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菫 11







3月2日 日中


「まったく! いい加減にして下さいよ! 彼女、殺人をしてしまったんですよ!」

「大変申し訳ございませんでした。恋人さん、容態の方は如何ですか」

「酷くショックを受けてるに決まってるでしょう! 人殺しですよ、人殺し!」

「…と言うよりは、柿崎さんの幸福実現に加担してしまったと言う自責ですよね」

「……!! ええそうですよっ! もう昨日からずっと「ごめん」の嵐です!」

「重ねてお詫び申し上げます。今回の件は、全て私の一存によるものです。柿崎さんのお申し出に、柿崎さんの絶対に幸せになるんだと言う覚悟に感銘を受けて柿崎さんの計画を承認致しました。アンバサダーと、特区移住のシステムそのものを利用した幸福追求の形。今後の特区運営に於いて出て来ないとも限らないケースに思われましたので、最大限、皆様の心身の安全にギリギリまで配慮した形で見守っておりましたが………やっぱり良くないですね、危ないですね。これは今後は違法にしておきましょう」

「当たり前ですよ!! ……もう。 そう言う、他人の幸福の実現の為に奮闘するあなたとなら、私もアンバサダーを通じて特区を盛り上げたいと思いましたが…今回の事は! 本当に! やり過ぎです! 僕の彼女を利用するのは許さない!」

「大変申し訳ございませんでした」



「……それで。どこまで嘘だったんですか?」

「そうですね、特区の運営が忙しくて私が休日返上しているのは本当です。でもそれは、既に特区の有用性が認められているからこその結果でして。私今、あちこちに呼ばれて講演活動なんかもしてるんです。すごいでしょ」

「はぁ、それはそれは…」

「だから今、しゃかりき頑張って移住者の数を増やさなくてはならない…と言う様な事はありません。まぁ今ほら、引っ越しシーズンじゃないですか。そう言う意味では春からの新生活は特区で、と言うお申し込みは多いですね。とは言え、宮前さんを始めとするアンバサダーの地道なPR活動のお陰で、自分もアンバサダーになりたい、特区運営に関わりたいと言う方が多くて」

「だから先月、私が柿崎さんの計画にまんまと乗せられて移住希望者を担当している気にさせられていた間にも、他のアンバサダーの方が引っ越しシーズンの移住希望者の担当を通常通りこなしていた……と?」

「そう言う事です」

「はぁ………やられた。年末最後に会った時はもう計画実行中だったのか…」

「そうですね、年末に丁度、柿崎さんからお申し出がありましたので」

「……それで? 私は今月は通常業務すれば良いんですか」

「声が怖いですよ、宮前さん。怒ってるんですか」

「怒ってますよ!!」

「ではお休みに入って頂きます。今月と来月二か月お休み頂いて大丈夫です」

「え?! ホントに?!」

「大変ご心労おかけしましたから。なんなら私どもの方で手続きしますので、長期のお休みを利用して特区外への旅行などもご提案出来ます。ご検討を」

「居住者が特区外に旅行っ?! そんなの、色々と大丈夫なんですか…?」

「皆様の幸福の為、私ども休日返上で頑張っておりますから。お任せ下さい」

「……平沢さんこそ休んで下さいよ…」

「あ、それで宮前さん」

「はい? なんでしょう」

「アンバサダーのお仕事……どうしますか? これからも続けるかどうか…」

「持ち帰って、彼女と、検討します! 今回の件は全部話しますからね!」

「承知しました」









12月30日 夜間


「柿崎さん」

「あ…鶴橋さん。すみません、こんな時間に来て頂いて…」

「いえ、大丈夫です。後で、血、抜かせて下さいね」

「あ、はい……。 ……相変わらずしたたかな人だなぁ…」

「柿崎さんには負けますって。ホント、すごい事思いつきましたね」

「いや、どうなんでしょう…、これぐらい誰でも思いつくような…?」

「思いついても協力者がOKしてくれるかは別ですしね。行きましょう」


莉奈の宮前への崇高な想いを理解した上で、それでも莉奈に殺されたい。その為に柿崎が考え着いたのが、女性の新規移住者になりすまして宮前に接近し、莉奈の嫉妬心を掻き立て殺意を抱いて貰う事だ。

その為には最低二つの問題をクリアしなければならない。
まずは新規移住者になりすまし、かつ宮前に担当して貰う事。宮前が移住希望者の話を親身に聞いてくれる事は、柿崎自身の特区移住の際の身を以て体験している。そんな宮前なら、たとえ女性でも最後まで担当してくれる確信があった。これは宮前の人の良さ、使命感につけこんだ計画だと言う自覚はあった。

そしてその一つ目の問題は案外あっさりとクリア出来てしまった。


「良いですね! 面白い! 是非やりましょう!」

「え……あ…、大丈夫、ですか…? なんか色々、法的な事、とか…」

「分かりませんが、なんとかします!」

「あの、宮前さんに本当に気苦労かけてしまうと思うので……あの、私が無事死んだ暁には、その、……よろしくお伝えください……」

「承知しました。―――まぁ大丈夫でしょう。宮前さんは良い人ですから。何、宮前さんがヤケ起こして担当下りるって言って来てもなんとかします」

「すごい自信ですね…」

「なんと言うか、利用できるものは国でも利用して幸福になってやると言う柿崎さんの思いの強さに惹かれた私は、今なら何でも出来る気がします」

「それは、心強いです………、よろしく、お願いします……」










「すごい人ですね、その…平沢さん、って人…」

「ええ、もう他人の幸福実現お化け、って感じでした…」

「あ、そろそろ着きますよ。ホラ、あそこの建物の四階です」

「……え?」

「…? どうかしました?」

「いや、ここ、僕んち、なんですけど…」

「えー?! そうだったんですかー?!」


もう一つの問題。それはほぼほぼ完璧な女性になりすます、と言う事。ゲイとして宮前に接近すると言う手も考えたが、宮前には特区に来る前に、柿崎自身の願望を話している。愛する女性に殺されたい、殺して欲しい相手は自分が愛する事が出来る女性に限る、と言う事を。

だから柿崎がゲイを装って宮前に接近しても一笑に付されるだけだ。その為、まるで柿崎には見えない、吉川と言う架空の女性を演じる。その女性の架空の戸籍や、外部から連絡して来ているように見える通信環境などは、特区担当役人の平沢が三日で用意してしまった。

後は自分の努力で完璧に近い女性になりきるだけ、としたところで、以前、鶴橋が異性装をさせ合う恋人たちの話をしていたのを思い出した。彼らの連絡先を知らないかと血を代償に鶴橋に連絡を取ったところ、連絡先は知らないが住所を知っていると言うので、待ち合わせて向かった先。それは柿崎の自宅、カラオケボックスが入っている雑居ビルだった。柿崎は呆気に取られた。

毎夜毎晩、隣で嬌声を上げていた隣人こそがその二人だったのだ。灯台下暗しもとい、灯台隣喧しだな、と柿崎は脱力してしまった。そして鶴橋の紹介を介してその二人から話を聞き、柿崎の計画を話せば、面白そうだから是非協力したい、と言うか、柿崎の女性化を手伝うので、柿崎も女装して是非自分たちと一緒に夜を過ごそうと誘われてしまった。

聞けば、毎夜毎晩、確かに男女がまぐわっている声が聞こえていたのだが、
女の声だと思っていたのは男性が出していたのだと言う事を聞き、驚いた。宮前を騙して女性として会うなら、見た目や所作はもちろんの事、声まで
完璧に女性に仕立てなくては駄目だと、その日から早速指導が始まった。










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