「モンストロマン」2-6

 昼過ぎ、ジャックと別れたころ。キティは、札幌で一番大きなキャバレー『グランド・ローズ』を訪れていた。天井にはシャンデリア。床には毛足の長い、深紅の絨毯。バーカウンターはマホガニー。奥にあるステージではジャズバンドがコルトレーンの曲を演奏していた。
 『ローズ』はイメージを裏切らない、オーソドックスな店だった。アメリカ人には故郷を思い出させるし、それ以外にはジパングの夢を見せてくれる。
 人々が談笑するスペースを抜けて、キティはバーを目指す。カウンター席には、客がいなかった。適当なスツールを選んで腰を下ろす。
「何をおつくりしましょうか」女性のバーテンダーが注文を聞いてくる。
「シロップをたっぷり入れたギムレットを」キティが答える。
「他には何か?」
「あとはそうだな……、君が欲しい」キティはわざと低い声を出した。
 キティの言葉を聞いて、バーテンダーは噴き出した。それにつられてキティも声を出して笑う。
「先週ぶりね、キティ。その冗談、毎回言うつもり?」
「うーん、あんたが笑ってくれる限りは言い続けるかな」キティが言う。
 バーテンダーの彼女、エミリは友人だった。キティは彼女から噂話が聞けることを期待していた。
「今日もスーツなんだね。キティが可愛い恰好してるとこ、一度でいいから見てみたいな」エミリが言う。
「これは趣味みたいなもんだからさ」キティは帽子を脱いで、カウンターの上に置いた。「それにいまさらフリフリのドレスなんて着だしたら、知り合いは全員大爆笑だろうぜ」
「そうかしら? 私はそう思わないけど」
「いいって、そういうのはさ。それより、今日は聞きたいことがあって来たんだ」
「聞きたいこと? それって、スリーサイズ?」
「あたしはセクハラおやじか?」
「私がされる質問のベストスリーなの。ここの客って、格好は上等だけど、中身はそこらのチンピラと大差ないのよね」メアリはそう言って、下唇を軽く噛んだ。
「で……、ベスト一位はなんだ? あっ……、わかった。結婚してるかどうかだろ」
「正解。名探偵さんには一杯奢ってあげる」
「やった! エミリ愛してるぜ」キティは指を鳴らす。
「質問じゃないけど、それもよく言われる。フランス女ってだけで、モテちゃうから大変よ」
 エミリはギムレットを作り始めた。ジンを入れたシェイカーに、ライムジュースとシロップを注ぐ。
「本題に入るけど、最近子供の失踪が増えてるのは知ってたか?」
 キティの質問に彼女はシェイカーを振りながら答える。
「子供が消えるなんて話は聞かないわね。うちにいる子って、若い子が多いでしょう? だからそういう噂ってのに興味ないのかもね。はい……、ご注文のギムレット」
 カウンターに置かれた三角のカクテルグラスを持つ。量が少ないので、一口で飲んでしまった。
「もっとデカいグラスで飲んじゃだめか?」
「ここは、お上品な店なのよ」
「じゃあ、仕方ないな。ウィスキーハイボールを追加で」
「それならジョッキで出せるわね」エミリは微笑んだ。
「雑な聞き方で悪いんだけどさ、噂ならなんでも良いんだよ。何か変な話とか聞いてない?」
「本当に雑ね。うーん、そういう話なら。あんまり大きい声で言えないんだけど」
 エミリは氷の入ったジョッキにウィスキーとソーダを注ぐ。そして、ジョッキをキティに渡した。
「サンキュ。で、大きい声じゃ言えない話って?」
「キティだから話すけど。私が言ったなんて誰にも教えちゃだめよ?」
 秘密の話と言うわりに、エミリは話したくて仕方ないといった風だった。声の調子がやたらと弾んでいる。彼女は昔から噂話が大好きだった。だからこそ人の話を聞けるバーテンダーという職に就いたのかもしれないが。
「信用しろよエミリ。あたしって昔から口の堅い女だっただろ」
「うーん、じゃあ、何かに誓ってくれるなら話そうかしら」
「じゃあ、神に誓う。なんなら、ブッダにも誓おうか?」キティは頬杖をつく。
「やだなぁ、不信心で」
「もったいぶるなよ。話したくて仕方ないって思ってたくせに」
「なんだ、バレてたのね」
 彼女はちらりと、周りを確認してからキティに顔を近づける。
「キティはうちのボスを知ってる?」
「知ってるよ。向こうのテーブルで女囲ってるオヤジだろ? 名前はマーフリィだっけか」
「そう、彼なんだけど。最近になって大きい買い物をするんじゃないかって噂になってるの」
「何を買うかは聞いたか?」
「さあ? それは知らないけど、すごい額よ。お店の売り上げひと月分ぐらいだって」
「それは……、尋常じゃないな」キティの口角が上がる。「で、誰から聞いたんだ?」
「ここのマネージャー。まあ、彼もマーフリィの部下なんだけどね。休憩時間は、ここに飲みに来るわけ」
「随分信用されているんだな」
「私、従業員の愚痴を聞くのも仕事だから」エミリは溜息を吐いた。
「他には?」キティもカウンターに肘をついて頭を近づける。
「なあんにも。何を買うのかなんて、マネージャーも知らなかったんじゃないかな」
「店ぐるみの取引じゃないなら。かなり面白い話だな」
 確証はない。しかし、タイミングから考えて例の薬に関係がありそうだった。どうせ知らないことの方が多いのだから、これに賭けても損はないだろうと思われる。
「買い物は店の中でやるんだろうか」
「関係あるか知らないけど。最近、新しい団体様の客が入っているのよね。それが取引相手じゃないかって。まあ、これもマネージャーの意見だけど」
「その団体様は今日も来てるか?」
「今日はまだだけど、毎日来てるみたいだし。そのうち来るでしょうね」
「メアリ。ありがとう。色々聞かせてくれたし、何か奢るよ」キティは紙幣をジャケットの内ポケットから取り出し、カウンターに置いた。
「メルシー、キティ」メアリは受け取った紙幣を古めかしいレジスターに突っ込む。「ねえ、帰る前に私からも質問していいかしら?」
「私に? 構わないけどなんだ?」
「例の彼氏とはどうなってるの?」メアリはふふっと笑った。「あんまり教えてくれないから気になっちゃった」
「彼氏? もしかして、ジャックのこと言ってる? あいつとはそんなんじゃないよ」キティは首を振る。
「え? でも一緒に住んでいるんでしょう?」
「それは、あいつが宿なしだから仕方なくだ。何年も泊めてるうちに、今の状態で落ち着いた……、というか」
「何年も同棲してて、何も無いわけ?」
「ない、ない。そもそもあいつ、性欲とか枯れてるんじゃないかな」
「ふうん。つまんないわね」メアリは口に手を当て、わざとらしくあくびをする。
「あたしらの関係をつついたって、面白いことは出ないと思うぞ」キティは席を立つ。「じゃあ、また今度遊びに来る」
「じゃあ、またねえ」メアリはひらひらと上品に手を振った。「愛の進展があったら教えなさいよ」

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