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映画「アイダよ、何処へ?」感想

映画「アイダよ、何処へ?」を見てきました。
映画の詳細はこちら

映画「アイダよ、何処へ?」について

ヤスミラ・ジュバニッチ監督の最新作です。
この作品で彼女は「第93回アカデミー賞国際長編映画賞」にもノミネートされていたり、海外の映画批評サイト「Rotten Tomatoes」では100%の満足度を得るなど、かなりの高評価。
(ちなみに、アカデミー賞はデンマークの映画「アナザーラウンド」が受賞、2021年9月23日時点では「Rotten Tomatoes」の評価は98%です)

(以下のあらすじは公式サイトからの引用です)
ボスニア紛争末期の1995年7月11日、ボスニア東部の街スレブレニツァがセルビア人勢力の侵攻によって陥落。避難場所を求める2万人の市民が、町の外れにある国連施設に殺到した。
国連保護軍の通訳として働くアイダは、夫と二人の息子を強引に施設内に招き入れるが、町を支配したムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は、国連軍との合意を一方的に破り、避難民の“移送”とおぞましい処刑を開始する。愛する家族と同胞たちの命を守るため、アイダはあらゆる手を尽くそうと施設の内外を奔走するが――。

率直な感想

最初は「えー国連の職員だからといって、自分の家族だけ優遇して施設の中に入れるのってどうなの」と思っていましたが、自分の家族が大事な気持ちもとてもわかる。自分の夫と息子が施設の外にいたら、なんとか施設内へ誘導できないか、なんとか危険なめに遭わせることがないようにできないか、と思うのはわかります。でも、やはり自分の思うようにはなりません。
そこがキャッチコピーの「そこに、神はいなかった」というところなのでしょう。

施設内外の悲惨な光景、国連兵隊のつらい状況、罪もない市民たちが住む街が破壊されている光景など、見ていてとてもつらかったです。
私は95年当時は高校3年生で音楽を延々聴いていたり、高校の友達とだらだら遊んでいたり。(これが悪いとは思いませんが)
また、当時の高校生は援助交際やブルセラなどであぶく銭を掴んでいるとよく言われていました。
そんなのんきな日本とは反対に、地球の裏側(正確には真裏ではないけど)のボスニアでそんなことが起こっていたなんて。
また、私は翌96年からは毎年夏にイギリスに語学留学として遊びに行ってました。行ってた語学学校は授業料が高くて基本的に会社がお金を出してくれるような人たちが生徒で来ていたので、生の声を聞くことはありませんでした。(ちなみに実際に聴いたのは、チェコから来ている生徒から「チェコ・スロバキアは分裂した」と聴いたぐらい)

日本〜ボスニア間に比べたらとても近いところにいたし、ボスニア近隣の国の人たちはイギリスに来ていたから聞けた良いタイミングかもしれないのに、、、、と今さらながら後悔の嵐です。
でも今のほうが当時より「知りたい」という気持ちも強いし、ネットも普及してるし、「知りたい」と思ったらいいタイミングなのかもしれません。
これからボスニアのジェノサイドについてはいろいろ調べてみようと思います。

結局は悲しい話なの?

でも、この映画は何も悲しいことばかりではありません。
最後は詳しくふれませんが、この映画はアイダの慈悲深い笑顔で終わります。
そのシーンからアイダはアイダなりに「良い世界を作ろう」と思っているんだろうなと私には感じとれました。

戦争はどっちがいい、どっちが悪いという話ではない、戦争自体がよくないというのが個人的な意見です。
若い人たちにはぜひとも戦争をするのはよくない、戦争で得るものなんで何もないということを学んでもらい、隣人の違いを認めるところから初めてほしいと思っています。
「若い人」と書きましたが、年齢は関係ないですね。第二次世界大戦などの戦争を経験したことがない人みんなに見てほしい映画です。

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