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菫 7







某月20日 日中


柿崎は街を歩く。あてどもなく歩く。ただ、考え事をしたかっただけだ。歩くと不思議と考えがまとまる。5日前の出来事を思い出す。
これから自分がどうすべきかを考える為にも、それは必要に思えた。


結局、「会って話したい」と言う鶴橋に根負けした柿崎は、直接顔を突き合わせて別れを切り出した。お互いにパートナーになれなかったと言うだけで、どちらかがこの街から出て行く訳でもない。狭い町の中だ。また顔を合わせる事もなくはないだろう。そうなった時の気まずさを減らす為にも、しっかりと納得してもらう必要があると柿崎は思い、長い時間、鶴橋と話をした。


「…分かりました。柿崎さんの想いは。……ごめんなさい、私、ひとりよがりで…」

「いえ、そうじゃないんです。ひとりよがりなのは僕も同じですから。ひとりよがりで良いんです。ここはそのひとりよがりが許されるんだから、鶴橋さんにも悔いのないように生きて貰いたくて」

「悔いのないように………、それなら。ひとつだけ、お願いがあります、柿崎さん」

「なんでしょう。僕が出来る範囲の事なら……」


少なくともパートナーとして、自分の生を捧げる相手として柿崎は鶴橋を見る事が出来なかったが、それでも鶴橋が自分に正直に生きる、妥協せず自身の性と向き合う魅力的な人間である事は否定出来ない。

そんな鶴橋の願いを聞くのはやぶさかではなかった。方向性が違えど、この特区に生きる者は同志だ。そしてそれは、鶴橋も同じ考えのようだった。鶴橋が告げた願いは、柿崎と友人になる事、だった。


「…それでたまには友達として会って、良ければ血抜かせて下さいとか…したたかだよなぁ…」


話がまとまって別れ際、最後のキスの代わりに強請られた、採血を受けた左腕を擦りながら柿崎は歩く。


「あっ…。 ………」


柿崎が歩く通りの向こう、信号待ちをしている二人の姿が見える。宮前と、莉奈だ。柿崎は、二人に近づくのが躊躇われ、その場で立ち尽くしてしまった。莉奈は宮前と腕を組み、とても楽しそうに、幸せそうに何をか話している。信号が青になったことすら気付かずに、二人は互いを見つめ合って居た。

幸せそうだ。あの二人はとても幸せそうだ。自分もああ言う風になりたい。ああ言う風に愛されたい。血だとか、風船だとか、髪を切るとか、そう言うのじゃなくて、愛の育み方はもっと純朴なもので良い。
その平凡でいて、けれど何物にも代え難い愛情をひとつ持ったまま、自分はこの世を去りたいだけだ。

それは人並みの幸福を手に入れ、年老いて死ぬのと何か違いがあるものなのか、と柿崎も思いはした。だが違う。柿崎は自分の渇望に蓋をして生きて来た。最初は辛くて辛くて仕方なかった。自殺も考えた。けれど時が経つにつれ、そんな自分に慣れてしまった。あんな渇望なんてなかったと思えるくらい。

柿崎は祖母の七回忌の法要の際、住職が言っていた言葉を思い出す。
七回忌とは、六つある欲望の世界を抜けて悟りに至る七つ目の世界に向かう為に、個人の命日から満六年を迎えた日に執り行うものだと。
つまり七年目にはどんな深い悲しみも、喜びさえも、それが欲望から来るものならば、時が洗い清めてくれると言うのだ。

そんなのはいやだ。自分は幸福の絶頂で死にたい。時に流されて鮮度を失った幸福感を後々に振り返って達観した顔で死ぬのなんてごめんだ。「死ぬ前にあれ食べたかったなぁ…」なんて思いたくはない。好きなものを食べて、その思いが消えない内に死にたい。幸福の鮮度を少しも落とさずに死にたい。

柿崎がそんな思いを抱いているとは知らない宮前は、柿崎に気付くとそちらを向いて軽く会釈したが、莉奈が急かすように宮前の腕を引っ張る為に、すまない、と苦笑を浮かべて行ってしまった。


行ってしまう。行ってしまう。自分の求めた幸福が行ってしまう。置いて行かれてしまう。柿崎はそれが怖くて、遠くから、豆粒のように小さくなった二人の後をつけて歩いた。

しばらくして二人は建物に入る。フルーツパーラー。どうやらあそこが二人の家らしい。二人はあの家で、何気ない日常を、掛け替えのない幸福を、きっと満喫しているのだろう。陽が落ちて、明かりが点くフルーツパーラーを、柿崎はただ遠くからずっと見詰めていた。









某月20日 夜間

「莉奈ちゃん、はい、お薬」

「ごめんね、つーくん」

「どうして? 僕は幸せだよ? 莉奈ちゃんが好きだ。 莉奈ちゃんにもっと元気で居て欲しい。それだけだよ。辛い事があったら大丈夫、なんて言ってイヤな気持ちを溜め込まなくても良いよ」

「…嘘。そんなの全部言ったら私の事、重いって、つーくん私の事、嫌いになっちゃう…あれもヤだ、これもヤだ、私だけ見てて、なんてそんな事、言える訳ないよ……」

「ならないよ。そりゃあ勿論、莉奈ちゃんの言う事全部は叶えてあげられないかもしれないけどさ。それでも、それで僕が莉奈ちゃんを嫌いになるなんて事だけは絶対にないから。僕を信じてよ。莉奈ちゃんが辛い気持ちで居るなら、少なくともそれを分かってあげられる男でいたいんだ」

「つーくん……」

「なんでも言って? 莉奈ちゃんの気持ちを、聞かせて?」

「…………、…って…」

「…うん?」

「アレ、切って………、朝から何度も鳴ってるアレ…、ヤだ、アレ、もう見ないで……」

「アレ、って………。………。移住希望者からの連絡通知、だよね。確かに、最近連絡が多すぎる、よね。移住に関する質問だから答えてもあげたいけど、それに答え続けてたら、莉奈ちゃんと居る時間がなくなる。そんなの、ヤだよね。莉奈ちゃんもヤだし、僕もヤだ。うん、通知、切っちゃうね。見てて……ホラ、切った。」

「つーくん……、そんな事して大丈夫…? つーくん、役所の人に怒られるんじゃ…」

「怒られるかもね。でも関係ないよ。僕の大切な人は役所の人じゃなくて莉奈ちゃんなんだから。莉奈ちゃんが傍に居てくれるなら、誰かに怒られるのなんて怖くないよ。僕は強くなったんだ」

「つーくん……… ……うん。私も、つーくんと一緒に怒られてあげるね。つーくんは私が守るからね」

「ありがとう、莉奈ちゃん」

「ねぇ、つーくん」

「なぁに」

「キスして」

「もちろん。 でも、先にお薬飲んでからね?」

「ちぇー」

「あはは」










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