「モンストロマン」1-6

 長机の向こう側で、老人の手に納まっている液時計。その中身は、自分を化け物に変えた薬であるかもしれない。そう言われたジャックは動きを止める。
 やっと見つけた歓喜。何を今さら、という戸惑い。千年、積もり続けた。それまでは、無視し続けてきた悲しみのようなものが、どろどろに溶け合って。感情の堰を壊そうとしているのが分かる。今は一言だけ、言葉を絞り出すのが限度だった。
「キティ。先に薄野へ行ってくれないか。あとで僕も行くから」
 ジャックは隣にいる彼女の顔を見ずに言った。これからする話をキティに聞かれたくなかった。
「そういうことだ。ケイティ、彼にとっては大事な話だ。わかるな?」
 ハオレンの言葉。それを聞いたキティは、ジャックを見たあとで立ち上がる。
「わかったよ。後で、いつものところでな。でも、ちゃんと来いよ?」
 彼女が、念を押すように言う。それを聞いてジャックは頷く。
 後ろで襖の動いた音がした。
「ケイティ様、ご案内いたします」
 最初に案内してくれた中年の女だった。ずっと、外で待っていたのだろうか。もしかすると彼女はハオレンの護衛役も兼ねているのかもしれない。
「いや、別にいい」
 ケイティは女の横を通り抜けて、来るときに辿った道を戻っていった。
 襖が閉められる。狭い和室には二人だけ。また、静かになったところでハオレンが話を再開した。
「私が不死の薬を探しているのは、貴様。知っていたか?」
「いや、初耳だ」ジャックは首を振る。「あなたも僕みたいな不死に?」
「そう睨むな、ジャック。別に私が使おうというわけではない」
 ハオレンは口から息を漏らす。彼の笑い方は蛇に似ていた。
「では、なぜ探す?」
「探求それ自体が目的なのだ。趣味と言ってもいいだろう」
「趣味だって?」
「未知を追い求めること。ただ生きているだけでは、到底辿りつけない真理の一端に触れること。高級な趣味だと思わんかね、ジャック」
「無意味で、しかも危険だ」
「無意味だからこそ高級なのだ」ハオレンは微笑を浮かべ、そして言葉を続けた。「世界には無数の不思議がある。私はそれを無視することができない。それが目の前にあるときは、特にだ」
「僕と知り合ったのも偶然ではないと?」
「半分は必然だ」
「なぜ今まで黙っていた」
「言う必要が無かっただろう?」
「あなたは僕が化け物なのを忘れているみたいだね。なんだか首をねじ切ってやりたい気分だ」
「フリークショウだ」
「は?」
「貴様と会ったのはジパングが初めてではない」
 彼の視線は、ジャックから外れて宙を漂う。遠い記憶を探るためだろう。ゆっくりと話し始める。
「私は子供のころ、大陸の四川に居た。貴様にあったのはそのときだ。五十年まえのことを覚えているか?」
「僕はそのころフリークショウの一座で、芸をやっていた。ユーラシア横断ツアーだったはずだ。その途中でアジアも回った」
「薄暗いテントの中で、不思議なものを散々見せつけられた。文字通り、人生が変わったよ」
「そのときの演目は、『人間ハリネズミ』? それとも、『頭部切断腹話術』だったかな?」
「いや、私が見たのはギロチンにかけられた男が蘇る、実に、残酷怪奇なショウだった。周りの客は、みなマジックか何かだと考えたようだが。最前列で……、貴様の血を全身に浴びた私にはそう納得していまうことが、どうしてもできなかった」
「それからずっと僕の追いかけを?」
「ずっとではないさ。貴様のような怪異を追いかけることに心血を注いできたが。ジパングに渡ってきたのは、単に、大陸にいられなくなったからだ。半分は偶然だと言っただろう?」
 ジャックは立ち上がり、ハオレンを表情のない顔で見つめた。
「結局あなたは、薬をどうする気だ」
「これ自体をどうこうするつもりはない。ただ……」
「ただ?」
「これをダグラスに売りつけた組織。それには、興味がある。その組織がどこから神秘の秘薬を手に入れたのか──、気にはならんかね? ジャック」
 ジャックは考える。千年探して、何のヒントも得られなかった薬。それを売り捌いた組織があり。製造した人間がいる。このジパングにだ。自分を不死にした、あの男。奴がこの件に関わっているのか、せめて、それだけでも知る必要があるだろう。
「あなたは何を知っている」ジャックは言った。
「まだ、何も」ハオレンは首を横に振った。
 ジャックは老人に背を向ける。
「貴様にはしばらく、仕事は与えない。休暇をどう使うか、よく考えて、有意義に過ごすが良い」
「それはどうも」
 右手を出して、襖を開ける。案内の女はいなくなっていた。一人で廊下を進み、庭に出るところで靴を履いた。木の扉を開けて、外に出る。空はもう暗くなっていた。砂利の小径を進み、邸宅の出口に向かうと門は開いていた。ジャックは自分が出た後で、それを閉めた。
「おい、でくの坊」
 突然声をかけられて、そちらを向く。街灯の明かりの下にキティが立っていた。
「先に行ってたんじゃないのかい?」ジャックは驚いて目を大きくした。
「なんか、深刻そうな感じだったからさ。やっぱり待ってようかなって思ったんだ」キティは寒さで赤くなった手に息を吐いて、擦りあわせた。
「すまない、キティ……」
「言うと照れ臭いんだけどさ。お前が辛そうにしてると、嫌なんだよ。だから、その。なんでも相談しろよな」彼女はそう言って、帽子を深く被りなおした。「まあ、それはそれとして。飯を食おう。くそ寒いし、腹ペコだぜ」

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