「モンストロマン」2-1

 薄野の北。まっすぐ伸びるアーケードは、かまぼこ型の屋根で雪から守られていた。ホッカイドウ随一の闇市であるここは、狸小路と呼ばれていた。アーケードの入り口には、大袈裟な装飾を施された、ジパング風の巨大な鳥居が君臨している。何を求めて、ここを訪れた人間にせよ。皆、金を抱えてそれを潜り、反対側の出口に流されていく。
 逆らうことの難しい人の川。周りの平均的な身長から、頭二つ分は抜けているために目立つ男。ジャックは、なんとか流れから逃れようとして横に向かって歩いていた。
「やっぱり、こういうのは駄目だ。来るんじゃ無かった」
「え? なんて? 聞こえないけど!」
 近くにいるはずのキティにも声が通じない。ひどい騒音を、さらに別の騒音が掻き消すといった有様で、まともな会話は出来そうにない。はやいところ店の中に入りたい。ジャックは人を掻き分けながら進む途中で二回は足を踏まれた。痛みこそ感じないが、疲れが蓄積していくのを感じる。活気にあふれた場所は嫌いではないが。それにしても限度がある。
 数ある商店のうちの一つに二人は辿りつく。この混雑の中でもなんとか見つけることができたのは、質屋「大狐堂」と大きな字で書かれた看板が目を引いたからだろう。他の店がガラスのショーウィンドウを用いて、客を呼びやすい雰囲気を作っている中で。この店の外観は重そうな木の扉に、窓の無い下見張りの壁といった具合で、客を呼び込む気が無いのではと感じる。
「やっと着いた」
 キティがドアに体重をかけるようにして、両手で押し開けた。古い蝶番が軋む、嫌な音の後に続いて鈴のような音が聞こえた。キティの後に続いて店の中に入る。内側からドアの上を確認するとそこには風鈴が飾られていた。夏に飾るものだと、教えてもらったことがあるが。それも人によっては違うのだろうか。店内を軽く見まわしてみると、他にも気になるものがいくつか目についた。1メートル程の狐のオブジェが二つ並んでいる。どちらも同じ顔をしているので双子かもしれない。ジャックはそれに触れようと手を伸ばした。
「あ、ジャック! 触ると怒られるぜ」キティが慌てて言った。
「まったくその通りだ。買うなら構わんが、そいつは高いぞ」
 しゃがれた老人の声。そちらを向くと、店の奥から店主とおぼしき人物が現れた。商品の山に隠れて見えていなかっただけで、最初からこちらのことを監視していたのだろう。丸い眼鏡の奥では白内障ぎみな色の薄い目が、こちらを睨んでいた。
「久しぶり、おばあちゃん」キティが帽子を脱いで挨拶をした。
「本当に久しぶりさね。年寄りはいつ死ぬか分からんのだから、たまには顔を見せるこったよ」老婆はキティを見て、さきほどよりは表情が柔らかくなったが、ジャックに視線を戻すと元の無愛想な顔に戻ってしまう。「で、そっちのデカいのは?」
「僕は、ジャック。キティの友人で──」
「知っとるわ、戯けが」挨拶の途中だった。「ハオのところで働いとる坊だろう」
 きかれたから答えたのに、という言葉をジャックは呑み込む。代わりに別の言葉を発することにした。
「情報を探している。ここに来れば何か分かるかもしれないと、キティにきいて一緒に来た」
「その、大事なことなんだ。私からも頼むよ、おばあちゃん」
 老婆は少し考えるそぶりを見せたあとで口を開く。
「わかった。ケイティの頼みだからね。聞くだけ聞いてやろうじゃないか」
「ありがとう」ジャックが言う。
「奥で聞くからついてきな。ここじゃあ、あずましくない」
 天井まで届く商品棚の隙間を、老婆は入っていく。躰の大きいジャックは通るために横向きになる必要があった。商品のコーナーを抜けると、そこには今までの床より一段高い場所に畳敷きのスペースがあった。中央には炬燵があり、その近くには小さなストーブが置かれていた。ストーブの上には薬缶が乗っており、湯気を噴き出している。
「座んな」老婆が炬燵を指差す。二人は靴を脱ぎ、言われた通り炬燵に入った。炬燵の上には、蜜柑とお茶を淹れるための急須が置かれている。
 老婆が薬缶から急須にお湯を注ぐのを見ながら、二人は黙って待っていた。
「ケイティ、あんた湯呑みを持ってきな」
「分かった。場所は変わってないよな?」
「前とおんなじ棚にある」
 キティが席を立ち、スペースの奥にある棚に向かった。入れ替わりに老婆が炬燵に入る。ジャックの向かい側の位置だった。
「さて、話を聞こうじゃないか」老婆が言った。
「僕がききたいのは、薬の情報です」ジャックはコートの内ポケットから、液時計を取り出した。
「今は何も入っていないけど、元々は中に銀色の薬が入っていた」
「見せてみな」
 老婆がこちらに手を差し出したので時計を手渡す。
「穴が開いてるね」
「そこから中身を取り出した。今はハオレンに預けてある」
「奴が自分で使うとは思わなかったのかい?」
「思わない。それに、まあ、仮に使われたとしても構わない。それより、あなたも銀の薬を知っているみたいだね」
「『不死の薬』なんて言われて出回ってるやつだろう。薄野の悪党どもが探しちゃいるが、ありゃあ与太も良いところさね」
「と、いうと?」
「幾つかそれらしいものが出回っていると聞いたが。誰かが不死身になった……、なんて話は回ってこない。まあ、坊の噂は例外としてだが」
「僕の体質のことも知っていたわけか、まいったな」ジャックは顔をしかめる。
「お前は裏じゃ有名人だよ。自分では目立っていないつもりかもしらんがね」
「目立ったところで、誰も信じないと思っていたけど……、これからは気をつける」
 キティが湯呑みを盆に載せて戻ってきた。
「湯呑み、これでよかった?」キティが訊く。
「なんだっていいさ、とりあえず置いとくれ。うちのお茶は久しぶりだろう?」
 キティが置いた湯呑みに老婆がお茶を注いだ。それを受け取り、口をつける。
「蜜柑もあるよ」老婆が言う。
「うん貰う。ところで話は進んだ?」キティが蜜柑に手を伸ばしながら言う。
「いや、ほとんどは。これから」ジャックが答える。
「ふうん。まだ全然なわけだ」
「店主、僕は例の薬がどこから出てきたのか知りたい。教えてもらえるならなんだってする」ジャックが老婆に言う。
「なんでも、だなんて簡単に言うんじゃないよ」老婆が言う。「あんたがケイティの友達でいるうちは、ただで情報ぐらいくれてやる」
 老婆は息継ぎをする。
「ただし、ヤバくなったら全部。責任をあんたで引き受けるんだ。この子を死なせたら、あたしは坊を許さないよ」
 キティが蜜柑を食べる手を止めて、老婆を見た。
「おばあちゃん、あたしだって覚悟して首突っ込んでるんだ。そんな無責任なことできないよ。それに普段の仕事だって、危なさでいったら大差ないからね」
「その仕事にしたって、あたしゃ元々反対してんだ。なにもあんたがアンデスの仕事を継ぐ必要なかったんだ──」
「おばあちゃん!」キティが大きな声を出した。
「何度だっていうさ。あの男だって、あんたが生きていけるようにって、仕方なく自分の技を教えたんだ。誰が殺し屋を継げだなんて言った? 少なくともあたしゃ奴の口からは一言もそんな話きいてないね」
「アンデスが言ってなくても。あたしが、そうなりたいって言ったんだ……、あの人が、それを嫌がっているのは知ってたけど。あたしが、望んでた」
 キティの表情は泣いているのか、怒っているのか。どちらともとれる表情だ。それをみたジャックは口を挟むことができなくなった。そして、沈黙の後、老婆が溜息をつく。
「わかった。悪かったね。聞かせてやるさ。さあ、話の続きをしようじゃないか」
「ごめん、おばあちゃん」キティは言った。
「いいさ、あたしも余計なことを言ったからね」
 ジャックは猫舌をかばっていて、なかなか飲めずにいたお茶に口をつける。時々、キティが淹れてくれる紅茶とはまた違った、渋みのある味だった。正面に座る老婆と、横に座るキティを見た。二人とも、何か思うところがあって言葉を交わしたのだろう。だが、それで目的を忘れるようなことはなかった。
「さきほども言ったが、僕が知りたいのは薬の出どころだ。これを作った人間、それを知っていたら教えてほしい」
「知らないね」老婆は言った。
「そうか」
「ただ、どこが取引していたかは教えてやれる」
「それを聞いても?」
「構わんさ。簡単に言っちまうと、木っ端の砂利ガキどもが取引に関わっている。どんな後ろ盾があるのかは知らないが、例の薬を報酬として約束されているらしい。供給元はわからんが、知りたいなら使われている人間から辿っていくのが良いだろうさ」
「例えば、誰がというのは? 売人の名前は知っているんだろう? 実際に薬を買った男は見つけたが、売人の情報はまだ知らない」ジャックがさらに尋ねる。
「名前なんて知らんよ。あたしのところにゃ、噂の噂が集まるだけなのさ」
 老婆は茶を飲み干し空にしたあとで唐突に話題を変えた。
「坊は繁華街には詳しいかい?」
「いや、そこまでは」
「それなら、そこで人が消えてるのも知らないだろうね」
「初耳だ」
「あたしも初耳」キティが言う。「でも、薄野で人が消えるなんて、今に始まったことじゃないよ」
「それが日に一人や二人ならそうだろうさ。だがね、毎日十人前後が行方知れずの神隠しにあっているとしたらどうだい?」
「ひどいね」キティが返す。「それが本当なら、なんで誰も調べてないわけ?」
「他の住人を、ここの人間は気にしない」ジャックがキティを見て言った。「僕たちも含めて、自分の生活で手一杯じゃないか?」
「まあ、そういうこったね」
「それも薬に関係があると?」
「さあね、ただ。同じ時期にこの噂が流れ始めた。関係がないとは言えないだろうさ」老婆は言い切った。

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