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グノーシアの主人公は何者か? ~主人公の正体について語り倒すネタバレ満載なんちゃって考察~

はじめに、私はエンジニアでもコメットでもありませんので、あなたが嘘をついていた場合も看破することは出来ません。どうかプレイ中の方、これからプレイしたい方、あるいは実況を楽しみにしている方。あなたの宇宙がよりよいものであるために、回れ右をお勧めいたします。思わぬバグを引き当ててしまってはいけません。
と、おふざけはさておき、表題にもあるように、ネタバレしかありません。私による私のための語りですので、内容もプレイ後(ないし実況完走後)を想定しています。すなわち、未プレイの方が読んでも「これ何言ってんだか全然わかんないんだけど重要なネタバレを喰らった感触はある!」となる感じの記事です。(そもそも、モロにフリーク向けの内容ですしね!)

では、本作のエンディングを2つ見届けておりなおかつ、(1つの方は大急ぎで回れ右してください)……ここから先はもうちょっと真面目っぽい口調になってしまうので、それがOKな方だけどうぞ! あ、あとロジカルが高い方、論拠薄弱かもしれないですが、逆に哀れだねとか言わないで下さいね(笑)

※以下はあくまで個人の推測や想像に基づいた考察&感想です。


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さて、ここまで来られたということは、そういう事ですね。言って良いんですね? 目次に早速“キャラ紹介にいないあの人”の名前とか出てますからね?
最後まで見届けた後、多くのプレイヤーはこう思うと思います。私も思いました。
「主人公って何者なんだろう?」と。

そこで今回目を付けたのが、終盤の主人公のキー行動である「意識飛ばし」すなわち人格転移です。セツのいる宇宙の主人公(以下「セツ宇宙の主人公」と呼びます)に、主人公が自分の人格を飛ばしたアレですね。それが出来る登場人物達が他にもいることです。
異なる身体に意識を飛ばした登場人物が主人公の他に2人います。ククルシカ、SQ(つまりはマナン)です。
ククルシカとSQはある意味マナンという同一人物であり、かつ恐らくは「悪」という立場で「善」側である主人公達と対立する概念で、他の登場人物とは位相が違います。(他の登場人物達と異なり、マナンに対しては悪い箇所しか描写されていませんし)彼女らの在り方が、主人公の在り方に繋がるのではないか? まずはこんな切り口から入っていこうかなと思います。


人形と人 
~ククルシカとマナン・セツ宇宙の主人公と主人公~

では、まず最初にククルシカと主人公の人格転移について比較していきます。

ククルシカ
ククルシカは元々ドールです。当然、マナンが入る前は片割れと同じく、自我も意思もないただの人形であったのでしょう。人格転移の際マナンが壊れて殆ど別の人格が生まれているループもあれば、マナン自身が強く残って彼女そのもののような振る舞いをすることもあります。
基本的に、ククルシカ性とマナン性が同居することは無いように見えます。ジナに甘える可愛らしいククルシカが、同一ループでマナンのような殺戮をしていることはないでしょうし(そもそもイベントが出る条件がそうならないようになっていたと思います)その逆もしかりです。ククルシカとマナンはループを通して、どちらの側面が表に出るか、コインを投げているとも言えるかもです。(レムナンの存在はキーになりそうではありますが、ここでは余談なのでふれないでおきます)
上記のような経緯から、マナンが何かの拍子でククルシカから抜ければ、彼女はただの人形に戻るのだと思います。ククルシカ性も、元々はマナンから生まれているので。

主人公
さて、ここで我らが主人公を見てみましょう。主人公が人格転移をするのはクライマックスのみですが、そこで飛ぶ先は「記憶喪失になった平行宇宙の自分の身体」です。
セツ宇宙の主人公は、大怪我を負って医療ポッドで意識不明状態。ポッドの中にいるあの人、彼女に重なりませんか? ましてや記憶喪失なんですよ? ……そう、上記のククルシカです。
セツ宇宙の主人公の人格が、作中で介入してくることはありません。セツ宇宙の主人公の性別を変えても名前を変えても、ある応えをすればセツは彼ないし彼女ないし汎のあの人を、「他のセーブスロットの主人公だ」と認識します。勿論人形ではないので人格は持っているのでしょうが、少なくとも作中でそれが表に出てくることはないことから、セツ宇宙の主人公はいわば舞台装置であり布石のようなものと言えると思います。初回の邂逅の時も眠っていますしね。
セツ宇宙の主人公と主人公の関係性は、丁度ククルシカとマナンの関係のようだと言えるのではないでしょうか?(勿論、後で身体を返す点や人格が破壊されていない点など、異なる点もありますが)


二つの人格 
~SQとマナン・主人公とあなた~

続いて、SQと主人公の在り方についても見てみましょう。

SQ
SQは元々自我を持った人間です。生まれたときにマナンの人格を移植されており、ループによって移植が成功したり失敗したりでSQが出たりマナンが出たりします。
SQとマナンが同居することは、こちらでも基本的にありません。グノーシアになったらマナン、ならなければSQと言うことで、ククルシカ以上にきっぱりわかれていますし。
さて、ここまで見ると上記のククルシカと同じように見えますが、彼女は「素の人格を持っている」と言う点でククルシカとは異なります。マナンによって、素の人格を上塗りされてしまっているんですね。最終ループ以外でマナンになってしまったSQを助ける手立てはないので、こちらは双方の身体……いや、存在ですかね、を、奪い合っていると言えそうです。
こちらは最終ループで再現済みですが、マナンが抜けた後は素のSQの人格が戻ることが描かれています。SQちゃんはママが抜けたところで、空っぽにはならないのDEATH☆

主人公
一見すると主人公は誰に乗っ取られている訳でも乗っ取っている訳でもないので(強いて言うならセツ宇宙の主人公を乗っ取っている感じもしますが、作中で人格が描写されないのは意図的かなと判断したためあえて無視してあります)、SQとマナンには当てはまらないんじゃないの? と思えますが、今一度主人公について、ちょっと思い起こしてみて下さい。
そもそもこのゲームをプレイする中で、主人公(の人格)だと言える存在は一体誰? 主人公自身の人格は勿論ですが、その他にもう一つ、大きな構成要素がありますよね?
主人公のキャラメイクをしたのは? 主人公のパラメータを編集しているのは? 議論パートの謎解きをしている頭脳の持ち主は? そして最後に異なるセーブスロットを選択できるのは?
プレイヤー自身が主人公の人格を上塗りしている。ないし、プレイヤー自身が自分の目的(ゲームに参加する)のために主人公を創った。そういう見方も出来ますよね。どちらもマナンがSQに対してやったことです。
本当に判断がつかないのは、グノーシアの主人公があの場に飛んでいるのか、それとも我々が意識を飛ばしているのか、というところなのです。
主人公の中身であるにせよ主人公の創造主であるにせよ、プレイヤー自身を外して、この主人公というキャラを語ることは出来ないと思われます。主人公とプレイヤーという二つの存在が、主人公の人格の候補に挙げられると言えるでしょう。

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主人公とは何者ぞ?
~重なる画面のあちら側とこちら側~

さて、ここからが本番なのですが、既に長いですね。ジョナスの話みたいだとか言わない。
前までの内容をまとめると、主人公の中身と思わしきものは、

その1,主人公はプレイヤー自身である
その2,主人公はプレイヤーが作り出したキャラクターである

これのどちらか、ということになります。
双方とも二次創作界隈では、広義で「夢」と呼ばれるものでしょうか。ただ、似ているようでこれってちょっと違うのではないかなと思うのです。特にこのゲームにおいては。
では、仮に1か2どちらか片方が正しかったと仮定して、私が考えた事をつらつら書いていこうと思います。

1主人公がプレイヤー自身であった場合
プレイヤーが我々の宇宙から意識だけを飛ばして介入している、と考えた場合、グノーシアの世界で謎解きをしていた主人公は、プレイヤーのアバターであり、マナンがSQにしたように、主人公の人格を上塗りしていることになると思います。(攻殻機動隊をご存じの方はプレイヤーは「ゴースト」、主人公は「義体」といった方がわかりやすいでしょうか)
この場合、セツは真エンドで、画面の向こうにあるプレイヤーの存在を見抜くんですよね。(「君」の「」、「他の宇宙から意識だけを~」というくだりは正直1にも2にも解釈できるので、そう言った部分も併せてシビれるのですがそれはさておき)正に、画面を越えて互いの目が合い「君がセツ」「君がプレイヤー」と認識したと言えると思います。美しいです。本当に美しい。これは本当に「フィクションという概念がプレイヤーに微笑みかけてきた」瞬間だと思います。
ただ、主人公がプレイヤー自身であったなら、少し心配に思うことがあります。
セツ宇宙の主人公は別物なので勿論なのですが、ループをしていた方の主人公の記憶も、プレイヤーがゲームから離れたらゼロになってしまうんじゃないか、と。
セツのこと、主人公には覚えておいて欲しいんです。あのループのことを覚えているのが、セツだけになってしまうのがとても悲しい。忘れてしまったら、主人公とセツはもう二度と会えないのだから……。

2主人公がプレイヤーの生み出したキャラクターである場合
こちらの解釈にメタ要素はほぼなく、テキストをただ素直にとらえた見方かなと思います。神(このゲームにおいて、「神」の考え方は非常に複雑だと思いますので、仮に当てた近い意味の言葉、と思って頂ければ幸い)にも近い視点でゲームを見ているプレイヤーが、「光あれ」と言わんばかりにイレギュラーである主人公を作った、という考えですね。プレイヤーが無理矢理ゲームの世界に介入するために作り出したのが主人公であり、主人公は自らがその楔だと気づかないままに船内生活を送っています。丁度SQを作ったマナンのようです。
この考え方で行くと、上記のような世界を超えた邂逅を否定してしまうので面白みがないようにも思えるかもしれません……かもしれません、が。
こちらを取れば、主人公はセツと違う宇宙で、ずっとセツを覚えたまま生きていけるんです。ひょっとしたらラキオ・レムナン・SQあたりを巻き込んで、宇宙間の通信装置や転送装置だって作ってしまうかもしれない。会えるかもしれないんです、こちらの主人公なら、あのセツと再び。

どちらも捨てがたくないですか? 美しい体験も、セツと主人公の絆も。
そもそも、「絶対に主人公だ」「絶対にプレイヤーだ」そう言えるのでしょうか? 
個人的には、言えないんじゃないかなと思っています。
セツ宇宙の主人公と主人公、主人公とプレイヤーという2つの関係がマトリョーシカのような構造で存在しているからこそ、1と2どちらも“アリ”だよねと、言える世界が出来ている、と私は思います。

曖昧な描写の中で生まれた「主人公と我々自身の二つが溶け合ったもの」こそ、私は「グノーシアの主人公」だと思っています。最早どこから先がどこと判別することは出来ない、ただし混ざり合っているわけでも無ければ乗っ取り乗っ取られの関係でもない、『主人公とプレイヤーの二重存在』。これがグノーシアの主人公の正体なのではないでしょうか。


二重存在が語ること 
~セツと主人公が再会するとき~

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ここからはちょっとした余談ですが、実は一番言いたかったことです(え)烏滸がましい言い方ですが上記と丁度対になるかも?な概念を仰っている、渡邉卓也氏の素晴らしい考察がありましたので概要をば。

セツはゲームのメタファーであり、最後に「ゲームの代表」として、「プレイヤーのメタファー」である主人公にお礼を言う。

この論を見たとき鳥肌が立ちました。見事すぎて素敵すぎてもう……。(是非探して読んでみて下さい)この後、だからこそセツは「汎」でなければならなかったのだ。ゲームに性別はないから、と続くのですが、そこももうヘドバン並みに頷きながら読みました。

ここから先は渡邉氏の論をお借りして私が考えた事です。
主人公が「主人公」・「プレイヤー」という二重存在であったなら、セツは「セツ」・「ゲーム」という二重存在であったかもしれない、と私は思っています。(二重存在同士が共鳴すれば、そりゃこの世界だったら世界間の壁なんて簡単に超えてきますよね(笑))
こう考えると、何故セツと同じ宇宙に行けるエンドはないのか、という謎も解ける気がします。私も多くのプレイヤーと同様、セツと主人公は同じ宇宙にいて欲しいと思いますが、少なくとも作中では行ってはいけないのです。セツはあちら側の人間、そして主人公が密接に関わるプレイヤーはこちら側の人間なのですから。
奇跡的に人生がゲーム機の中で交わって、お互いの心に影響を与え合って、それぞれの明日へ進む。こういう関係性でなければならなかったのだと思います。

穿った見方になりますが、このゲームからはこういったメッセージも読み取れる気がします。“ゲームは「恋人」のように側にいよう、一つになろうとするものではなく、友人や隣人として現実を生きる我々の隣の道を歩み、時に楽しませ、励まし、新たな知見をくれる「相棒」のようなものなのだ”と。
セツのという性別には、「フィクションを作る者」としての開発者様の信条と言いますか、矜持を見るような気もするのです。
我々のゲーム、ひいてはフィクション体験を体現したかのような“セツ”という存在の厳しさと優しさは、フィクション自身の美しい一側面を見せてくれたようで……。「ゲーム」から語りかけられたプレイヤーとして、心が前向きになる思いでした。最後のタイトル画面で、セツだけがこちらを向いているのもニクイ!良い!(SQとククルシカが同じような体勢と表情をしている点、夕里子様が目を閉じている点も意味深ですね)

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最後に一つだけ、夢物語のような事ではありますが。
プレイヤーが離れてグノーシアの主人公がただの主人公に戻ったとき、セツもきっとゲームという概念から離れてただのセツに戻ると思います。そうしたら、きっとまた二人は二人として会えると思います。プレイヤーがそれを観測しようとすれば、プレイヤー自身が主人公と繋がってしまうから、私達が再会の瞬間を見る事は叶わないけれど。
そうであったらいいなぁと思いを馳せることくらいは、“隣人”としてやっても良いことだと思うのです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
グノーシアを考察する人がもっと増えますように!


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