「もう一歩」のその距離は、はてしなく遠い?


「もう一歩」が踏み出せないために、多くのことが「現状」のまま私たちの前には高く、重く横たわっている。

この高く、重たい「現状」という代物は、とても脆く、壊れやすいもののはずなのに、なぜか、簡単には除けることができないものとして私たちの進むべき前方を塞いでいる。

どうにかならないものなのか。

多くの人がそのことを考え、そして答えを導きだそうとし、ようやくその答えが見つけ出せそうなところまでいったところで、「もう一歩」が踏み出せなかったばかりに、「現状」の壁に行く手を遮られ続けている。

もし、あの時、「もう一歩」が踏み出せていたら?

大人たちの後悔の大半が、”あの時の「もう一歩」”だったのではないか。

「もう一歩」で、あらゆることを手に入れられたかもしれない。

もしあの時、「もう一歩」踏み出していれば、「現状」とは大きく異なる「自分の本当の未来」が待っていたのかもしれない。


だが、こんな厳しい声もあるだろう。

勘違いをしてはいけません。あなたたちは、「惜しい所」まで行ったのではないのです。”その場所”は、あともう少しで辿り付けた場所ではなかったのです。あなたが、「もう一歩」だと思い返しているゴールは、実は果てしなく遠い先にあったのです。そこは、簡単にたどり着けるような場所ではなかったのです。あなたの勇気、知力、体力、忍耐力など、全ての能力を試される厳しい行程の先にあったのです。決して、「あの角を曲がった先」といったレベルのものではなかったのです。

あなたの「一歩」がどれほど大きな一歩だったとしても、あなたが考えた「一歩」では、そこにはたどり着けなかったのです。実は、その「一歩」の先にも延々と道は続いていて、その「一歩」を踏み出さなければ経験せずに住んだ苦悩や苦痛を味わうことになったのです。

忘れないでください。その「一歩」は、簡単なものではなかったのです。だからこそ、あなたはその「一歩」が踏み出せなかったのです。


もし、あなたが、過去一度でも、「もう一歩」を踏み出した経験があるのならば、その「もう一歩」で得られたものを見つめ直してみて欲しい。

もしかすると、それは、今、あなたの手元にはなかったものなのかもしれない。恋人、友人、家族、仕事、趣味、あの夏の思い出。

あの時の、あなたの「もう一歩」があったからこそ、それは、「現状」として、あなたの手元に当たり前のようにして存在している。

あなたの周囲にある、肉親以外の全てのヒトやモノが、あなたの過去の「もう一歩」の結果なのだ。

私たちは、「もう一歩」の意味を、再定義する必要がある。

それは、(目標到達のために)足りなかった「一歩」ではなく、(目標到達のために)果てしない道を歩く覚悟を決めた「一歩」とするべきだ。

足りなかった「一歩」ではなく、進めなかった「一歩」だ。

「もう一歩」こそが、私たちを、私たちの望む未来に連れて行ってくれる唯一の手段であり、その「もう一歩」こそが、私たちの未来を作る苦しくも楽しい長く険しい行程の「はじまりの一歩」なのだ。

「もう一歩(だった」と過去を振り返った際の、自分を慰めるための言い訳にするのではなく、目の前に壁があるその壁を越えるための行為としての「(進み始める)もう一歩」にしよう。


最初の一歩を踏みだすこと。結果は後からついて来る。もちろん希望通りの結果とは限らない。でも、踏みださない人に、結果は決してやって来ない。
唯川恵[ゆいかわ・けい]
(女性小説家、1955~)
『明日に一歩踏み出すために』

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