私にとって、原作のアンデルセン『人魚姫』は、秘密にしておきたい痛みのような感覚を呼び起こす、特別なお話なので――熊川哲也振付作品の芸術性の高さは十分承知しつつ、華麗さばかりが目立つスペクタクルだったら嫌だなあ、という、若干こじれた気分になっていたのも事実だ。開演間際、客電が落とされた客席に、演出・振付・台本・音楽構成を手がけた熊川氏がタキシード姿で現れると、劇場は拍手に包まれた。
清澄な音楽とともに、幕の上に映像がうつしだされる。具体的な何かではなく、ただ海の波を感じさせる、繊細な映像だ。淡い黄やばら色を帯びた水色のゆらめきを見ているうちに、あ、これはもしかしたら、マーメイドが波の下から見上げている夜明けか夕暮れの空ではないかと思った。

と、一気に幕が上がる。海を広々と見渡せる、喧噪あふれる酒場のシーンだ。酒場で働く女たち、娼婦たち、常連客の船乗りたちのエネルギッシュな踊り。スリもはたらく物乞い少年(吉田周平)の、胸のすくようなキレの良い動き。目立たないが皆に愛されている様子の酒場のおやじさん(ビャンバ・バットボルド)。やがて、身分を隠したプリンス(山本雅也)が、二人の友人(堀内將平、栗山廉)とともに現れる。その気取らない物腰からは、さわやかさや優しさがにじみ出ていて、当然女たちは放っておかない。超絶技巧がちりばめられたダンスがテンポよく展開するのと同時進行で、舞台隅では金回りの良さそうなおじさまがウェイトレスの女子を口説いていたりする。熊川作品を見ていてよく感じる「目が忙しくて贅沢」なシーンだ。
やがて、シルクハットとスーツを身につけたこの国の王が現れ(衣裳は19世紀風だ)、一同は驚く。王はプリンスに誕生日の贈り物として短剣を与え、「海へ出て幻の大クジラを仕留めてくるように」と命じる。プリンスは喜んでこれに応じ、大海原へと乗り出すのだった。
「海辺の王国」という言葉が頭に浮かぶ。この作品では陸上のシーンでも、つねに輝く海が見えている(舞台美術デザイン:二村周作)。きっとこの国は漁業や海運を主産業とし、海と共に生きてきた小国なのだろう。もしかしたら「成人の証として海で試練を受ける」ことは、この国の伝統かもしれない、などと妄想する。もちろんこれはアンデルセンの原作にはない、熊川版独自の設定なのだけれど……。開幕前の後ろ向きな気分はどこへやら、私はすでに『マーメイド』の世界に引き込まれていた。


山本雅也(プリンス)©︎Yoshitomo Okuda

そして、大海原のシーン。
船の舳先に立ち、海のかなたを見つめるプリンス。波間にトビウオやイルカの群が現れ、やがてマーメイド(飯島望未)が姿を現す。かわいらしい、澄み切った海のいきものである。一目でプリンスに恋をし、全身からぴちぴちと喜びをあふれさせるマーメイド。しなやかなボディ、ひれのように小さくゆらめかせる腕の動き――グラズノフの叙情的な音楽を水のようにまとって踊る飯島は、あまりにも可憐な人魚姫そのものだった。
しかし、プリンスは彼女に気づかない。やがて、幻のクジラが海面からその巨大な姿を現すが、プリンスは畏敬の念に打たれたかのように、ただ呆然と佇む。
続いて、イルカの群を襲うシャーク(石橋奨也)が出現。プリンスが銛で仕留めようとすると、シャークは嵐を巻き起こし、プリンスは海へ投げ出される。マーメイドはプリンスを助けて岸へと運んでいくが……。
……この調子で書き連ねてしまうと、完全に鑑賞の邪魔にしかならないので、以下、印象に残ったことについて、まとまらないながらまとめてみます。

飯島望未(マーメイド)と山本雅也(プリンス)©︎Yoshitomo Okuda
プリンスは夢うつつの中、一瞬だけマーメイドの姿を見る ©︎Yoshitomo Okuda

もうひとりのヒロイン、
クールで現実的なプリンセスのこと

岸辺で倒れているプリンスの傍らを、質素なグレーのワンピースと麦わら帽子を身につけた3人の少女が通りかかる。彼女らは、実は修道院に教育を受けに来ている隣国のプリンセス(日髙世菜)とそのお付き(小林美奈、成田紗弥)で、おしゃべりや笑い声がはじけるようにいきいきと踊る。やがて3人はプリンスに気づき……(以下勝手なアフレコ)
「ちょっと大変! 誰か倒れてるわ」
「やだ! 死んでるのかしら」
「関係ないし、面倒なことになりそうだし。はい、放っときましょう」
「でもそれまずくない!?」
この「放っとこう」と主張するのがプリンセスである。だが、短剣の莢に刻まれた王家の紋章に気づき、相手が王子であると知ったとたん、態度が変わる。意識が戻ったプリンスの前で「あなたを助けたのは私」とばかりに振る舞うのだ。このあたりの日髙の演技はとてもリアルだった。相手の立場によって瞬時に「計算」がはたらき、態度を変えるのは社会生活をする上で自然と身につく知恵といえるかもしれず、彼女に悪意があるわけではない。しかし、「計算」とはまったく無縁の世界に生きているマーメイドとの対比は、残酷なまでに鮮やかだ。

バレエが描き出す豊かな水中世界と、
岸辺に立つマーメイド

第1幕3場で描かれる海底世界は、ぜひ劇場で体験していただきたい。海水の透明感や岩影の暗さ、そこに潜む微細な生き物の気配まで感じ取れそうな舞台美術(二村周平)と照明(足立恒)の効果、隅々まで繊細な美意識で作り込まれた衣裳(アンゲリーナ・アトラギッチ)。オレンジや紫など目に鮮やかな色彩とともに、クマノミやヤドカリ、ロブスターといった海の生物たちが躍動する。バレエといえば鳥や妖精など「空飛ぶもの」のイメージが強いけれど、ボディや腕の動きのニュアンスを変えるだけで、水中世界をこんなにも豊かに描けるのだなと思った。マーメイド役の岩井優花(観劇した日はマーメイドの姉役で出演)は、実際に水族館に行って魚の動きを観察したと、パンフレット掲載のインタビューで語っている。
プリンスへの恋ゆえに海の世界を捨て、声を失うという大きな犠牲を払ってまで、人間の脚を得るマーメイド。プリンスたちに酒場へ連れて行かれ、見るものすべてが珍しく、いきいきと反応する飯島は本当に愛らしい。初めてのワインは気に入ったらしく飲みっぷりが良い。しかし、皿に乗せられて「ごちそう」として供される海の世界での友達を見てしまったら、全身で悲しまずにはいられない。彼女はおそらく、恋が実ったとしても、海での記憶を捨てて、完全に人間として生きることはできないに違いない。
忘れがたいのが、頭どうしを触れ合わせるマーメイド独特の挨拶だ。何気ない動きだけれどそこはかとなく魚っぽく、人間とは違う世界の生き物であることを感じさせる。物語の後半、もはやプリンスとの恋が実らないと悟ったマーメイドは、彼女を心配する人魚の叔母(大久保沙耶)と岸辺で再会するのだが、すでに海と陸に引き裂かれている二人がこの挨拶を交わす姿には、胸を突かれた。

マーメイドとカクレクマノミたち ©︎Yoshitomo Okuda
石橋奨也’(シャーク)。『白鳥の湖』の悪魔ロットバルトのような役どころ。©︎Yoshitomo Okuda
飯島望未(マーメイド)と石橋奨也(シャーク)。©︎Yoshitomo Okuda

豪華絢爛なグランドバレエの見せ場、婚約式。
でもそこにマーメイドはいない

プリンスは、冒険と自然を愛し、身分の隔てなく人々と交流する好ましい人物として描かれている。でも、自分の周りで何が起こっているか全然気づいていない。「きみはだれ?」と問いかけるようなプリンスと、半分は海の世界のいきもののままのマーメイドが踊るパ・ド・ドゥは、とても不思議で切ない余韻を残すものだった。しかしプリンスは、婚約者候補として紹介されたプリンセスを命の恩人だと信じ、瞬く間に心を奪われてしまう。
第2幕4場、プリンスとプリンセスの婚約式のシーンは、これぞクラシック・バレエと感じさせるきらびやかな見せ場だ。日髙はおそろしく難易度が高い技を、クールに次々と決めていく。高速回転からぴたりとポーズが決まり、つま先がのびやかに天を指す。非の打ち所のない姫と王子のグラン・パ・ド・ドゥだが、プリンスは一瞬、その場にマーメイドを探す。そう、原作ではたしか花嫁の介添え役を務めさせられるはずだが、熊川版では、マーメイドはこのシーンに登場しない。完全に蚊帳の外なのだ。この何か「手の届かない感じ」って、ある意味クラシック・バレエらしさでもあるなとぼんやり思った。身体を鍛錬し、磨き続けてようやく、一握りの人がたどりつけるきらびやかな世界だ。でも、劇場にいるとダンサーたちが音楽と溶け合い、躍動する感覚を共有することができる。

日髙世菜(プリンセス)©︎Yoshitomo Okuda

「海辺の王国」のその後(妄想編)

そして訪れる物語の結末は、はかなくも深い余韻を残すものだった。これまで熊川作品を観た後は、名シェフによるフルコースを堪能したような「お腹いっぱい」感を味わうことが多かったのだけれど、今回は少し違っていた。マーメイドが消えた海のあかるい青が心に沁みている感じで、しばらく経つと、海辺の王国のその後についていろいろな妄想が浮かんできた。絢爛豪華でありつつも、観客の想像力をかきたてる「余白」を残したつくりになっていたからだと思う。
 
プリンスとプリンセスはおそらく、仲むつまじく国を治めていくことだろう。もしかしたら外向的に政治手腕を発揮するのは、現実的でバイタリティあふれるプリンセスのほうで、プリンスは良識に照らしてブレーキをかける役割になるのかもしれない。彼はときどきマーメイドとの出来事を思い出して、あれは何だったのだろう……と物思いにふけるに違いない。プリンスはぼんやりはしているけれど(ごめんなさい)、自然や未知のものへの畏怖や憧れを一生持ち続けられる稀有な人物のような気がする。そして、海辺の王国と人魚たちがすむ海の美しさはいつまでも守られる。
そうだったらいいなあ……。

せっかくの美しい余白を妄想で埋める愚を犯してしまいましたが……最後に、初日終演後飯島望未・山本雅也を囲んで行われたショートインタビューの模様をお伝えします。

飯島望未・山本雅也
ショートインタビュー

記者A 世界初演を踊り終えた感想を聞かせてください。
飯島 ほっとしています……(笑)。
山本 ついに終わったんだなと……終わりというか、始まったというか……僕自身が今日という日に、すごく感動してます。ありがとうございます。

記者A マーメイドとプリンスを演じるうえで大事にしたことは?
飯島 今までも可憐な少女の役はやってきましたけれど、今回はそれ以上に無邪気で。だからこそ、恋をして破れた時の「落ち方」はすごく意識したと思います。それから、いろんな子どもたちに共感してもらえるように、魚たちと楽しく踊ったり……そういう部分を大事にしました。
山本 王子は、マーメイドとは恋愛関係ではないっていうところがちょっと特別ですよね。それと、「海に出たい、冒険に行きたい」という純粋な気持ちがあるんですが、役を作っていく段階で「あ、熊川ディレクターみたいだな」と感じた部分がありました。彼の作品を体現できたのはありがたいことでしたね。

記者B 実際に衣裳を着て、照明、舞台美術の完成した舞台に立ってみていかがでしたか。
飯島 気持ちが引き締まると同時に、役に入りやすかったです。特に海底のシーンは本当にすごくて、照明も海の中にいるみたいで……私自身、この世界に没入できたと思います。
山本 僕は人間なので、その海底のシーンは見られないんですけど(笑)。ただ、海上のシーンで、船からクジラの尾っぽが見えた時に、ちょっとうるっと来てしまいました。

記者B ここをお客さんにいちばんに観てほしい場面があれば教えてください。
山本 今言ったクジラのシーン。あとは割とすんなり終わっちゃうんですけど、マーメイドと王子が踊る唯一のパ・ド・ドゥですね。そこは大好きで、素敵なパ・ド・ドゥなのでぜひ。
飯島 どのシーンも、それぞれの役が立っていて……。私は個人的に、婚約式のシーンを見ているのが楽しいです。すごく盛り上がりますし、技の組み込まれ方も、それを踊りこなせるダンサーも本当に素晴らしいので、絶対に注目してください(笑)。

記者C 飯島さんに質問です。人間ではないマーメイドという役を演じる難しさはありましたか?
飯島 腕の動きや首の角度など、人間ではないクリーチャーっぽさはあるんですけれど、やりすぎてはいけないし。私は極端になりがちなので、半分人間、半分魚、というバランスが難しかったですね。でも、衣裳を着てやってみると、結構馴染みが良い感じもして……観た方の判断におまかせしたいんですけれど、どう見えましたか? ナチュラルに見えたなら、よかった!

記者D 今回の音楽は、交響曲をはじめ、グラズノフの様々な楽曲を編曲してつくられていますが、ダンサーとして音楽への入り込み方が難しくはありませんでしたか?
山本 熊川ディレクターは、その場で音楽を聴いて感じたものを動きに変換して与えてくれます。ディレクターの感覚を共有しつつ、その動きを体現していく。僕らダンサーとのやり取りの中で振りが生まれていくので、難しさはあまり感じずに踊ることができました。
飯島 ディレクターは音楽と振付を素晴らしくマッチさせるので、踊りにくさは全然なく、本当にすんなりと身体に入ってきた感じです。

尚、この後の東京公演は9月21日から10月6日まで、オーチャード・ホールで行われる。詳しくは以下へ。

初日映像


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