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ほんとうに大切なものはいくつあるんだ

昨日は日付変更の30秒前に慌てて投稿し、なんとか7日連続note投稿を達成した。10分でさっと書けるほどの力はまだ当然なく、300文字程度の短い日記となった。「走りながら考える」と題したものの、考えたことについては全く書くことなく終了してしまった。続きを書いてみよう。

この日友人と走りながら色々と話し、自分の中に色濃く残ったものを書き記しておく。端的に言うと、ほんとうに大切なものはそれほど多くはないはずだ、という至って聞き慣れた話である。もはや当たり前と言っても良さそうな話が、なぜ印象深く記憶に残っているのか。

この20年ほどの間にPC、インターネット、スマホなどの「デジタル」によって私たちの生活は大きく様変わりしたが、引き続きこれを発展させようとする世界は、数・量・速さがより大きくなることを基本的には良しとする世界ではないかと思う。デジタル化が進む以前からあったもののうち、これらの価値基準においてデジタルに劣るものは、デジタル同士の競争の土俵に同様に上げられ、同じ物差しで比較され淘汰されていったものも少なくない。アナログの良さと言われるような定性的な強みを持っていたとしても肩身の狭い思いをしているものが大半ではないだろうか。

この「アナログの良さ」なるものを、デジタル化がますます進む世界でより多くの人々に伝えるにはどうすればよいのか、そんなことを走りながら考えていたのだ。

私たちの1日は相変わらず24時間であるし、生涯は平均寿命が延びているとはいえ長くてもせいぜい100年程度だ。デジタルよ、そんなにたくさん、そんなに急いで、私たちは果たしてしっかり味わえるのだろうか。

私たちは何かを体験するために生きていると私は考えている。出来事の良し悪しに関わらず、体験は濃厚であればあるほど価値あるものではないだろうか。そして体験を濃厚にするには五感を最大限に使って生きる必要がある。
しっかり味わうなら限られた大切なものを味わいたい。何が大切なのか考え選ぶこと、すでにそこからが濃厚な体験なのだ。

あなたにとってほんとうに大切なことは一体いくつあるだろうか。アナログの良さを伝えるためにわざわざアピールすることなどないのかもしれない。「デジタルでなくてもよいかもしれない」ことに気づけば、自ずとアナログも選択肢に入るだろう。誰しもがわかっているはずのこと、それを問うだけなのではないか。
こんなことに改めて気づいたランニングだった。

今日は時間に余裕を持って書き終えることができた。よしよし。では、また。


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