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すみません、、誰に?なぜ謝ってるの?

通訳初級クラスを受けもっているのだが、生徒さんが「すみません。」ということがある。
日本語なり英語なり、音声を聞いてもらって、生徒さんを一人指名して通訳をしてもらう。
良かったところ、良くなかったところをフィードバックするのだが、
そのフィードバックをもらって、生徒さんは「すみません。」というのだ。
いつも疑問に思う。

誰に誤っているのだろう?なんですみませんなのだろうか?

講師に誤っているのだろうか?
講師はフィードバックするのが仕事である。
完璧に通訳できるのならば、そのクラスにいる意味がない。
先生は偉くて生徒は先生様のご機嫌を損ねてはいけない。。。謝っとくか。。。と思っているのだろうか?昭和のスパルタ式教授法の名残なのか。。。

もしかして、その生徒さんは「すみません。」と謝ることで、これまでの人生で、場が収まった経験を何度もしてきたのかもしれない。
突っ込んで考えてみると、もしかすると、自分が当てられてできなかったことを「すみません。」と謝ることで、なかったことにしている、その場を収めているのかもしれない。
意地悪な言い方をすると、できなかったことに向き合ってないのかもしれない。

というのも、出来なかったことを受け止めて、「確かに!そこ出来てなかったわ」と思った場合、「すみません。」という言葉は出てこないはずだからだ。実際、「ありがとうございした!」という生徒さんもいる。(「ありがとうございました」と言ってほしいわけではない。)

講師側も「すみません。」と言われて違和感を感じた方がいい、と私は思う。謝られる筋合いはないのだ。

生徒さんができたなかったとする → 講師が、生徒さんのできていないところ、どうしてできなかったのか、どうしたらできるようになるのかをフィードバックする → 生徒さんがフィードバックをもとにやってみる

シンプルなこと。これで良いではないか!

謝る必要はなし!できないことを受けとめて、次にできるようにやってみればいいだけのこと。




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