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お尻は脳を決定できるのか

中国のビジネスパーソンは役職を気にする。格好いいタイトルを欲しがる。その結果、商談にずらっと出てくる取引先の人たちが「副総経理」「高級副総監」「協理」「合伙人」など微妙に偉そうな役職名のオンパレードで、けっきょく誰が実際に偉いのやらさっぱりわからない。だからと言って意思決定者を見誤ると相手のメンツを深く傷つけてしまい商談が修復不可能になってしまうため、こちらの対処法としては全員等しく「~総」と呼びかけ、相手の内輪の会話内に発露する上下関係の機敏を観察しながらラスボスは誰なのかを見極めることになる。

「総」というのは「総経理(社長、部長)」の略で、先方の呼び方に迷ったときは「張総」「李総」などと呼んでおけばとりあえず安全と言われている。誰かが「いやいや、わたしは『総』ではありません!」と異常なほど謙遜しながら横の人をちらちら見たりすると、その見られた人が呼ばれた人よりは偉い人である蓋然性が高い。一方で本当に決裁権を持つ人が「わたしは『総』ではありません」などとうそをつくケースもあり、始末が悪い。この場合は、この人は他の誰かを見たりはせずに静かにほほ笑んでいたりするので、やはりこいつが偉いのだろうと当たりをつけることになる。面倒なことこの上ない。

屁股決定脳袋

屁股決定脳袋(Pi Gu Jue Ding Nao Dai)という中国語がある。直訳は「尻が脳を決定する」となる。意味は「あなたの座るポジションに合わせて、それにふさわしい考え方が自然に身につく」という感じになるだろうか。

この言葉、例によって中国ビジネスでは頻出する。わたしは当初は成長を表す前向きな言葉だと思っていた。「彼は昇進したことで責任範囲も広がり、ものごとの考え方がより大局的になった」と称賛するような。しかし多くのシチュエーションに遭遇するにしたがって、そういうポジティブな使用法もないわけではないが、必ずしも前向きな意味だけではないこともわかってきた。「彼は、お尻が脳を決めてるね」というのは、「あいつがやっている仕事なんて誰にでもできる」というやっかみを多分に含んでいるようなのである。「職務上の権限と個人的な能力にはほとんど相関性がない」という信憑を持っている人はどこの国でも少なからずいるとは思うけれど、直接そう言ってしまうと角が立つため、ほめてるのかけなしてるのかよくわからない表現として便利ということなのだろう。

それにしても品のない表現だなと思っていたが、原典は清朝に書かれた小説の「紅楼夢」であるらしい。中国四大名著だったとは失礼しました… (なので上の画像は紅楼夢から拝借)

賈雨村断案時想,原来当官没别的訣竅,無非是看脳袋指揮屁股,還是屁股決定脳袋。
ジアユーツンは初めて判決を下した時、なんだ、役人仕事なんてちょろいものだと思った。脳が尻を決めるか、尻が脳を決めるか、どうせ同じことだ。

確かにポジティブな感じではない。

この言葉が登場してから200年以上経った現代でもなお現役なのは、人々の実感と合致するからなのだろう。上司が頭脳明晰で、人格温厚で、常に素晴らしい決断を下すと信じている部下はあまりいない。むしろほとんどの場合、上司は現場の問題を把握できておらず、自己保身を優先させ、常に正しくない決断を下すと思われている(ピーターの法則が指摘する通り、それは一面の真実ではある)。仕事の指示なんてしょせん「思い付き」で出しているくせに「たまたま」指揮権を付与されているだけで偉そうにするなよ。そんなふうに蓄積された鬱憤が「お尻が脳を」という表現に形を変えて語り継がれてきたのだと思う。

よくわからない中国の役職観

わたしが赴任先で部門長に任命されたときに「自分に務まるだろうか」という心配を吐露したことがあって、それに対する他の部門の部門長(中国人)からのアドバイスはよりによって「大丈夫、お尻が脳を決めるから」であった。彼はどういう意味でそう言ったのだろう。少なくとも「お前は無能だ」というメッセージを面と向かって相手に伝えるようなわかりやすいやつではないから、もしかしたら「部下からの評判なんて気にするな」という婉曲な励ましだったのかもしれない。

そんな彼は、まさしく取引先に対して「わたしは『総』ではありません」と言うのが趣味の人だ。しかしそれは言葉の表面上な意味とはうらはらに、一ミリも謙遜ではない。相手に「何をおっしゃいますか、あなたこそが真の意思決定者ですよ」とわざわざ言わせ、それを聞くことで自分の存在価値をあらためて噛みしめるという面倒な性癖の持ち主である。

最初の方の商談に出てくる微妙に偉そうな役職の人たちというのは、多かれ少なかれそんな感じだ。自分は偉いとは間違っても自分からは言わないし、だからといってあなたは偉くないと周囲から思われることは絶対に許せない。すべてはメンツという空虚な概念の周りをぐるぐると回り続ける、中国流ビジネスは実に面倒くさい。

おまけ: トイレを占拠して…

お尻ネタついでにもうひとつ。これまたビジネスでよく遭遇する言葉に「占着茅坑不拉屎 (Zhan Zhe Mao Keng Bu La Shi)」というのがある。直訳すると「便所を占拠してクソをしない」となる(下品でごめんなさい)。これはずばり「既得権に安住し仕事をしないやつら」に対する批判だ。 これまたきたない表現だな、と思っていたら出典はかの鄧小平の講話だそうな。

不干工作,小病大養,無病呻吟的領導干部,索性請他好好休息,不然占着茅坑不拉屎怎么行?
つらいつらいと言うばかりで仕事をしない官僚は引退してしまえ。便所を占拠してクソをしないのが許されるとでも思っているのか?

読みようによっては、仕事なんてクソみたいなもんだ、とも読めなくはない。

紅楼夢と鄧小平を総合すると「ケツでもクソでもいいからとにかく仕事はさっさとやれ」ということになる。中国ビジネスで生き抜くためには常にお尻方面に意識を集中させておいた方がよさそうである。


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