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ゆっくり話せと言われても

中国の人は早口である。ケンカなのか漫才なのか、街角でお互いが一歩も引かずにわめき散らしているシーンは見たことがある人も多いと思う。あれは、おそらく内容はどうでもよく、ハイスピードな滑舌を相互にドライブさせる行為を楽しむのが目的で、どちらかというとバドミントンとか卓球とかの高速球技をエンジョイしている感覚に近いのだとわたしは思う。なぜ道端で球技を始める必要があるのかはよくわからないけれども。

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商談の席で。先方の担当者がマシンガン早口で何かの説明を始めることがある。よくわからない。わからないのは聞いたことのない専門用語を多用しているからだ。こちらの様子を察した先方の上司が「この人は外国人なんだから、もっとゆっくり話してあげなさい」と担当者に優しく諭す。担当者は、またやっちゃったテヘッ、という感じで若干テンポを落とすものの、熱が入ってくるとまたどんどん早くなってくる。そこでまた上司が、、という繰り返し。

ああまたかと思う。この人たちにはわからないのである。ゆっくり話されたところで、わからないものはわからないということが。

だってそうでしょう。外国語なんだから、知らない単語は知らない。知っているか知らないか、ゼロかイチかしかない。ゆっくり聞いているうちに知らなかった単語の意味がだんだんわかってくる、ということは原理的にありえないのである。

と思うのだけれど、「相手は外国人なんだから」「だからゆっくり話してあげなさい」というパターンには何度も遭遇したことがある。ということは「わからない言葉でも、ゆっくり話せばわかる」と、彼らは本当に考えているのではないか。

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ヒントは同音異義語にあるかもしれない。

たとえば日本語でも「こうしょう」と単体で言われただけでは、交渉、公証、高尚、公称、工商、考証など、様々な単語が思い浮かび、何の話をしようとしているのかはわからない。しばらく聞き続けて前後の文脈をたどるうちに、ああ校章の話でしたか、と合点がいったりする。

中国語も同様で、「しやんちやん」みたいな言葉が聞こえたとして、商城(Shang Cheng)?生産(Sheng Chan)?宣伝(Xuan Chuan)?声腔(Sheng Qiang)?と相手の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになる。中国語はこの同音異義語の数が日本語に比べてハンパではなく、ほとんどの言葉が同音異義語で構成されているといってもいいくらいだから、メモリがクラッシュして文脈トレース機能が停止するということがあっても不思議ではない。相手の脳内辞書のどこかにこの単語は眠っており、それを検索する処理時間だけが問題だという前提に立つ限り、ゆっくり話すということは確かに効果的な対策のひとつにはなりうる。

しかし、どうもそれだけではないような気がする。

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少し話が飛ぶ。上海語という言語がある。元をたどれば浙江省の方言である。これはいわゆる中国標準語とはかなりテイストの異なる言葉で、英語とイタリア語くらい違う(と思う。イタリア語知らないんですけど)。

「日本人」という文字の発音は標準語では「リーベンレン」であるが、上海語では「サッパンニン」となる。これを中国語の方言としてカウントするなら「ニッポンジン」だって中国語の方言の一種になるだろう。というくらい違うから、非上海語圏出身の人は上海語は聞き取れないはずだ、と私は思っていた。

が、さにあらず、非上海語話者に言わせると「上海語はわかる。ゆっくり聞けばほとんどわかる」という人が少なくないのである。

いや、ウソでしょ? 絶対にわからないと思う。

わたしには「自分が話せない言葉は、聞き取ることもできない」という、わりと古典的な外国語観がある。上海語が聞き取れるというからには、その人が上海語を話すこともできないことには平仄が合わない。だから、上海語を話せるのですね?と尋ねると、全員が「話せない。でも聞き取れる」と主張するのだ。

どうも信じられない。

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これに合う説明はひとつしか思い浮かばない。「ゆっくり主義者」の人たちは、もしかしたら相手の話をまじめに聞いていないのではないか。

聞く方としては、上海に長く住んでいれば頻出単語くらいなら知っている。相手の話の中から、自分の聞き取れる単語だけを拾い上げて、おそらく全体的にこんなことを言っているのだろうと仮想構築する。だいたいわかった、という気持ちになった段階で「ぜんぶわかった」と結論づける。いくつかわからない言い回しが出てきたけど、大意はつかめたのでそんなのは瑣末な問題だ。

話すほうとしては、仮想構築の確度を上げる時間くらいは相手に与えないといけない。「わかりません」と言わせてしまうと相手のメンツも傷つくだろうから、「早すぎましたね、ゆっくりしゃべりましょう」という気遣いを示してあげて、相手の予想時間を稼がせる。

そんなよくわからん大人のルールがあるのではないだろうか。

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自分は少しまじめすぎるのかもしれない。知らない単語が出てくるとそれが気になって先の言葉が入ってこなくなってしまう。せっかく相手の上司が「ゆっくり話してあげなさい」という度量を示してくれ、担当者がそれに応じてゆっくりしゃべってくれたにも関わらず、最後に「話がよくわかりませんでした」と言ってしまったときの、同情のような失笑が広がるあの感じがやるせない。だから、わからないときはわからないんだってば。

ちょっとした冗談というか、いや正直にいうと仕返しのつもりで、日本語でゆっくりと返したことがある。先方は無表情にこちらの話を聞き、「日本語はわからないが、あなたの話しぶりを聞いて、だいたいの意味はわかりました」と言った。あのときはほんとうにびっくりした。


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