よの35 休みの前の日
私は不動産管理の仕事をしている。
わが社ではだいたい終業の30分前から片づけに入る。
終業時間は17時30分だ。
残業にならないよう上手く調整して終業時間ぴったりに帰るのだ。
そして現在の時刻は17時20分。
すでに調整時間内、秒読み体制だ。
残り9分。
残り7分。
5、4、3、2、1。
さあ帰宅だ。
そして明日は日曜日。休日だ。
休みの前の日の社内の雰囲気はすこぶるよい。
「おつかれ~」
「おつかれさん」
「おつかれさま~」
機嫌良くお互い声を掛けあうのだ。
帰路の足取りも軽い。
気持ちはスキップしてる。
やった。やった~。明日は休みだ。休みだ。
特に予定はなくてもなぜか無性に嬉しい。
そしてその喜びは時間と共に増していき、その夜最高潮になるのだ。
明日どうしようか。なにをしようか。
考えるだけでワクワクして眠れない。
そして・・翌日。
昼近くに目が覚めてしまった。
あちゃ~
なんと11時20分。
もうこんな時間。
それになんだか疲れも残ってる。
で、結局だらだらと無計画のまま時間を過ごして、
いつの間にか夕方になってしまう。
なんだかんだで、あっという間に外も暗くなっていく。
時計の針は20時00分。
何度見返しても、20時00分だ。
「うわ~」
一気に現実に帰る。
明日は仕事である。
気分が奈落の底まで落ちていく。
明日は仕事なのだ。
会社に行きたくない気持ちが分刻みで増してくる。
ああ、行きたくない。行きたくない。
会社に行きたくない。
行きたくない。
いや、
辞めたい。いっそ辞めたい。
辞めたい。
というより
働きたくない。
ああ、
働きたくない。
休日の夜はえんえんと無限地獄が続くのだ。
そして、翌朝。
昨夜の気持ちを引きずりながら足取りの重い朝の出勤だ。
社内がどんよりとした雰囲気で始まる。
おはようという声に活気はない。
ただ、一度働き出すと徐々に気が紛れてくるから不思議だ。
そのうち、つらい気持ちも忘れてくる。
いつの間にか仕事に追われて、忙しい日常に戻っていくのだ。
現在の時刻は17時ちょうど。
終業に向けて各々片付けに入り、社内がそわそわしてくる。
17時20分。
終業まで残り10分。
5、4、3、2、1。
さあ、帰宅だ。
そして明日は日曜日。そう、休日だ。
「おつかれ~」
機嫌良く声を掛けあう。
やった。やった~。明日は休みだ。
足取りは軽く、気持ちはスキップしてる。
特に予定はないが、妙に嬉しい。
明日はなにをしようか。考えるだけでワクワクしてくるのだ。
そして・・、翌日。
時計をみると1時30分。
え?
もう一度見る。
1時30分だ。
慌てて窓のカーテンを開ける。
燦々と降り注ぐ太陽。
あきらかに夜の1時30分ではなく、昼すぎの1時30分だ。
あちゃ~。寝過ぎだろ。
でも疲れは取れたような気はする。
その点では確かによかったが、もうこんな時間なのだ。
それからは、そんなこんなで、
いつの間にか時計が20時00分を示す。
あっという間に気持ちが急下降する。
無間地獄が始まるのだ。
ああ、行きたくない。行きたくない。
会社に行きたくない。
行きたくない。
いや、辞めたい。
いっそ辞めたい。
辞めたい。
というより
働きたくない。
ああ、
働きたくない。
働き・・
ん?まてよ。
毎週毎週同じことをやってないだろうか?
休みの前の日に盛り上がり、休み当日はあっという間に過ぎ去り、そして休みの夜は最低の気分になる。特に休みの夜の落ちこみは本当に辛い。
気持ちはわかるが、いくらなんでも働きたくないまでは落ちすぎじゃなかろうか。それほど今の仕事が嫌なわけではないし、仕事を辞めたらかといって問題が解決しないことは明白だ。働かなければもっと落ちこむのは目に見えている。
確かに月曜の朝は鉛のような足取りだが、一度仕事が軌道に乗ればそれほど苦ではなくなるのだ。
いったい何だというのだろうか?
まあ理由はどうあれ、毎週毎週の無間地獄だけは勘弁してほしい。こんなことを延々と繰り返すなんて馬鹿げているじゃないか。あと、あっという間に過ぎる休みの日もなんとかしてほしい。
ん?もしかして。
と、あるひとつの閃きが私の脳裏に浮かんだ。
ひょっとして、原因はある思い込みにあるのではないだろうか?
休みの前の日の期待に反して毎回裏切られる休み当日。
本当に休み当日が一番楽しいのだろうか?
私は子供の頃、土曜夜の番組は無条件に楽しめたが、日曜夜の番組はなぜかいつも心から楽しめない、もの悲しい気持ちだった記憶を思い出していた。
実は休みの前の日の方が楽しいのではないだろうか?
本当は休み当日はさほど楽しくはない。いや仮に楽しかったとしてもそれをうわまわる楽しさが、休みの前の日にはあるのではないだろうか。
休みが一番楽しいという幻想が生み出した矛盾。
毎回休みの前の日の期待値を越えられない重圧(ストレス)がその夜の無限地獄を引き起こしているのだ。
休みという現実よりも、前の日の期待が常にうわまわるのだ。
だったら、現実よりも期待を楽しめばいいのではないか。
全身に衝撃が走った。
そうか。
そう気づいてしまった私は、それからは休み当日にさほど期待をしなくなっていった。その分休みの前の日を充実させることに気持ちが向かい始めたのだ。
するとどうだろう。不思議なことに逆に休み当日にゆとりが生まれ時間がゆったり長く感じられるような気がしてきたのだ。ただ、あいかわらず休み当日の夜の無間地獄はなくならない。それでも、行きたくないから始まって、辞めたいまでいくにはいくが、働きたくないまではいかなくなってきた。
以降休みの前の日を一番に楽しむようになっていった。
それからさらに何週間か経って、
私はある不思議な気持ちに気づいた。
休みの前の日を迎える前の日、つまり休みの前の前の日の仕事が終わると胸が高鳴り始めたのだ。帰宅しながら気持ちがスキップする。やった、明日は休みの前の日だと。
なんとそれからは、休みの前の日を迎える前の日の夜を楽しめるようになっていったのだ。
前の日の楽しみが2倍になったのだ。
そうして休みの前の前の日を楽しめるようになって、さらに数週間が過ぎた。
すると驚くべきことに、さらに新たな気持ちが起こってきた。
なんと休みの前の前の前の日(つまりは木曜)の仕事が終わると気持ちが高鳴り始めたのだ。帰宅しながら気持ちはスキップする。やった、明日は休みの前の前の日だと。
こんなことがあるだろうか。
前の日の期待の期待がその前の前の日の楽しみを生み出しはじめたのである。人間とはかくも不思議な生き物であろうか。
そして驚くべきことに、
さらに数週間立つと、今度は休みの前の前の前の前の日(つまりは水曜)の終業時間を迎えると胸が高鳴るようになり、信じられないことには、更に数週間で、休みの前の前の前の前の前の日(つまりは火曜)の終業時間に胸が高鳴り、そしてついに、そこから数週間で、月曜(つまり休みの翌日)の終業時間に胸が高鳴るようになったのである。
とうとう一週間が繋がってしまったのである。
かくして私は日曜の夜の迎え、明日が月曜(つまり休みの前の前の前の前の前の前の日)だというわくわく感が無間地獄に打ち勝ったのである。
「フフフ・・アハハハハ」
思わず笑いが込みあげてきた。
大いなる安らかな気持ちが訪れ、私はゆっくりと深呼吸をしながら、何かが終わったような予感を感じた。
私は達成感に満ちた幸せな気持ちで、
月曜日を出勤した。
それから数週間が立った。
現在の時刻は17時ちょうど。
終業に向けて各々片付けに入り、社内がそわそわしてくる。
17時20分。
終業まで残り10分。
5、4、3、2、1。
さあ、帰宅だ。
そして明日は日曜日。そう、休日だ。
やった。やった~。明日は休みだ。
足取りは軽く、気持ちはスキップしてる。
そして。
休み当日の夜。
突如、またあの無限地獄がやってきたのだ。
終わってはいなかった。
数週間おきに前日へ移動してきたわくわく感が、さらに前日へ移動し、最初の位置(つまり休みの前日)に戻ってきてしまったのだ。
人間とはかくも不思議な生き物である。