無題9

そこにあるガイア~偶像の構造色~ 1



とある都市。
青年は自宅の玄関で正座をし、父の帰りを待っていた。
時刻は既に27時を回っていた。青年の父は忙しい。
けれど青年は父の帰りを待ち続ける。

青年が睡魔に負けそうになったその時、遂に父が帰って来た。
青年は父に向かって「おかえり」の言葉よりも先に、右手に握り締めていた卒業証書の筒を突き出した。


「父ちゃん!俺、今日で高校卒業したぜ!」

「そのようだな息子よ!では!約束を果たす時が来たな!」

「ああ!そうだ父ちゃん!遂に!俺は遂に!」

「そうだ!遂に!お前は遂に!」



「「アイドルになれる!」」



青年はアイドルになる夢を持っていた。青年は男性だったが美少女アイドルのようなかわいい恰好をしてかわいい歌と踊りで観客を惹きつけ、いつの日か武道館に立つのが夢だった。

性自認がどうと言う訳ではなく、青年はただ単純に美少女アイドルが好きで、好きなものに自分もなりたいと思っているだけだった。そして勿論、それが困難な道であると言う事は、青年自身が誰よりも理解していた。

そんな夢を、青年の母は悲嘆した。男のお前が美少女アイドルみたいになれる訳がない、せめて男性アイドルを目指すべきだ、と。だが、青年の父は息子のそんな夢を一緒に叶えると約束してくれた。父はプログラマだった。

だが高校。せめて高校を出るまでは普通の、平凡な男子で居て欲しいと言う母の願いを聞き入れ、青年は今日この日までを過ごして来た。高校時代、周りの勧めで入部した柔道部で頭角を現し過ぎて、うっかりアイドルとしてではなく、柔道で武道館に立ちかけた事もあった。

そんな様々な困難や障害を乗り越え、記念すべきこの日を迎えられた父と息子は、玄関先で熱く、きつく抱き合った。


「なろう!息子よ!日本一のアイドルに!」

「ああ!父ちゃん!俺はこの日の為に歌もダンスも母ちゃんに隠れてバッチリ特訓して来た。これからは髪も伸ばして可愛い髪型だってする!まずは地下アイドルから始めようと思ってて―――――」

「待て息子よ。そんな事よりもっと良い方法がある」


青年の父は、興奮気味の青年の腕を引っ張り書斎へと招き入れ、おもむろにヘッドセットを渡した。ゴーグル一体型のヘッドセットだ。


「なんだい父ちゃん。この…サングラス付きヘッドフォンが何か?」

「それをかけてこの父を見てみるんだ息子よ」

「……?……なんだかよく分からないけど分かっ―――…っ?!」


要領を得ないながらも、父の言う通りヘッドセットゴーグルを掛けた瞬間、目の前に居たはずの父の姿は消え、代わりに美少女アイドルが立っていた。いや、正確に言えば今の流行りには程遠い、数十年も前の「昔のアイドル」の特徴をした美少女が、そこに立っていた。


「え…父ちゃん、これは……父ちゃん、なのか…?」

「ええ、そうよ」

「なっ…?!声、まで……?」

「…ふふっ」


目の前の美少女アイドルが口を開けば、その声は父のものではなく、女性のそれであった。声だけではなく喋り方まで違う。青年が咄嗟にヘッドセットを外すと、そこには先ほどと変わらず父が立っていた。美少女の姿はどこにも見えない。


「これこそがこの父が開発した、『多重人格アイドルプログラム』だ」

「……、多重人格アイドル…?」

「ああそうだ。良いか、これは――――」


プログラマである父は、とあるプログラムとガジェットを作り上げた。それはインターネットの閲覧履歴や購買履歴からその人の好みを判別してマーケティングに生かす仕組み―――それ自体は既に多くの通販サイトやネット広告が利用している仕組みだ。父は更にそこから、『AIが学習したその人間の好みを、理想のアイドルとして生成するプログラム』と、『生成されたアイドルを任意の対象物に被せる事が出来るMRヘッドセットゴーグル』を作り上げた。


「多重人格アイドル。それは可愛い、セクシー、ツンデレや天然などの、様々なキャラ性を持っている多重人格的なアイドルではない。個々人がそれぞれ持っている理想のアイドル人格を投影させる事が出来る、無人格のアイドル素体の事だ」

「アイドル素体…?」

「ああ。素体に何を投影するかは個々人で違う。皆、素体を通して全く別のものを見る事になる。そうなればもうアイドルが乱立する事などなくなる。ただひとつのアイドル素体さえ居れば良い。その素体に理想を投影させれば良いのだからな。推し被りなんて気にする必要もない。無人格アイドルがどんなに売れようが、常に自分はアイドルと一対一。この世でただひとつのつながりを持てるんだ」


今、ヘッドセット通じて表示されたのは、父のネット履歴から作り上げられた、父の理想のアイドル像である為、青年からしてみれば若干古く感じられたのかもしれないが、青年の履歴を取り込めば青年の理想のアイドルが表示されるのだと、父は熱弁した。


「息子よ。お前はファンの理想を受け止める素体になれ。そしてこの『いつでもどこでもアイドルサイコーゴーグル』を販売するんだ。そしてゴーグルを通してお前を見て貰え。そうすれば、お前はその時点でファンの理想のアイドルだ。お前は最高のアイドルにならなくても良い。ファンがお前を最高のアイドルにしてくれる。お前は多様なアイドルが乱立するアイドル業界に終止符を打つ最後のアイドル。多重人格アイドルとなるのだよ」


素晴らしい発明だろう、と笑みを湛えて息子を見遣る父。たが、青年が父に返したのは怒りだった。青年はゴーグルを床に叩きつけ、父を睨みつけた。


「ふざけるなっ!それの…どこがアイドルなんだっ!そのゴーグルさえあれば理想のアイドルになれる、だって…?……そんなの…俺が、アイドルをやる意味なんてどこにもないじゃないか…!馬鹿に…するなっ!」

「……?…何を怒っているんだ、息子よ…」

「結局…父ちゃんも、男の俺が可愛い恰好してアイドルやるなんて事は馬鹿げてる、って思ってたって事だろ、こんなのっ!……信じてたのにっ!父ちゃんは…、父ちゃんだけは、俺の夢を笑わないで一緒に叶えてくれるって信じてたのに!」

「それは違う…、誤解だ息子よ。父はお前と共に夢を叶えたい」

「嘘だ!そんな…なんの努力もしないでアイドルになって何が楽しいって言うんだ!そんな薄っぺらなアイドルなんて誰も見向きもしない!アイドル業界に終止符を打つ?俺はそんな事、望んじゃいない!―――あと『いつでもどこでもアイドルサイコーゴーグル』ってダサすぎるだろ!」


そこまで、爆発した息子の激情を受け止めるのに精いっぱいだった父が、目に強い意思を宿して、ゆっくりと、だが力強く首を振った。


「何を言っている息子よ。アイドルになる事は目的であって、ゴールではないのだろう。お前の夢はアイドルになって武道館に行く事だ。時間は有限なんだ。お前の言うその努力は、何年経てば花開くんだ?お前はそこに明確なビジョンを持っているのか?」

「それ、は……っ!」

「良いか息子よ。努力する事は大切な事だが、なくてはならない必須事項ではない。努力なんて、しないで済むならそれに越した事はない。お前にとって重要なのは『アイドルになる事』であって、『努力する事』ではない。そこを履き違えるんじゃない」

「なん…っ」

「本気で夢を叶えたいんだろう?男と言う不利を背負ったお前が、美少女アイドルの土俵で戦うのなら、他と同じ事をしていても駄目だ。お前が欲しいのは結果に結びつくかも分からない自己満足の『努力した思い出』か?それとも武道館に立ったと言う『実績』か?――――あと。……え?ちょっと待て息子よ。『いつでもどこでもアイドルサイコーゴーグル』ってダサ……、ダサいのか?……冗談だろ……?」

「父ちゃんは……俺が、アイドルになる為に努力する事を、単なる自己満足だって言うのか!俺が目指すアイドルはそんな被りものなんかじゃない!俺が俺のままアイドルにならなきゃ意味ないんだ!男なのに、男だけど可愛いアイドルになるって言う、そんな常識に捉われない生き方をしたって良いんだって事を、世界の皆に教えてやりたいんだ!――――あと、『いつでもどこでもアイドルサイコーゴーグル』じゃダサいに決まってるだろ!それだったらせめて『ガイア(GAAIA/Goggles-Anytimes,Anywhere,Idol.Awesome)』とかの方がまだグッと来る!」

「ダサ…、お前、父に向って二度もダサいって言ったのか…?し、しかも……ガイア…、だって……?う、嘘だ……お前がそんな…、父よりもイカす名前を考えつく筈が……馬鹿な…」


非情な現実を突きつける父の言葉に激昂した青年は、父の胸倉を掴み、握った拳を振り上げる。だが、父を殴る事までは出来なかった。父の瞳の中に、憤怒の表情をした青年の姿が映し出されていた。それを見て青年は頭を冷やす。

冷静になってみれば、父の言っている事にも一理ある。青年と方向性は違うけれど、父は父なりに、青年の夢の為に真剣に考えてくれていたのかもしれない。考え方は違うだけで、敵対者ではないかもしれない。

青年は振り上げた拳を下ろした。

けれど、父は矛を収めなかった。


「常識に捉われない生き方?じゃあ今のお前はどうなんだ。まず地下アイドルになって武道館を目指す?そんな手垢のついた『サクセスストーリー』をなぞろうとしているお前が一番常識に捉われているんじゃないのか?誰より薄っぺらいのはお前自身だ。つまり、常識に捉われたお前が、この父のネーミングセンスを理解できる筈がない。ダサいのは努力にこだわるお前の古い考え方の方だった……な!」

「……っ!!」


青年は、父の言葉で自分の甘さをいやと言うほど思い知らされた。図星。手痛いところを突かれ、青年は言葉を失った。そんな青年の様子を見て父は、諭すようにその肩に手を添え口を開いた。


「なぁ、息子よ。お前自身がアイドルになれないとは言ってない。だがもしそうしたいんだったらまずは――――――」


青年は肩に置かれた父の手を払いのけた。青年のちっぽけなプライドが、図星を突かれたまま大人しく父の言葉に耳を貸す事を良しとしなかったのだ。


「うるさい!もういい!ウンザリだ!俺は俺のやり方で……っ、父ちゃんが言う…古い考え方で日本一のアイドルになって、父ちゃんを見返してやる!―――俺は家を出て行く!上京してアイドルになる!」

「なっ……、息子よ……っ!!」



青年は、長年生まれ育った街を出た。
本当の夢を叶える為に。




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