よの34 黙買い

久しぶりの休日の朝、妻と歩いて近くのパン屋に行った。
ドイツで修行をされた老夫婦が営む小さな店である。
こだわりのドイツパンが人気だ。
われわれはマスクをしながら、入口の消毒液で手を揉み、ドアを開けた。

ふと張り紙を見ると、「黙買いでお願いします」と書いてある。
われわれは顔を見合わせ、アイコンタクトでいこうというアイコンタクトをした。

中に入って妻がトレイとトングを持つ。
店内を見渡すと意外と品数が少ないことに気づいた。

どうする？と妻がアイコンタクトしてきた。
しょうがないんじゃない、と目で答える。

ちょっと戸惑いながら立っていると、店のおかみさんが２種類の焼きたてのパンを両手に持ちながら、笑顔で力強いアイコンタクトをしてきた。

妻がトングで、焼きたて長野県産小麦１００％長野カンパーニュを指さし、私を見る。

どうする？
いいんじゃない、と私が頷く。

妻はトレイにカンパーニュを乗せ、
次にライ麦１００％のロッゲンブロードを指さす。

どうする？
いいんじゃない、と頷く。
ロッゲンブロードをトレイに乗せる。

あんパンを指さす。
どうする？
ちょっと・・、首を横に振る。

再びあんぱんを指さす妻。
どうする？
・・わかったよ、と私はしぶしぶ頷く。

今度はひまわりパンを指さす。
どうする？
いいんじゃない、と頷く。

再びおかみさんが焼きたてのクリームパンをトレイに乗せ、力強いアイコンタクトでわれわれを見て頷きながらやってくる。

平飼い卵のクリームパンだ。

妻がクリームパンを指さす。
どうする？
いいんじゃない、と頷く。

再び妻はクリームパンを指さす。
どうする？
あれ？通じてなかったのかな。いいんじゃない、と再び頷く私。

すると、もう一度クリームパンを指さす妻。
どうする？
え？だから。いいよ、と私は大きく頷いた。

ふと見ると、トレイにクリームパンが３個乗っている。

え～？そういう意味？そんなにクリームパンいる？ちょっと待って、こっちはそういう意味で頷いたわけじゃない。確かに平飼いの卵は魅力だけど、モーニングにしては買いすぎじゃない？しかも３個って、なんかはんぱだし。そもそもなぜクリームパンだけ３個？

言いたいことは山ほどあったが、さすがに黙買いだけにアイコンタクトだけでこの複雑な思いを伝えるのには無理があった。

すでに妻はトレイを会計に出していた。

支払いを済ませ、われわれはおかみさんの力強いアイコンタクトに見送られながら店を出た。