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菫 6







某月15日 日中

カラオケボックスの自宅。柿崎はテーブルの上で通知を何度も告げる携帯端末を眺めて考え込んでいた。

連絡して来ている相手は鶴橋。あの日は結局泊まり、翌日も一緒に過ごした。とても幸せだったと思う。だが同時に、本当にこれで良いのだろうか、と言う問いが柿崎の頭の中にこびりついて離れなかった。だから、また会おう、と連絡してくる鶴橋に対して返事を出来ずにいた。柿崎は頭を抱えた。

柿崎は小さい頃から「死」を見るのが好きだった。小さい頃なら多くの人に経験がある事だとは思うが、柿崎少年もご多聞に漏れず、小さな昆虫を踏み付けたり、捕まえて水に落としたりして殺す遊びをした。

そこで多くの子供が、大人から「命で遊ぶのはいけない事」とたしなめられ、命の大切さを学んで行くが、柿崎少年は親や保育者にそのように言われても「死」に魅入られ続け、隠れて小さな命を殺し続けた。

来る日も来る日も「死」を見続けた柿崎少年には「死」の瞬間まで決して諦めない生き物の「生」こそが美しいものだと言う価値観が出来上がっていった。自分もあのように生きて、必死に生きて、死にたい。そんな想いを抱き続けた柿崎少年は高校生になって初めて恋をした女性と付き合った。とても幸せだった。

家族ではない誰かに必要とされる感覚。自分はこの人の為に生まれて来たんだと言う感覚。初めて知った恋愛と言うものは、何者でもない自分の「生」に意味を与えてくれる人との出会いに他ならなかった。

だが、生に意味を与えられると言う事は、柿崎少年にとっては死に意味を与えられるのと同義だった。その人の為に生きる事はその人の為に死ぬ事で、その人に人生を捧げる事はその人に殺される事。抱き続けた「死」への憧れは、遂には「自分が愛したその人に殺されたい」と言う渇望へと成長した。

しかしそれは、他者には受け入れがたいものだと理解するのも早かった。その願いを口にした次の日には初めての恋は終わりを告げた。それからと言うもの、周りの目を気にするように生きて来た。空想や創作でそのような生き様を持って死を迎えるキャラクターを見ると、素晴らしいと思う反面で羨ましさが勝った。

自分もこんな風に生きたい。こんな風に生きて、死にたい。だがそれはきっと叶わぬ夢で、自分はいつか誰かと結婚し、人並みに幸せになり、枯れるようにゆるやかに死んでいくのだろう。それが幸せだと思い込み、自分はそう言う幸せを理想とする人間なんだと言い聞かせ、その通り生きて来た。


だが、ヤメ法の事を知った瞬間、長い間見ないようにしていたその渇望が、唸りを上げたのを感じた。葬り去ったと思っていた柿崎のその感情は、かくして埋葬された心の奥底から甦った。もう二度とこの人生を、大切なこの命を無駄にはすまいと、柿崎は早々に勤め先に辞表を提出した。


特区の事を知った柿崎は居ても立っても居られなくなり、来る日も来る日も情報収集に奔走した。そうして宮前とコンタクトを取る事に成功し、狭き門と言われていた特区への移住権を得た。両親にはなんと説明をしたのか覚えていない。幸せになります、と言った事だけは確かだった。

政府の呼びかけの通り、柿崎は他の全ての自由と引き換えにして幸福の為に特区にやって来たのだ。それなのに、特区に来て、自分の幸せに妥協をして良いのだろうか、と言う疑問が頭を離れなかった。

妥協をすると言う事、楽な方向に流れると言う事は、果たして必死に生きていると言えるだろうか。そんな生き様で、最高の死と言う最も幸福な瞬間を迎えられるのだろうか。柿崎はずっと悩んでいた。

鶴橋は魅力的な女性だ。それは間違いない。このまま一緒に居れば柿崎も鶴橋を好きになるだろう。だが、鶴橋の方はどうなのだろうかと言う疑念が柿崎の中にはあった。彼女は自分を好きなのだろうか。

単に、血を見る事が好きなだけで、血を見せてくれさえすれば相手は自分でなくても良いのではないか。知り合って次会う時にはもう「そう言う関係」となった際に浮かんだ疑念を、柿崎はそう結論付けた。

もっと時間を掛けて考えれば違う見方も出来るのかもしれない。ただの思い過ごしかもしれない。鶴橋ともっと話をすればそんなものは杞憂であって、鶴橋は世界で一番柿崎を愛してくれるかもしれない。

だが。それでも。決定的にすれ違ってしまっている部分がある。この溝を埋める事はきっと出来はしない。鶴橋は血を見る事が好きなのであって、殺したいと言う願望はない。だが柿崎は殺して欲しいのだ。

柿崎は決して痛みに快感を見出す被虐嗜好ではない。痛みを何度も何度も味わう事は苦しいだけだ。鶴橋は血を見ると言う行為を以て互いの絆を深め、そして長く血を見る為に柿崎を生かし続けるだろう。
柿崎は恋愛と言う手段で絆を深めた相手にひと思いに殺して欲しい。その為の刹那の痛みなら耐えられる。

鶴橋と同じものを見ていると感じた柿崎だが、二人は手段が少し似ているだけで、目的もゴールも違っていた。


「……無理だ」


これ以上は何をどう考えても、いくら時間をかけて話してもこの結論が覆る事はない。

柿崎は携帯端末を手に取った。


「…あ。鶴橋さん、ですか? すみません。何度もご連絡して貰っちゃって………ええ、あの。はい。その事で。僕からも話があるんですが………いえ、会ってではなく、このまま通話で」









某月15日 夜間


「担当を変えられないって、どう言う事ですか。他の男性の希望者ならいくらでも担当しますってば」

「いえ、ですから宮前さん。先ほどから何度もご説明しております通り、アンバサダー契約書に…」

「分かってますよ。アンバサダーになれば手当として給付金の額も上がって一般の居住者よりも裕福な暮らしが出来る事と引き換えに、そちらの指定した仕事をしっかりこなせ、って話でしょう?仕事をしない、って言ってるんじゃないんです、ただ仕事の内容を少し変えて欲しいってだけです」

「いやまぁ、アンバサダーの仕事と言うかこれは……」

「……え? なんですって?」

「…いえ。とにかくですね、宮前さん。何度お話を頂いてもこの件は承服出来かねます。ご容赦ください」

「そんな…!」

「恋人さんも一命を取り留めたようですし、良かったじゃないですか。命に別状なくて。宮前さんの事を考えすぎて不眠になって、ついお風呂で眠ってしまって…でしたよね」

「だから! 不安で眠れなくなったのはアンバサダーの仕事のせいで!」

「すみません、今ちょっと立て込んでまして。困った事があればまたいつでもご連絡下さい。本日はこれで」

「ちょ、話はまだ―――――――…… …っ クソッ!!」










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