無題

堤義明と森吉山

「原宿からのメッセージ」という本を古本で購入して読んだ。索道の情報サイト「失われたロープウェイ」で本書が引用されているのを見つけ、気になって買ってしまった。
刊行は、1988年。バブル前夜で、国土計画をはじめとする西武グループ総帥・堤義明が米フォーブス誌の億万長者ランキングで世界第一位になった直後に出た本だ。
書名は、当時国土計画の本社があった「原宿」に由来する。
本書は、堤へのインタビューと、毎日新聞社記者の大塚氏による論考とで構成されている。

森吉山のスキー場
秋田県のほぼ中央にそびえる森吉山(1454メートル)にある森吉山阿仁スキー場。
スキー場に架かる「阿仁ゴンドラ」は、スキー場のゴンドラとしては国内第2位の長さ(3473メートル)を誇る。
国土計画が約50億円をつぎ込み、森吉山森吉スキー場と合わせて建設し、1987年に開業した。
当初は山頂部に連瀬スキー場を建設し、両スキー場を連結させる計画もあったが、自然保護などの世論もあり断念。
堤義明が失脚した後、西武グループの再編で引き取り手の見つからなかった森吉スキー場は、2007年3月に廃止となり、施設やリフトは全て撤去された。


国土計画は、なぜ、森吉山を開発し、スキー場を作ったのか。
典型的な古くからの観光地というわけでもないし、そのうえ、当時は今よりも交通が不便で、首都圏から集客するのは容易でなかった。
国土計画でなければ、この地に大型スキー場を作ることはなかっただろう。

観光開発のポリシー
本書には、観光開発を行う場所を選定するに当たって、堤が明確な2つのポリシーを持っていたことが記されている。
一つは「自然環境にめぐまれている場所」であること。もう一つは、「西武の進出を地元の人々が歓迎し喜んでいること」である(116ページ)。
堤は、自然環境に恵まれ、見所・史跡があり、交通の便に恵まれている既存の観光地には、あまり興味を示さなかったそうだ。
それよりも、自然環境に恵まれてはいるが、見所・史跡がなく、交通不便な過疎地を開発して、第二、第三の軽井沢を全国に作ろうとしたという。
本書のインタビューでは、堤自身は父・康次郎から事業を引き継いだ2代目でありながら「創業者の精神を生かし、人のやらないところでやる」ことを強調している。

森吉山は「いい山」
過疎脱却、出稼ぎ解消――スキー場誘致には、地元の強い願いと期待があった。
堤がヘリで阿仁町を視察した際、関係者はライオンズの野球帽を着帽して強烈に歓迎した。
その様子を地元紙は「大臣以上の歓迎ぶり」(1983年10月7日秋田魁新報)と伝えている。
ただ、それだけでスキー場ができたわけではない。
熱烈な歓迎を受けたとしても、自然環境の良さが認められないところには、国土計画は進出していない。
森吉山が、堤のお眼鏡にかなった「いい山」であることは今も変わりない。
このことは、黒歴史ではなく、誇るべきことだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?